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クイーンについての考察…ゲーム編
日時: 2008/11/01 00:01
名前: じろー

1980年、クイーンは3枚のアルバムを発表する!!…と言われた!!
「フラッシュ・ゴードン」「グレイティスト・ヒッツ」そして「ザ・ゲーム」だ!!
実際には「グレイティスト・ヒッツ」がずれ込んだため実現はしなかったが、立て続けにリリースされるアルバム…夢のような時代でしたね!!(笑)
「フラッシュ・ゴードン」と「グレイティスト・ヒッツ」は次回に回して、今回は「ザ・ゲーム」を考察してみます…!!


80年代に入り、クイーンにも多くの変化が訪れていました…そのひとつが先行シングルです!!
前作の「ジャズ」がコンセプト・アルバムだったかどうかは別にして、クイーンはアルバム単位で作品(曲)を作ってきました!!
当時のインタビューでも「アルバムを作り、そこからシングルを出す!!シングルヒットを作ろうとしたことはないよ…」という発言がありました!!
ま、そうでなければ「ボヘミアン・ラプソディ」のシングルカットはあり得なかったでしょうけど…!?(笑)


何を意図したのかは謀りかねるけれど、先行発売された「クレイジー・リトル・シング・コールド・ラヴ」は今までのクイーンのイメージを一新するものでした…

ロカビリー調のロックンロール…なんらかの目的があって変えたという感じ…自然にこうなったという変化ではないくらい大きな変化でした!!

革ジャンにサングラス…フレディは少し前からしてたからあまり驚かなかったけど、ブライアン…似合わねー!!(爆)
P.V.で観たテレ・キャスターも似合わない!!
でも、あのリードギターはこの音色でなければダメだったんでしょうね!?(苦笑)

ジョン・レノンがこの曲にインスパイアされて、アルバムを作る気になった…という話しを聞きましたが、僕はそこまでインスパイアされませんでした!!(笑)


そしてプロデュースにMacを迎えたこと…
リリース当時はあまり意識しなかったけれど、Macはプロデューサーとしてよりもエンジニアとして手腕を発揮したように思います!!

前に「ジャズ」のアルバムを通してのサウンド・イメージを「砂混じり…」と表現しましたが…地域で言うと中近東です!!(笑)
この「ザ・ゲーム」はクリアな透明感を持ちつつも、アメリカンな温かさを感じさせ、地域で言うと北米!?(爆)
このイメージはMacによるものだと感じています…
70年代に比べると、音質は格段に向上しましたね…


その音質にも関係してくるのですが、なんといってもシンセサイザーの導入です…

確かに一曲目の頭からシンセで始まり、ドカ〜ン!!ギュイ〜ン!!ではあるわけだけど…
どちらかというとSE(サウンド・エフェクト‐効果音)的な使い方で、楽器として…とは若干違うような使われ方です!!


リリース当時の雑誌の記事に「今度のアルバムはオペラ座のような作品になる…」というのがあったのですが、「ジャズ」のときのサージェント・ペパーズ…のこともあったので、あまり気にしてはいませんでした!!(笑)

それでは各曲を検証してみましょう…
「プレイ・ザ・ゲーム」は久々にクイーンらしいハーモニーのコーラスで、「ボヘミアン・ラプソディ」を彷彿させる…なんて言われたけど、それはちょっと違うだろう!?という感じ…
フレディのファルセット(裏声)が絶妙で、ライヴを聴いたときはがっかりしました!!(笑)

「ドラゴン・アタック」はブライアンらしいギターが堪能できるが、このイモくさいリフ(笑)はあまり好きではなかったですね!!
逆にライヴを聴いたとき、ジョンのベースを含めてカッコいいと思いました!!

「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト」
リフで引っ張り、ブレイクが入る構成は「ドラゴン・アタック」と同じだけれど、ブライアンのギターがチャキチャキしてて…
「ファン・イット」のときのギターよりもハギレがいい感じがしました!!
(ただ「ファン・イット」のときはロジャーだったのか!?の疑問はあるけど…)

「ニード・ユー・ラヴィング・トゥナイト」…なんてハギレのいいアコギなんだ!!「ミス・ファイヤー」を連想したと思ったらジョンの曲だ!!…あれ!?さっきのもジョン!?
タイプの違うジョンの曲が続いてるんだ…

そして「クレイジー・リトル・シング・コールド・ラヴ」
このベースラインは、当時やっていたフォークのバンドのオリジナル曲に取り入れさせてもらいました!!(笑)

B面に入って「ロック・イット」
SE的ではあるが、シンセの音が効果的だ!!
いかにもライヴ向きだと思ったけれど、生で聴くことはできませんでした…

「ドント・トライ・スーサイド」…「自殺志願」なんて邦題がついているから「!?」と思っていると、「自殺なんてするなよ!!」と歌っている…
大学生になったものの、まだこれといった目標がなかった頃…本気で死のうと思ったことはなかったけれど、心の内で「自殺なんてするなよ!!」と呟いたことは何度かありましたね…

アコギの音がいい感じで、マーチン(メーカー)のD‐35を使っていたのかなぁ!?
マーチンは77年頃までのライヴでも使用されていたアコースティックギターの代名詞ともいえるギターだ!!
79年頃からはオベイション(メーカー)の12弦が使用されており、現在で言う“エレアコ”に近い音になっている!!
エレアコとはアコギにマイクを内蔵させたもので、音量を必要とするライヴにはありがたいが、どうしてもエレキっぽい音になってしまう…
(「アイ・ウォント・イット・オール」のイントロ…あ、アルバム・バージョンのね!!)
僕自身は純粋なアコギの音が好きで、スマイル時代の「ポーラ・ベア」のギターが特に好きですね!!

「セイル・アウェイ・スゥイート・シスター」はいかにもブライアンの曲だ!!
「オール・デッド」のときにも感じたけれど、ベースラインがどことなくビートルズを感じさせる…
そして「キラー・クイーン」でも登場したトリプル・ハーモナイズ・ギターだ!!
三つ目のギターが加わるところは何度聴いても気持ちいい…

「カミング・スーン」…ロジャーの曲というと骨太のロック!!というイメージがあったけれど、なんてハギレのいいバッキング!!ジョンの曲じゃないの!?と思えるくらい…(笑)
でも結局この曲が「コーリング・オール・ガールズ」→「レディオ・ガガ」へとつながっていくんでしょうね…!?

ラストを飾るのは「セイヴ・ミー」
個人的には歌詞の内容が、当時大好きだった女の子を思い出させ…涙無しには聴けない曲なのですが…(笑)

ブライアンによるピアノがベースの曲なのですが、ピアノとアコギのバランスがとても素晴らしい!!
そこにシンセのストリングス(弦楽器)とギターオーケストレイションが加わる…
ここにきてようやく、シンセサイザーを導入した意味を感じることができました!!

「何故、シンセサイザーを導入したのか!?」の質問に対して「音が良くなったから…」という回答がありました!!
70年代のシンセサイザーはいかにも機械的で、クイーンの望む音楽的な部分に合わなかったのでしょう…
そういう意味で、シンセを使用するときにSE的な使い方になったのではないでしょうか!?

「ブライアンのギターオーケストレイションがあるからシンセサイザーはいらない!!」と本人たちが言ったかどうかは知りませんが(笑)、この曲ではシンセサイザーが楽器としてギターオーケストレイションと共存しています!!

デジタルシンセの登場は音楽シーンに大きな影響を与えました!!
シンセサイザーを使用することで空気感が失われ、ブリティッシュとアメリカンの違いが判らなくなってしまいました!!

例えば…ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」!!あのシンセのイントロ…
イギリスのバンドもアメリカのバンドも同じような音になってしまったように思うのです…

更に、デジタルシンセの価格が下がることにより、アマチュアでもプロと同じ音が出せるようになったのです!!

70年代のアマチュアバンドは必死でした!!(苦笑)
何度も何度も聞き込んで、コピーして、真似て…
なかなかプロと同じ音は出せません!!ましてやクイーンなんて、レッド・スペシャルは手に入らなかったのだから…
レッド・スペシャルという名前すらなかった頃、グレコ(メーカー)がBM-900というコピーモデルを出しましたが、レスペの形を真似ただけのもので、同じ音は出ませんでした…

プロと同じ音が出せる…アマチュアバンドのサウンドの鍵は、ギタリストではなくキーボードプレイヤーが握るようになったのです!!

前回のライヴパフォーマンス編でも触れましたが、初期のクイーンサウンドを再現するのは非常に難しい!!
そこには、シンセサイザーで代用出来ない…という問題があったのかもしれません…

とにかく、クイーンはついにシンセサイザーを取り入れた!!これがどういう方向に向かったか…!?ということになると思います!!


しかし、それ以前にこのアルバムは全米で大ヒットします!!
「クレイジー・リトル・シング・コールド・ラヴ」「アナザー・ワン・バイツ・ザ・ダスト」はNo.1ヒットとなり、「世界に捧ぐ」で意識した全米制覇を果たします!!
あらためてこのアルバムのカラーというものを考えてみると、確かにアメリカ向きだ!!
ここには「華麗なるレース」に溢れていたブリティッシュ・オンリーの空気感が無い…

80年代という時代がそうさせたのか、クイーン自身が変わろうとしたのか…
このアルバムを聴く限り、セカンドで見せたクイーンとは別のバンドと言えるくらいに…
デビュー当時、レッド・ツェッペリンやイエスと比較され、ブリティッシュロックの灰の中から蘇った不死鳥とまで謳われたクイーンは、そのイメージとは違う形でクイーンというジャンルを確立してしまったのではないだろうか…!?


もともと、この考察シリーズの発端は「ホット・スペースばかりが問題作だと言われるが、オペラ座だって問題作だせ!?」だったのですが、ザ・ゲームも侮れない問題作かもしれません!!(笑)

せっかくここまできたので、次回(まだ続くのか!?)は「グレイティスト・ヒッツ」と「フラッシュ・ゴードン」…そして「ホット・スペース」へと続けてみたいと思います!!

今日はこのへんで…
メンテ

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考察「ゲーム」:回答編VOL.1 ( No.1 )
日時: 2008/11/01 00:02
名前: 喜楽院

「シアー・ハート・アタック」は1974年暮れの発売。
「オペラ座」も75年11月下旬から12月。
発売されて、すぐに聴きました。
「華麗なるレース」は77年1月でした。。
「世界に捧ぐ」も77年〜78年の真冬。
「ジャズ」は高校3年の秋です。78年10月末か11月。
聴きまくりました。
「バイスイクル・レース」には心底、唸りました。

クイーンの各アルバムをリアルタイムで聴いた身にとって
アルバム毎の、日本で発売された当時の季節と、
そしてそれに伴うあの時代の空気の思い出が、それぞれにあります。
今でもそれは私の全身の外気、3センチメートルくらいにまとわりついています。
日本海側日本の豪雪地帯で生まれ育った私には、「初期クイーン=冬=雪」の
イメージすらあります。イメージどころか全身に刻み込まれています。

「ゲーム」は、確か、1980年?、大学2年時の8月でした。
かねてからの「目標」であった、2輪による最初の日本一周を
終えた暑い日の午後、新潟の実家に疲労困憊で到着したとき、
友人が貸してくれた、クイーンの新作アルバム「ゲーム」が
私に届いていました。
クイーンの新作を夏に聴くのは初めてです。
「クイーン=冬=雪」のイメージがずっと私にありましたので
何かヘンだな^^って思ったのをよく覚えています。

「趣味の悪いジャケットだな。あまり聴く気がしない。」
第一印象です。
こいつらが、あの、わたしが崇拝する「クイーン」かい。
まあ、どうでもいいけど失礼な奴らだな。^^
ある種の、品のいい冗談のようにも思えました。
同時に、初めてクイーンを知ってから、決して少なくない時間が
今までに経過したことをも、この時に認識したのを覚えています。

クーラーも無かった居間で、オープニングの
「プレイ・ザ・ゲーム」を、結構なボリュームで聴きながら
疲れた体を横にしておりましたら、いつのまにかまどろんでいました。
さしたる感動のない曲を聴くと眠ってしまうのは自然の摂理です。
一度、目が覚めてみると、A面がとっくに終わっていることに気付き、
レコードをひっくり返し、B面を聴き始めますが、
これまた、輪をかけて退屈です。
「これが本当にクイーンの新作ですって?。…いいのかな、これで。」
再び、眠りはじめてしまいます。
なんか、少し残念だな。
なにかしら、枯れてしまった、かつて潤沢だった油田を連想してしまいます。
うとうと。

眠りながら聴いていましたが、この新作を聴いて感じました。
彼らはもう、間違いなく「盛り」を過ぎてしまっている。
かつての、あのほとばしるような才能の、その片鱗すら見えない。
今後、どれだけ新作を繰り出そうとも、私が歓喜するような
作品は、彼らは二度とあらわすことができないだろう、と。

B面ラストの「セイブ・ミー」が流れ始めた頃、
私はようやく目が覚めました。
しっかりと、じっくりと「セイブ・ミー」を聴きました。
しみじみと、いい曲だな、と思いました。
同時に、凋落を始めるクイーンのあだ花にふさわしい曲だと思いました。
その当時の自分が置かれている、いろんな意味での
贅沢な環境に感謝をしながら。

アルバム「ゲーム」と言えば「セイブ・ミー」です。
そしてそれは、私にとって決して消えることのない
「夏の想い出」の中のひとつです。

そしてそれは・・・
無限の可能性の存在をずっと信じていた天下に冠たるクイーンの才能、
それもついに、ここまでか、と見限った喜楽院の夏でもありました。

もはや、遠い遠い夏の記憶です。
メンテ

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