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K&K5周年記念「名作劇場」
日時: 2005/12/25 14:30
名前: 投稿者:39

むかし、あったそうじゃ。
都に無頼庵という古い寺があってな、その寺の若坊主は
寺子屋で算術を教えるかたわら、琵琶法師になるため
修行をしておった。
多くの匠たちが作った琵琶をいろいろ試してみたんだが、
どれも今ひとつしっくりこなかったんだと。
そこで一念発起した若坊主は、住職と二人で寺に代々伝わる
いろりをくりぬいて、自分で琵琶を作ったんだと。
これがたいした逸品での、琵琶ばかりか胡弓、果ては
法螺貝の音色まで奏でるっちゅう優れものだったそうじゃ。
坊主はこれを「赤特」と名づけて、大事に大事にしておった。
こうして琵琶法師に転身した若坊主じゃが、一つ困りごとが
あった。
琵琶の腕前は超一流だったが、謡がからきしだったのじゃ。
かすれたような、ひっくり返ったような、とにかく情けない
声じゃった。
そこで馴染みの呉服屋で、暴れ太鼓の使い手でもある路地屋に
相談を持ち掛けてみた。すると路地屋は、仲間で絵師を志す
触泥という男を連れてきた。
触泥は諸国を転々としてきた経緯からか、まるで異人のような
風貌であったが、信じられない歌声に加え、洋琴の腕前、
羽根つきの技も素晴らしいものだったそうじゃ。
それから三人は方々の舞台でお囃子を聞かせるようになった。
はじめ「ほほえみ社中」と名乗っておったが、やがて
「苦院一座」と改めたのじゃ。どうしてそういう名にしたのかは
昔のことじゃて、爺もよう知らん。
さて、苦院一座じゃが、どうも調べが物足りない。
琵琶も、太鼓も、謡もそろったというに、何かが欠けているように
思える。「そうじゃ、太棹を入れてみんべぇ。」
ところが、地味な太棹はなかなか弾き手がみつからなんだ。
あれこれ探した挙げ句、東の国から流れてきた大紺という家の
子倅がやってみることになった。
じゃがこの大紺の子倅(江戸っ子らしく自分では「でぇこん」と
言うておった)おとなしいわりにしっかり者で、目立たぬ太棹を
達者に弾きこなしたものじゃ。
四人になった苦院一座は、自分たちの音曲(おんぎょく)を
つくったり、旅回りをしてみたが、都での評判はあまり芳しく
なかった。「触泥が異国の神や仏、人を食らう妖怪のことなぞ
ばかり歌にするのがよくない。」「いやいや“苦”などという
字をいれたのがいかん。」「それじゃもっと“喜び”とか“楽しみ”
を歌にするかや?」
そこでできたのが「喜楽院」という曲じゃった。
どこかで聞いたようだ?そうじゃろそうじゃろ。
そしてこれが東の国で大当たりして、やがて彼らは大の人気者となり、
ついには「伝説の横綱」とまで称えられるようになったそうじゃ。
どっとはらい。さ、しょんべしてもうねろ。

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Re: K&K5周年記念「名作劇場」 ( No.1 )
日時: 2005/12/25 14:46
名前: 喜楽院

※出典:★K&K QUEEN FAN CLUB掲示板★
“PURPLE SHOES”

投稿者:39(のちに“G”と名乗る)
1998年10月2日(金)19時24分49秒


当時、名前が“K&K”に変わったとき、みんな、
「缶詰工場」みたいだなや。って言ってたんですよ。5年かぁ…。

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