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クイーン年表1974
日時: 2019/05/28 14:27
名前: 喜楽院

英国の人気ロックバンド、「クイーン」。
彼らがいかにして、ここまでのし上がったのか。
リアルタイマーの皆様、思い出してください。
酩酊しつつ、連載します。

***

1974年秋「輝ける七つの海」がラジオで流れ始めました。
演奏者は「QUEEN」ですって。
クイーン?。
変な名前だし。
およそ「ロックバンド」に付ける名前には
決定的にふさわしくないし。

「Q」という字を見るのは久しぶりであります。
産まれて初めて観た「Q]はだぶんトランプの「Q」。
そもそも「クイーン」なんて単語の発声は、
トランプ以外に使用したことが無い日本人がほとんどだったはず。
「オバケのQ太郎」とか「ウルトラQ」は大好きな番組でした。
ロックバンド「QUEEN」のQを冠したネーミングは印象的でした。
でしょ?。
同意する方は少なくないはずです。

1974年の晩秋にワーナーパイオニアレコードが、
12月21日にディープ・パープル「嵐の使者」と
イエスの「リレイヤー」と、
クイーン「シアー・ハート・アタック」を
同時発売するという暴挙を演出。
レコード店各社に徹底的に貼られたそのPRポスター。
無名バンドの新参者クイーンをセンターに。
天下の大御所たるパープルとイエスは脇役に。

パイオニアの営業部は発狂したと思った。

この時点(1974年晩秋)で、新潟県南西部、上越市、新井市の
すべてのレコード店を回ったが、
クイーンのレコードを店頭に置いてあった店は
一軒も無かった。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(管理人 Sweetより)
1974年は日本においてクイーン史の始まりであり、且つ一番密度の濃い1年だったと思います。
というのも、
3月にデビューアルバム、6月にセカンド、12月にサードと、1年の内に3枚ものアルバムが発売されたからです。
私は74年の夏休みの終わりに
(姉が購入した)セカンドアルバムに初めて出会い、サイドブラックに一目惚れならぬ1聴惚れ♪
74年9月になって、レコード屋で探しに探してファーストアルバムを自分で購入。裏ジャケの4人に一目惚れ♪

それからずっと発売を待ちに待って買ったのが「シアー・ハート・アタック」。ジャケットの4人に心臓一撃★
という事で、
1974年は思い出すまでもなく、一番忘れられない1年です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
メンテ

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クイーン年表1974 其の2 ( No.1 )
日時: 2019/05/28 14:28
名前: 喜楽院

1974年12月21日の夕方。
日本国有鉄道・信越本線の「高田駅前」で、
2年上の従兄弟(新潟県立高田高等学校1年生)にバッタリ会った。

手に抱えている「テクニクス・レコード」の袋。

喜楽院「何、買ったの?。」
従兄弟「クイーンだよ。後で聴きに来いや。」

予定通り。
ほくそ笑む。
パープル、イエス、クイーンのどれを購入しようか迷っていたが、
パープル購入者は目処がついていたし、従兄弟が「シアーハートアタック」を購入。
これで私は安堵してイエスの「リレイヤー」を購入する。
2300円の出費。
当時の中学2年生には車を買うくらいの大出費である。
とりあえず、パープル、クイーン、イエスの新譜を
すべて聴くことが出来る条件が揃った。
安堵。


−−−−−−−−−−−−−−−−−
(管理人 Sweetより)
>当時の中学2年生には車を買うくらいの大出費である。
当時、中学1年生の私も「車」とまでは思わなかったけど、大金でしたね。
それから、1学年上の姉が当時、ZEPとグランド・ファンク・レイルロードのレコードを持っていて
1974年晩秋に私がよく聴いていたのは『We're An American Band』でした。
当時、私はまだクイーン以外に購入したい新譜のLPレコードっていうのがなくて、
(というかその頃は情報を得るのが姉だった)
友達と手分けして欲しいレコードを聴くようになるのは高校生になってからでした。
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メンテ
クイーン年表1974 其の3 ( No.2 )
日時: 2019/05/28 14:47
名前: 喜楽院

くどいようだが、1974年12月21日の
「シアーハートアタック」発売時点では、
一部のロックファン以外では「クイーン」は完全無名。

ただ、新潟県新井市立新井中学校2年生の私には、
本国の英国で「キラークイーン」という曲がヒット中で、
かつ、彼らのライヴ演奏においては、とにかく「照明設備」が
素晴らしいという評判は、田舎モノの中学生にも届いていた。

1974年12月21日の時点で「キラークイーン」を
英国に習ってすぐさまシングル発売すれば良かったのに、
何故か日本国での発売は1975年2月頃だったように記憶している。
1974年12月21日の夕方。
日本国有鉄道・信越本線の「高田駅前」で、
2年上の従兄弟(新潟県立高田高等学校1年生)にバッタリ会った。

手に抱えている「テクニクス・レコード」の袋。

喜楽院「何、買ったの?。」
従兄弟「クイーンだよ。後で聴きに来いや。」

予定通り。
ほくそ笑む。
パープル、イエス、クイーンのどれを購入しようか迷っていたが、
パープル購入者は目処がついていたし、従兄弟が「シアーハートアタック」を購入。
これで私は安堵してイエスの「リレイヤー」を購入する。
2300円の出費。
当時の中学2年生には車を買うくらいの大出費である。
とりあえず、パープル、クイーン、イエスの新譜を
すべて聴くことが出来る条件が揃った。
安堵。


−−−−−−−−−−−−−−−−−
(管理人 Sweetより)
>彼らのライヴ演奏においては、とにかく「照明設備」が
>素晴らしいという評判は、田舎モノの中学生にも届いていた。

え?74年の12月にですか?・・・
私はその時は何も知らなかったですぅ。
"ド"がつくほど田舎モノですぅ。
その頃、「キラークイーン」がアメリカでもヒットしていたからか、ラジオで聴く事はありましたが
ライヴに関しては全く何の情報もありませんでした。
ちなみに「キラークイーン」の日本発売は仰るように75年2月です。
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メンテ
クイーン年表1974 其の4 ( No.3 )
日時: 2019/05/28 14:52
名前: 喜楽院

1974年12月22日。
従兄弟が住む醸造会社の巨大な建造物の一角にある
”娯楽室”みたいなスペースで、
たぶんかなり高級なステレオシステムで、
「シアー・ハート・アタック」を聴く。

ラジオでさんざん聴いた「輝ける七つの海」。
受動的に聴いた曲だ。

シアー・ハート・アタック。
A面一曲目。
ブライトン・ロック。
能動的に聴いた初めてのクイーン曲。

筆者はここまでZEPもパープルもイエスもELPも
さんざん聴いている。
しかし、この「ブライトン・ロック」。
これにはぶっ飛んだ。

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(管理人 Sweetより)
素晴らしい従兄弟さんがいて良かったですね。(いいなぁ♪)
高級なステレオシステムで聴く「ブライトン・ロック」・・・そりゃ、ぶっ飛ぶでしょう♪
で、「ブライトン・ロック」という曲名を知っていたという事は、
聴く前にレコードジャケット、およびライナーノーツをその時に見られたということですよね?
としたら、
あのライナーノーツ裏の、(鼻血ブーの)メンバーの写真を見た時もぶっ飛んだのでしょう?
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メンテ
クイーン年表1974 其の5 ( No.4 )
日時: 2019/05/28 14:53
名前: 喜楽院

「ブライトン・ロック」。
開始1分30秒〜2分30秒付近。
恐ろしく美しいメロディラインである。
日本を代表する作曲家「いずみたく」や
「岡野貞一」が産み出した数々の名曲の存在を
想い起こさせる。
日本人の琴線に触れる、かつ自分の産まれる時代の
遥か先を想像させる郷愁あふれる懐かしい懐かしい旋律。

そして。

このクイーンという名のバンドのボーカリスト。
なんて美しいファルセットだろう。
この時点での中学2年の幼い私は「声変わり」を終えていない。
小学校での合唱団ではソプラノ・パートに居た私。
それでも、このクイーンのボーカルたる成人男性の、
この高音の「男声」には震撼した。

この時点で、私は、「クイーン」の曲は
「輝ける七つの海」と「ブライトン・ロック」しか知らない。
しかしながら、彼らのサード・アルバムのA面に針を落として、
その2分30秒後、私は有望な新人が現れたとかすかに思った。

天下に冠たるブリティッシュ・ロックバンドの大御所、
ディープパープル、イエスの新譜を追いやって、
クイーンのサードアルバムをイチオシした
ワーナー・パイオニア・レコード営業部の
”奇襲””大博打”の理由を、少し理解できた。

現在に至る世界的人気となった英国の人気ロックバンド「クイーン」。
今般の、映画「ボヘミアン・ラプソディ」のヒットに乗じて、
そこかしこで1970年代半ばにおけるクイーンのブレイクの要因を
語られているが、当たり前だが、この日本のレコード会社が
社運を懸けて行った一大「ギャンブル」を称賛する声は皆無である。

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(管理人 Sweetより)
>この時点で、私は、「クイーン」の曲は
>「輝ける七つの海」と「ブライトン・ロック」しか知らない。

それで充分でございます。
ただ、ラジオでさんざん聴いたという「輝ける七つの海」、
この曲のラストに流れる古い歌まで流れていたのか?
が重要であり、
「ブライトン・ロック」の冒頭でチラッと聞こえるそのメロディに気付いたかどうか?
がポイントですけどね
(^^;
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メンテ
クイーン年表1974 其の6 ( No.5 )
日時: 2019/05/28 14:55
名前: 喜楽院

「ブライトン・ロック」。
更に驚いたのは、2分30秒を過ぎてから、
延々と続くギターソロである。
才能ある無名の新人バンドが、
世界制覇をもくろむ、渾身の最新作の、
こともあろうにA面の1曲目に、このような
愚鈍で退屈なギターソロを持って来るか?。
有り得ない。
これはおかしい。
明らかに間違っている。

大胆不敵というか、世の中を舐めている、というか。
この無神経さは全くもって信じられないレベル。
言い方を代えれば、それは彼らの有り余るほどの
自信の裏返しとも取れる。

このバンドのギター奏者の、甚だ迷惑なわがままの結果だとは思うが、
よくぞまあ、他のメンバーの同意を取り付けたものだ、と感心する。

かくして、X−JAPANの「ART OF LIFE」の"原点”かもしれない、
かつ、当時の一連のプログレッシブ・ロック風の構成を模倣したような
彼らのサードアルバムのA面1曲めは終了。

次なるA面2曲目は、お待ちかねの、ウワサの「キラー・クイーン」。
クイーンにおける通算3曲目の聴取となるこの曲は、恐らくは
轟々たるハード・ロックであろう、となんとなく想像している中学2年生。
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(管理人 Sweetより)
私は、「ブライトン・ロック」のギターソロを初めて聴いた時、
ブライアンって人は天才なんだと思いました。
だって、ライナーノーツのメンバー紹介のブライアン・メイのところに・・・
(ギター、ヴォーカル、ピアノ、天才ジョージ・フォービー・ウクレレ・バンジョー、ギター・オーケストレーションズ)
って書いてあったから。^^;

ちなみに、フレディ・マーキュリーのところには・・・
(ヴォーカル、ピアノ、ジャングル・ピアノ、壮観なヴォーカル)
って書いてありました。
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メンテ
クイーン年表1974 其の7 ( No.6 )
日時: 2019/05/28 14:55
名前: 喜楽院

1974年12月22日。
サード・アルバム「シアー・ハート・アタック」
A面2曲め「キラー・クイーン」。

我がHN「喜楽院」の由来となる曲との最初の出会い。

♪パキ、パキ、パキ、パキ、パキ、
シキプス、チャン、チャン、チャン、チャン

うら。
始まった、始まった♪。
ほほお、これが「キラー・クイーン」か。
どれどれ。

思いっきりフランスだ。
すぐさま、そう思った。
歌詞の中に「モエット・シャンドン」なり
「マリー・アントワネット」を
見出すのは、後の、年明けとなる1975年1月。

あれ?、「クイーン」でイギリスだよね。
ですよね、フランスじゃないよね。

♪フルシチョフ・アンド・ケネディで、おや?と想い、
♪中国から来た男性、美しき芸者・舞菜さん、のパート。
(大阪のミナさん、おこんばんは。マイナはこう表記しています)
仏の有名歌曲「オー・シャンゼリーゼ」に極めて激しく酷似している。

フランスである。
凱旋門だ。
エッフェル塔だ。
シルヴィ・バルタンだ。
ミッシェル・ポルナレフだ。
日本を遥かに凌ぐ先進国。
そして、おフランス帰りを自称する
赤塚不二雄作「おそ松くん」の名脇役
イヤミ氏の「出っ歯」を連想する。

この時点で中学2年の私は、クイーンの
ボーカルが出っ歯であることをまだ、知らない。


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(管理人 Sweetより)
>♪パキ、パキ、パキ、パキ、パキ、

ぱ、「パキ?」・・・なんか紛らわしいんですけど?(--;
さて、"思いっきりフランス"の、「キラー・クイーン」ですが、
歌詞も然ることながらこのメロディは一度聴いたら耳から離れないというか、
特にラストはギターのチャララ、チャララ♪チャララ、チャララ♪が、
左スピーカーから右スピーカーに交互に流れるように聞こえてくるのが
当時の中1(私)には感動的でした。
で・・・
あれ?、喜楽院さん、もしかしてこれで終わりですか?
まぁ、唐突に始まって唐突に終わるのには慣れていますけどね。(^^;)
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メンテ
クイーン年表1974 其の8 ( No.7 )
日時: 2019/05/28 14:57
名前: 喜楽院

1974年12月22日。
「シアーハートアタック」、
聴取、完了。
印象に残ったのは
「ブライトン・ロック」と
「キラー・クイーン」のみ。

「ブライトンロック」は稀代の名曲と確信。
「キラークイーン」は、今後の国内市場で売れるといいなあと思った。
テニメント〜フリック〜谷間の稀代の3曲メドレーや、
B面に散りばめられた屈指の名曲群の魅力に覚醒するのは、この2箇月後。
1回聴いただけで良し悪しを判別する耳は、
当時の中学校2年生は持ち合わせていない。

従兄弟から「シアー・ハート・アタック」を
借りて90分カセットテープの片面に録音。
1974の年末年始はモノラルのラジカセで
「シアー・ハート・アタック」をひたすら聴く。

同時に、自分が購入したイエスの「リレイヤー」と同様に。

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(管理人 Sweetより)
おぉ!終わってなかったのね?(^^; どうも失礼しました。
この「8」でクイーン史1974の最終回となるのですね。。。

さて、日本発売日の翌日に聴いたという『シアー・ハート・アタック』ですが、

 >B面に散りばめられた屈指の名曲群の魅力に覚醒するのは、この2箇月後。

あ〜、それわかります!
私も後から名曲の魅力にジワジワと覚醒する感じでした。
ただそれはサードだけでなく、ファーストでもセカンドアルバムでもそれぞれにありました。
ちなみに、一番最初に聴いた時に一番最初に"これ好き!"と思ったのは
「誘惑のロックンロール(ナウ・アイム・ヒア)」と「ミスファイアー」でした。
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メンテ

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