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クイーン布教活動
日時: 2005/12/25 15:35
名前: 喜楽院

1部B(教授&助手、初登場)

2003年8月下旬。場所は都内・市ヶ谷の某音楽大学、58年館、1306号室。入口に「ロック学部・ブリティッシュ学科・鯨岡ゼミ『クイーン研究室』」の文字。

助手「なんですって?…とすると1970年代半ばにおいて、日本のロックファン人口に革命的な新陳代謝をもたらしたクイーンの大ブレイクというのは、日本中にちらばった少数の『布教者』と呼ばれし者達の活動による、というわけですか。」
 
教授「(いきなり長いセリフを噛まずによく言えたな。)その通り。当時の日本のロックシーンにおいては、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、イエスらの全盛期。当時のクイーンをロックとして売り出すにあたり、既存のロックファンを取り込むにはかなりの苦戦が予想され、それより若い世代の全く新しい層を開拓し、ターゲットにする必要があった。」

助手「布教者たちはどんな活動を?」

教授「とにかく歌謡曲しか聴いていない新しい世代の耳に、クイーンの音を届かせることが必要。当時、洋楽の媒介はレコード・ラジオ以外ほとんどなく、彼らにクイーンを聞かせるのは至難の技じゃった。」

助手「それでどうしたんです?」

教授「あるものは中学の給食や掃除の時間のBGMにクイーンを流し、misakiさんの妹のように高校・大学の学園祭を利用した者(渡した4,5曲は何の曲だったのじゃろう。知りたいのう。)もいた。例えば、クラス対抗合唱コンクール。『布教者』の音頭で曲目は『ボヘミアン・ラプソディ』で強引に決まり。混成四部でフルコーラス。ファンダンゴからのオペラのパートは連日2時間の猛練習。伴奏はピアノとドラのみ。」

助手「それはぜひ聴いてみたい。」

教授「演劇であれば、例えば『フランダースの犬』をやるなら、風車小屋が火事で燃える場面のBGMは『サンアンドドーター』のイントロ、ネロとパトラッシュが死ぬシーンでは『アヴェ・マリア』ではなく『ネヴァーモア』を使った。そんな具合だ。うう、思い出すだけで泣けてくる。」

助手「何だっていいじゃん、そんなの。高校の演劇で『フランダースの犬』?程度低いな。」

教授「結婚式のキャンドルサービスのBGM、着メロ25曲すべてクイーンという方法も定番じゃ。」
助手「どうでもいいですけど…何か地道な活動ですね〜。(馬鹿にしてる)」

教授「いやいや、若者だった彼らも今や立派な中年。日本社会の中枢を仕切っている奴も沢山いる。キリ○ビール、トヨ○自動車、○産自動車、etc…数々のCMのBGMにクイーンを起用したのもすべて『布教者』の仕業じゃ。『I was born to love you.』を聞くとキ○ン一番搾りのリッター缶を一気飲みしたくなるじゃろう?うう、たまんねえっす。」

助手「…(おめーだけだよ、そんな奴。)ト○タ自動車のCMって何でしたっけ?」

教授「プ○ナードじゃ。あまり売れんかったな。担当者は、『ボヘミアンラプソディ』の選曲は、ターゲットの40歳前後には、ちとあざとかったな、と後悔しておる。甘いのう。わしなら『バイシクルレース』を起用したじゃろう。」

助手「…(車のCMに自転車の曲流すバカがどこにいる。)いやはや、流石ですね。」

教授「日○自動車はわかるか?」

助手「ステ○ジアのウィウィルロックユーでしょ?」

教授「さよう。ケイコリーは例の怪鳥音とは全然関係ないぞ。」

助手「わかってますよ、そんなこと…あの曲メジャーになりましたね。」

教授「ああ、初めて聴いた時は、『ザンザンパ、ザンザンパ、ばでやらぼいめかびっのい…って、誰もが『お経か?』と思ったらしいぞ。」

助手「『オペラ座』,『華麗なるレース』のコテコテフルコース料理から一気に、一汁一菜の粗食って感じでしたもんね。」

教授「A−1から捨て曲かよ。って全世界がびっくり仰天。まさしくNEWS OF THE WORLD。」

助手「ところがライブでファストヴァージョン発表してからヒートアップ。いまや甲子園の高校野球でも打者応援曲で定番になってますな。」

教授「うむ。『コンバットマーチ』や『ダッシュ慶応』ほどの格はないにしても『チャンス法政』や『狙い撃ち』位の市民権は得ているな。」

助手「話がそれましたが『布教者』は曲をばらまいただけですか?」

教授「`86ウェン○リーのDVD発売も『布教者』の仕業じゃ。彼が東○からEM○に出向した90年代半ばの、DVD構想が立ち上がったころから暖めていた企画じゃったが、アンチクイーンである上司の○○に反対され続けていた。その○○がこの春、○芝の京都支社へリストラで異動になったためこの夏、実現したのじゃ。」

助手「いいんですか?こんなことバラして。」

教授「あっそうじゃ!直接クイーンの曲作りに携わった者もおるぞ。」

助手「え?まさか!本当ですか?」

教授「くどいようじゃが、何度も言うが、クイーンファンは昔から美しい女性が多くての。」

助手「くどいです。」

教授「クイーンの初来日当時、グルーピーと呼び称された女性たちで、メンバーの宿舎のホテルにまで押しかけるという過激な、今で言う『追っかけ』がいた。むろん、『布教者』たちだ。」

助手「今でも『追っかけ』って言うんかい。」

教授「彼女は銀座○越の6階で購入した、おもちゃの琴とウクレレを持ってブライアンの部屋に行き、彼の目前でその琴を使い、日本を代表する古曲『さくらさくら』を演じたところ、ブライアンは驚愕と感動のあまり、髪の毛が総毛立ったそうじゃ。」

助手「カーリーヘアがどうやって逆立つんじゃ!」

教授「そのあと彼女は日本を代表するエンターティナー、牧伸○の『あーやんなっちゃった』を…」

助手「もういい、やめろやめろ。」

教授「ちぇっ、話したかったのにのう…それで『プロフェッツ・ソング』と『グッドカンパニー』ができあがったわけじゃ。」

助手「どこが直接、曲作りだよ!」

教授「またフレディと同衾したある女性は、寝物語にフレディに日本の歌を数十曲歌わされたという…」

助手「シェラザードかよ…」

教授「歌を聴きながらまどろんでいたフレディは『ミユキ毛織のCMソング』のところで突然、目を見開き…」

助手「ははーん。」

教授「次に『犬のおまわりさん』を歌ったとき、フレディの前歯が横から見て仰角20度、隆起したそうじゃ。」

助手「200ディグリーズじゃなくて良かったですね。」

教授「こうして名曲『ボヘミアン・ラプソディ』は誕生した。」

助手「イージーカムイージーゴウ、リトルハイリトルロウと、
オーママミアママミアのパートですね、有名な話です。(どこがだ)」

教授「なかなか『布教者』たちの活躍ぶりは凄いだろう。」

助手「…(返事に困っている)… と、ところで70年代半ばからの『布教者』たちっていうのは自然発生的なものなんですか?」

教授「ボランティアという意味か?ほっほっ。若いのう小僧。人は利益なくして動きはせん。クイーンが売れたことによって利益を得たのは誰じゃ?」

助手「それは…クイーン自身とそれに関わるレコード会社、出版社、オーディオ業界…小売店…それからえっと…」

教授「もちろんじゃ。実はクイーンが売れたことによって巨万の富を得た日本人アーティストがいる。」

助手「おおっと!ここにきて新展開?誰ですか、それは?」

教授「そんな質問をやぶから棒にするもんじゃない。」

助手「普通しますよ。」

教授「キョロキョロ…(小さな声で)ここで『それは…』とかって言っちゃうと、私の首に猛毒の吹き矢が飛んできて…という喜楽院得意の展開になってこの物語は謎を残したまま、あっという間に終わっちゃうよ。」

助手「いいじゃねえすか。どうせ誰も読んでませんよ。こんなの。」

教授「おまえ最近、生意気だぞ。」

助手「なにー?やるかー?」

突然流れ出す助手の着メロ。曲名は 「I was born to love you.」。
(アミノ酸さんと、たぬたぬさんに捧ぐ。)
あたりは甘いラブリーなムードで一気に盛り上がる。

助手「あ、さきちゃんからだ。ピ。やあハニー、お元気?お電話ありがとう。」

教授「リカちゃんか。お前は。」

助手「あ、ごめ〜ん。今?仕事ー。うん。あとでかけるねー。ごめんね〜。ちゅ。あ、それと今夜はよろしくね。え?何がって…いやだなぁ、しらばっくれちゃって…うひひひひ…。」

突然流れ出す教授の着メロ。曲名は「スターウォーズ/ダーズベイダーのテーマ」。あたりは重厚な緊迫感に包まれる。

教授「げげ。…あたふたあたふた…ピ。はい。…わたくしです。あ、お疲れ様です。はい。え、ええ、もうまもなく…はい。え?玉子が切れてる?も、申し訳ございません。はい。ダイコン…紅しょうが…かしこまりました。はい。…じゃ失礼します。…ピ。…ふう。」

助手「誰からですか?」

教授「妻じゃ。」

助手「…ダースベイダーかよ…」

教授「というわけで、わしゃ帰る。じゃな。」

助手「じゃな。ってどうすんすか、このあと。」

教授「買物じゃよ。」

助手「んなこた聞いてないすよ。この話ですよ。どーすんですか。」
(続く)

助手「まだ続くんすか。もうやめてくださいよ。」
メンテ

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3部@ (オウガバトルの惨劇in音楽室) ( No.1 )
日時: 2005/12/25 15:36
名前: 喜楽院

来る2004年6月25日。
栄光の名盤『クイーンU』の日本国内発売30周年を記念し、
すべての“クイーンUファン”に、このお話を捧げます。


「もう少しボリュームを下げたらどうなんですか?
音が大きすぎます…!」
年配の女教師が声を荒げた。
時は…1975年4月上旬。
舞台はN県A市…A市立A中学校の6時間め、第2音楽室。
週に1回の正課のクラブ活動である、新年度1回めの
「レコード鑑賞クラブ」の“授業”中。
2年生クラブ員のリクエストによる、
1曲目、カーリー・サイモンの「うつろな愛」に続く
2曲目、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」の
演奏さなかのことである。
クソババアの指摘を受け、アンプのそばにいた、
学生服姿の3年生が、しぶしぶ立ちあがり、
上下スライド式のボリュームのレバーを、
R,Lとも、10段階のうち、3,0から2,5に引き下げた。
…♪トゥ・トゥ・ポマ・シェリー・マ・シェーリ…
ポルナレフのボーカルの元気さが、少し、薄れた。
「大きな音を出さなくても、聞こえます。」
吐き捨てるように追い討ちをかけた女教師は、ムッとして、
椅子に腰掛け、再び、編み物を始めた。
音量は下がったが、当時としては恐ろしく奇麗な音が
ステレオシステムから再生されていた。

平野部では日本有数の豪雪地帯でもある、この地方にもようやく
春が訪れ、そしてこの日は、この地方にしては珍しい快晴だった。
桜も満開を迎え、汗ばむ陽気である。
音楽室の大きなガラスサッシが開け放たれており、
雪で真っ白に輝く、標高2500メートル近い山岳3座から
滑り降りてくる、薫風が心地よい。
窓からすぐそばの渡り廊下にたむろしていた生徒たちにも、
ポルナレフの声は、しっかりと届いていたことだろう。
このA中学校は2年前、市内の幾つかの中学校が統合し、
全校生徒1200名弱を擁し、全く新しい校舎、新しい設備、
備品に囲まれ、今年も新年度がスタートしたばかりであった。

“K”は、3年生のクラブ員であった。
クラブの部長は、ロックに関しては校内随一の知識を誇る、
安原、という男であり、Kは実質、クラブのナンバー2的な
存在であった。
このクラブは、2,3年生を中心とする60名強のメンバーで、
人数が1クラスに収まらないため、「歌謡曲&フォーク」、
そして「ポップス&ロック」と、ジャンル別に二分されていた。
前者は第一音楽室、後者は第二音楽室をあてがわれ、
それぞれの教室には、一般の家庭ではまず、お目にかかれない、
実に高級な、ステレオ…当時、ハイファイセットと呼ばれていた
レコード再生システムが、黒板脇に鎮座していた。
スピーカーの上板が腰の位置よりも高い、巨大なもので
…なかでも第二音楽室のそれは、学校統合にあわせて購入された
最新式のシステムだった。松下電器産業が総力を結集して築いた、
『テクニクス』ブランドの上位の、恐らくは最高機種、であろう。

クラブ員は実に恵まれた環境にいた。さらに3年生ともなれば、
2年生をも蹴散らかし、リクエストも好き放題である。
夢のようなロック三昧を味わい、ロック好きな友人たちと
語り合いながら至福のときを過ごす、
貴重な45分間になるはずだった。
そしてそれは、週1回、中学卒業まで続く予定であったのに…。

ここで、Kにしてみれば…あの顧問の女教師が不満である。
邪魔である。
50歳代後半…定年間近…莫大な退職金が
彼女を待っているであろう…。
誰から見ても、一番「ラク」そうな、レコード鑑賞クラブの
顧問という、一番人気のポストを、恐らくは先輩風を吹かせたか、
後輩教師に気兼ねさせたか、して強奪したのであろう。
居眠り、ぶっこているか、編み物してりゃいいんだから楽なもんだ。
そんな幸運を引き当てながら、なおかつ更に贅沢な環境を目指し、
多少の騒音には、目を、いや、耳をつぶってりゃいいものを、
いたいけな中学生に向って、
“うるさいからボリュームを下げろ”だと?
木っ端公務員の分際で…何を考え違いしてんだか、
思い上がりも甚だしい。こういう手合いには最初が肝心…

田舎の中学生が考えそうな、幼い理論である。
彼にはまだ、世の中がよくわかっていないからしょうがない。

ポルナレフの曲が終わり、2年生の分はこれで、2曲でおしまい。
あとは全部、3年生の分の時間。…わーい。
…女教師より、こっちの方が悪質のような気もするが…
Kは、3曲目にキング・クリムゾンの
「ラークス・タング・イン・ジ・アスピック」を
かける用意をしていた部長の安原に近づいて、…言った。
K「きょうは、この時間のラストに、クイーンのサードA面の
頭から2曲をかけて、来週4月17日の、クイーン初来日、
4月19日の武道館での初公演を紹介しようと思っていたんだが、
…気が変わった。」
安原「ほう。…クイーン…いいじゃん。…どんどんやろうよ。
…で、どう、気が変わったの?」
K「…俺は…『クイーンU』をかける。…B面の頭から3曲…だ。」
安原「え?……う。☆…オ、オウガ・バトルか。
…なるほど、その手があったか。…あ、こりゃやばい。
…いやはや…こりゃ、大変だ。…あたふたあたふた…。」

安原は椅子から飛び上がり、窓ガラスを片っ端から閉めて回った。
Kはつぶやいた。「さすが安原。もう読まれたか。…やるねぇ…。」
そして、女教師に目をやる。
窓から差し込む日差しを背に、編み物に夢中だ。
足元に猫でも丸くなって昼寝していれば、最高に絵になるね…。
K「見てろよ。ババア…」

Kは、“多田金レコード”と印刷された
オレンジ色のポリエチレンの袋から、
「暗闇に浮かびあがる4つの顔」のデザインの、
黒いダブルジャケットのLP盤を取り出して、……………
ステレオシステムに、歩み寄った。

阿鼻叫喚の惨劇が始まろうとしていた。
メンテ
3部A (オウガバトルの惨劇in音楽室) ( No.2 )
日時: 2005/12/25 15:37
名前: 喜楽院

Kは黒板を背に、教室中を見渡して、言った。
K「これからかける曲は『クイーン』という、イギリスの
ロックバンドのセカンドアルバムです。
今、ラジオでもバンバンかかっていて、大ヒットしている『
キラー・クイーン』は、皆さんもご存知の通り、
最新のサードアルバムからのシングルカットです。
彼らは今月17日に初来日し、4月19日の日本武道館を
皮切りに全国ツアーに入ります。
かなり騒がれています。
ひょっとしたら、彼らはすごい人気バンドになるかもしれません。」

3年生の一部から、フフン!!!と鼻で笑う声が聞こえた。
この当時のクイーンは、まだまだZEPやパープル、
イエスらの足元にも及ばない存在であり、彼らには、
Kの言葉がかなりの誇張に聞こえた。
言ってるK本人も、誇張のつもりで言ってるからしょうがない。
しかし後年、実際クイーンは大したバンドになった。
ここまでメジャーになるとは、当時、
一体誰が予想できただろうか…。

クイーン初来日の武道館公演。Kは心から行きたいと願っていた。
しかし、大変残念なことに、彼の両親からは東京行きを
あえなく却下され、あきらめざるを得なかった。
彼はそのときどんなに嘆き悲しんだことだろう。
この秋、44歳を迎える今現在のKにとって、
『初来日公演を見逃す』、という、このことが恐らく、
『彼の人生における最大の敗着の一打』、となることなど、
この14歳の時点では夢にも思っていなかった。
約1200人収容規模のA市立A中学校体育館は、
Kが初めて足を踏み入れたとき、巨大すぎて向こう側が
かすんで見えた気がしたが、日本武道館は、
なんと1万人収容だそうだ。
彼の想像のキャパをはるかに超越していた。
また、世界一大きな音を出すバンドとしてギネス・ブックにも
載った『ディープ・パープル』の公演を、
武道館のアリーナ最前列の左端、壁のようなアンプ群の前で
体験した知人は、その後1週間耳鳴りが続いたと言う。
それも田舎の中学生には、まったく想像できなかった。
“クイーンのライブ”…“日本武道館”…妄想だけが
Kの頭の中で渦を巻きながら巨大化していった。
Kは田舎の市営体育館における入場料¥200の、
アマチュアフォークバンドの発表会程度のライブしか知らなかった。“世界の一流バンドの武道館ライブ”…それを想像することは、
…原付バイクの時速70kmしか経験していない
単車大好き高校生が、水冷4気筒DOHC16バルブ・
1300ccの300kmマシンに対して抱く妄想であり、
…また、女性を知らない若い男性が、
女性と交わることを夢想するのと、何ら変わりはない。
KはサードのA面頭からの2曲を、音楽室の最高級オーディオを
使い、比較的大きな音量で再生することで、
模擬クイーン・ライブを味わうつもりでいた。
「これが俺にとっての初来日の“クイーンのライブ残念会”さ。」、なんて理由付けをしたかった。しかし、彼は気が変わった。
「レコード鑑賞クラブ」は今後、彼にとって“楽園”で
あり続けなければならなかった。
それにはこの邪悪な女教師を追い払うことが必要だ。
それも一刻も早く。
彼女にイニシアティブを取られるわけには、断じて、いかない。
クイーンの曲…うむむ…『ブライトン・ロック』では、
役者が足りない。
では、どうする?…。
セカンドB面のイントロは適役に思えた。

快く順番を譲ってくれた安原に感謝しつつ、
Kはジャケットから塩化ビニール盤を、そう、右手薬指は
盤中央の穴にあてがい、右手親指は盤の縁を押さえながら取りだし、サイドブラックを上にして、両手の平で盤の左右の縁をはさみ、
大切そうにターンテーブルの上に置いた。

今現在のKは、この頃から29年間この曲を聞きこんでいる。
クイーンから離れ、全然聞かなかった期間を割り引いても、
どう少なく見積もっても、週に2回はこの曲を聴いている。
1年=52週としても延べ3000回は聴いているわけである。
が、これから聴くセカンドB面の頭3曲が、
この3000回の中のベスト、になることを中学生の彼は
この時点でまだ知らない。
いや、彼のその後の6回に及ぶ“生クイーン体験”をまじえても、
この時のB面3曲が彼にとっての“史上最良最高のクイーン”
だったかも知れない。

オート・スタートのボタンを押すと、
音も無くアームが持ち上がった。
ターン・テーブルが回り始め、
アームはレコードの縁の上をめがけて動き出し、
正確に縁上に止まった。
針が降りる直前、Kはボリュームレバーを素早く一度、0,0にした。どれほどの効果があるのかは別として、アンプ、スピーカーに
負担をかけないための、当時の常識として
一般的によく行われた、“儀式”である。
音も無く、針が着地し溝に滑り込まれて行くのを見届けたKは、
上下スライド式のレバーR,Lの2本を、
右手人差し指と中指を使い、下から上へ引き上げた。
レバーは“0,0”から、先ほどまで刻んでいた“2,5”を通りすぎ、
…それでもかなりの音量であった“3,0”を過ぎ……
一番上の“10,0”を指したところで、それ以上、
上にはスライドしなかった。
音量は、最高レベルに設定された。
今現在、ヤマダ電機やコジマ電機等で販売されている、
実売価格4万円〜5万円のMDミニコンポのフルボリュームなど、
この当時最強のステレオシステムの最大音量と
比較すること自体がナンセンス。
直径150cmの「ドラ」と底辺10cmの「トライアングル」の
音量、を比べるようなものである。
次の瞬間、Kはレバーから離した彼の右手に強い視線を感じた。
Kはおもむろに、視線の主の方向に振り返った。
ニヤリと笑った安原の顔が、そこにあった。

鉄筋コンクリートの、桜に囲まれた真新しい中学校校舎の音楽室。
顧問の女性教師と、約30人の生徒たち。
誰が見ても、どこをどう見ても、それはあの懐かしくて
微笑ましい「音楽」の授業中だ。
であれば、聞こえてくるメロディは、今の季節を勘案すると、
さしづめ、ビバルディの「春」か、
はたまた混声合唱による滝廉太郎の「花」か…。


残念ながら…予想は大きくはずれ、
ブーン…という、微かなアンプの唸りにかぶるように
♪シュワ〜〜…というガス漏れのような音が流れてきた。


数十秒後、…雪国の中学校にようやく春が訪れたように、
音楽室にも、凄惨な『修羅場』が訪れることになる。
メンテ
3部B(オウガバトルの惨劇in音楽室) ( No.3 )
日時: 2005/12/25 15:38
名前: 喜楽院

『ホルスト作:組曲「惑星」より“木星”』をを引っさげ、
関東大会連続出場を果たした名門吹奏楽部の本拠地、
A市立A中学校・第ニ音楽室。
その中でKは、シュワワ〜〜というガス漏れのような音が
流れてくるのを聴きながら、黒板の前に立った。

1、 うつろな愛/カーリー・サイモン
2、 シェリーに口づけ/ミッシェル・ポルナレフ

と、黒板には2年生クラブ員により、白いチョークで書かれていた。
Kは黄色いチョークを手に取り、その下に続けて

1、 オウガ・バトル
2、 フェリー・フェラーの神技
3、 ネバーモア
/QUEEN

と、手早く書きこんだ。
書き終えた頃、ガス漏れの音は、浴室からドア一枚隔てて
聞こえてくる霧状のシャワー音に似た音に変わり、
やがてシャワー音は、晴れた日の、荒れた路面の高速道路を、
ワイドタイヤを履いた大型セダンが150km/hで
疾走する時のロードノイズのような音に変わる。
♪グワ〜…グワワ〜〜…
ここまでくると…いやはや、壮絶な音量である。
早くも教室内の30人のうち、半数以上が耳を押さえ始めた。
さすがに女教師の編物の手が止まった。あたりを見廻している。
K「ふふっ。まだ耳を押さえるのは早いよ。」
Kは、ひとりごとをつぶやく。
確かにKや安原は、このオウガバトルのイントロが、
この先どういう展開になるか知っている。
それでも段階的に音量は暴力的に増して行く中でかなりの不安を
覚え始めるのだが、この曲を初めて初めて聴く者が、
ましてやこの音量が盛り上がって行く中で、
感ずる不安というものは一体どれほどのものだろう。
想像するのも、怖い。
教室内の大多数の人間が、恐らく生まれて初めて聴くであろう
大音量に、更にその音量が増して行くことに、
Kは一抹の不安をおぼえる。
これからまだまだボルテージが上がっていくというのに、
すでに…信じられない位の音量。
1ケ月ほど前、彼は、仲間とこっそり、この教室でエマーソン・
レイク&パーマーの「トリロジー」をかけたことを思い出した。
許可無く、音楽室でレコードをかけることは禁じられている。
そのため、周りに気づかれないようにそのときは
ボリュームレベル、3,0と比較的大人しい音量で聴いたのだが、
(それでもこのシステムでの3,0は結構な大音量だが)
グレッグ・レイクのやたら透明感のあるベース音に、
大型アルミサッシの窓ガラスがビンビン共鳴し、
あわや、割れる寸前となり、慌ててボリュームを下げた、
というのを思い出した。
この調子で行くと…
if it goes on like this…
どこかにこんな歌詞の曲、あったな…なんて考えてる場合じゃない。
オウガバトルの…最初のコーラス部直前の究極の盛り上がり…
あそこで十数枚の窓ガラスが全部、砕け散るんじゃないか???
まあ、Kは、学業成績はそこそこの上位におり、かつ
クラブ活動で、県大会上位入賞常連の、県下でも数少ない
50メートルプールを持つ強豪水泳部の部長である。
自分はまじめで模範的な生徒である、とKは勝手に自負していた。
たかだか、ガラスが全部割れたくらいでは、
「すみません。ボリューム操作を誤りました。
以後、気を付けます。」と謝罪すれば、顧問の女教師の責任
ということで、Kは無罪放免になるだろう、
と、タカをくくっていた。
が、しかしだ。
それよりもなによりも、これから先の、あの音に、
みんなの鼓膜は耐えられるのか?
保健室へ次々と担ぎ込まれる事態にはならないのか?
極度の不安が、Kを襲う。
そして、あの音がやってきた。
音楽室ほぼ全員が耳を塞ぎ、うつむいて目をつぶり…
髪の毛が総毛立つ勢いで…。

予想をはるかに上回る轟音が、Kの全身を突き刺す。
12メートルの大型観光バスでさえ吸い込むことが出来る。
巨大な掃除機が、もし存在して、人間がそれに吸い込まれる、
などということがあったら、さぞかし、今の状態と
酷似しているだろう。
身体中がバラバラになりそうな一瞬を、かろうじてクリアすると
♪あーーーー・んあ・んあ・んあ・んあ…
と、逆回転録音で再生された分厚いクイーンならではのコーラスに、
一瞬救われた気に、なる。
続いてブライアンのレスペの唸りが音楽室の空間を切り裂き、
ロジャーのドラムスが、ンダ・ンダ・とリズムを刻む。
やがて、ある一点を折り返し点として、テープが逆順から
正回転に戻り、ドラムスは、ダン・ダン・と本来の音に帰る。
そしてレスペが今度は音階を駆け上がり、正回転のコーラス。
耳をつんざく大音響。そしてようやくフレディのボーカル。
♪ナウ・ワンサポ〜ナ〜・タイマノーマン・
トーミーア・フェイボー…
歌が始まれば、先ほどの轟音に比べれば天下泰平である。
教室の皆様は???…良かった。誰も泡を吹いていない。
ガラスは?…揺れてはいるが、割れそうな勢いではない。
ガラスへの衝撃は、単にボリュームだけの問題ではないらしい。
不思議なものだな、とKは思った。
さて、ババアは?…Kは少し心配そうに彼女の方を見る。
どうやら、両手を使って編物をしているのを忘れるくらい仰天して、
慌てて耳を塞ごうとしたらしい。
編み棒と編物を床に落として、這いつくばって拾おうとしている。
腰が抜けているようなギコチない動き方だ。
“あたふた”という言葉がこれ以上似合うシチュエーションは
ないだろう。
Kは、ここで改めてクイーンサウンドに聴き入る…
オウガバトルのフルボリューム…名曲である。素晴らしい。
通常の音量とは全く違う曲に感じる。
“音”というものが、体積、質量を伴い、目に見える形として、
音楽室の中を占拠しているような錯覚に陥る。
数十個のダンボールが転がりまわっているようでもあり、
何万個というカラーボールが群れをなし飛び回っている
ようでもある。圧倒的な、音、音、それだけである。

♪カム・トゥ・オウガ・バト・ファーイ…
ババアがわれにかえった。
ひと呼吸おいて…彼女は、ツカツカとKに歩み寄り、いきなり、
「……………!………!!」
と、何かわめいているようだが、もちろん何も聞こえない。
手でお椀の形を作り、耳のそばにくっつけ、口を「え?」という
形に開けようかとも思ったが、無視した。
するとババアは右手でステレオシステムを指差し、
また何かわめき始めたようだ。
くどいようだが、ホントに何も聞こえない。
ババアは周りを見渡し、口をパクパクさせていたが、
編物道具を抱え、音楽室から出ていってしまった。
あとで聞いたら、あのあとババアは「歌謡曲&フォーク」の
第一音楽室へ逃げ込んだらしいが、あいにく、そこでは顧問が
いないのをこれ幸い、井上陽水の「東へ西へ」を、これまた
フルボリュームでかけていたらしく、ババアは足も踏み入れず、
出ていったそうである。
クイーンの轟音は、かくして「フェリーフェラーの神技」へと続き、
美しい「ネバーモア」の旋律をもって、音楽室の中学2年生たちは
轟音から無事、開放されることになる。

ババアは結局その後の1年間、レコード鑑賞クラブ活動には、
一度も顔を出さなかった。

クイーンをはじめ、ZEP,パープル、イエス、ELP,
フォーカス、ピンクフロイド、クリムゾン、
ウィッシュボーン・アッシュ…
ロック音楽が百花繚乱、進化の大爆発を遂げた、70年代中期の
ありとあらゆるバンドの曲が、毎週毎週、顧問のいないのを
いいことに音楽室のスピーカーを大音響で鳴らした。
やがて、2年生からは“ポップス曲”のリクエストが、
あんまり出なくなる。
ついに洗脳されたのかもしれない。

高校受験、そして卒業を控えた冬、クラブ員の2年生の女の子が
いち早く自ら購入した「オペラ座の夜」を持ってきて、
3年生を含むクラブ員みんなを前に、胸を張って、大轟音の
オペラパートもまた秀逸であった「ボヘミアン・ラプソディ」を
かけてくれたのを思い出す。
そのときのKの、うれしさたるや…。
そう、こうしてクイーン信者は、確実に数を増していった。
おそらく、全国各地で似たような光景が繰り広げられていたことと
思うが、ここもまた、例外ではなかった。
かくして…クイーン信者は、クイーンが新たなアルバムを
発表するごとに倍々ゲームで数を増やしていくことになる。

(クイーン布教活動・第3部・終わり)
メンテ
7部@(衝撃の『ボヘラ』初体験) ( No.4 )
日時: 2005/12/25 15:39
名前: 喜楽院

1975年(昭和50年)冬。たぶん12月。
私、Kは、15歳になったばかりの高校受験を間近に控えた
中学3年生でした。
志望校のJ市T高校は定員315名に対し志願者は316名。
もはや不合格は考えられず、受験生としては余裕の日々を
過ごしていました。
スティーブン・スピルバーグの「JAWS」(第1作)が、
公開前からかなりの評判となっていた、あの頃であります。
『受験勉強は、もう無駄だ』と、ろくすっぽ勉強もせず、
自転車による日本一周を夢見ながら、来る日も来る日も
日本列島の海岸線一周の旅程を組みながら夜を過ごし、
また、この年代になると突然、花が開いたように美しくなる
同級生の女の子たちのことを気にしながら昼間を過ごして
いた(当時は当時で悩み多き日々だったのでありましょうが)
今から思うとつくづく幸せな時代でありました。
Kが非常に興味を抱いていた『ロック音楽』も、進化の
大爆発を続けていた頃で、次に何が起こるか本当にわからない
百花繚乱の時代でありました。

当時のロック・シーン及びロック・バンド『クイーン』を
簡単に説明するとなると難しいのですが、まず当時の、
今よりははるかに少ない数のロックファンにおける、一つの
興味の対象となっていたのが、あの『ミュージックライフ』と
いうロック雑誌の『アーティスト人気投票』で、その動向から
紹介しましょう。
毎年4月から、月ごとに投票された結果が蓄積され、
その年度末の3月に年間順位が決定するわけですが、
74年の3月に決定した73年度の第1位はレッド・
ツェッペリン、第2位が、来日公演を果たしたばかりの
イエスでありました。
“ロックといえば大音量”という先入観がまだまだ幅を
きかせていた時代であります。
電気の力による、アンプで大幅に増幅されたその音量は、
簡単に100人のオーケストラの代わりになり得ました。
“大音量”…その代名詞でもあったツェッペリン、
ディープ・パープルの両巨頭の間隙を縫い、イエス、
キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、EL&Pなどの
プログレッシブロック勢が花開いた時期であります。
翌、74年度は、(75年3月に年間順位が決定するわけ
ですが)1位は、これまた来日公演を果たした影響で
EL&P,2位は前年王者、レッド・ツェッペリン、
4位はイエス、5位はディープ・パープルと、大御所達が
ズラリと並びます。
ところが3位には、なんと3枚のアルバムしか発表していない
新参者の、世界的にもまだまだ無名の『クイーン』が、
ひょっこりとランク・インし、Kは大変びっくりしたもの
です。
その前の年の暮れ、某レコード屋のワーナーパイオニアの
新譜アルバム3枚の宣伝ポスターで、イエスの
『リレイヤー』、パープルの『嵐の使者』を両脇に押しやり
センターに『シアー・ハート・アタック』が配された
“奇襲”が一瞬、頭の中をかすめます。
いきなり3位。
プロ野球の『東北楽天ゴールデンイーグルス』が
開幕20連勝でパ・リーグ首位を突っ走る、よりも
凄いことかもしれません。
直後の4月に初の来日公演を控えているとはいえ、たかだか
『キラー・クイーン』のシングルヒット一発で、なんで
いきなり3位なんじゃ?と大勢のファンが驚いたことと
思われます。
逆に、あの時の“3位”という大波乱が、その後のクイーン
人気を大きく加速させたとも言えます。
『戦慄の王女』『クイーンU』『シアー・ハート・
アタック』、この3枚のアルバムをじっくり聴きこんだ
Kの判断をもってしても、確かにクイーンは“並みの新人”
ではありません。
ビッグネームになる可能性だってなきにしもあらず、です。
ただ、いくらなんでもイエスやパープルをさしおいての
『3位』はないだろう。7位〜10位あたりが妥当って
もんじゃないの?
恐らく誰もがそう思ったに違いありません。
クイーンに投票した人々ですら同じ感想でしょう。
『クイーン=人気先行型バンド』。
おそらく、多くのロックファンの第一印象であると
思われます。
やがて彼らの甘いルックスも、一般の大勢の人たちに
判明します。
そして“女性がロックを聴いてる”なんていうもんなら
“珍しい!”って言われていた時代に、多くの女性たちが
熱狂し、さらにその女性たちの年齢層がかなり若い世代で
あったことから、マスコミも『ロック界に革命的な新陳代謝を
もたらした』とあおりたてます。
『クイーンファン=西城秀樹や郷ひろみファンのノリ=
ミーハー』という図式で、クイーンファンを見る人たちも
現れはじめます。

ま、そんなことはどうでもいいのです。
故マーキュリー氏が言ったように、音楽は『良い』か
『悪い』か、なのです。
Kの周りにはロックファンが多く、『シアー・ハート・
アタック』を購入した人も少なくありません。
クイーンファンにとって他人のクイーンに対する評価は
気になるものです。
Kが彼らにサードアルバムの感想を聞くと、否定的な意見は
ほとんど帰ってきません。
逆に「Kよ。お前はどう思った?」ってよく聞かれました。
彼らにしても気になっていたわけです。
実際、サードアルバムは『良い』のです。

Kは、にらんでいました。
クイーンの潜在能力はこんなものでは、ない、と。
『ファースト』『セカンド』『サード』のそれぞれの出来
から言って、彼らは自分たちの手の内、トランプのカードで
言うなら、10枚ある切り札のうち、たかだか半分の5枚
くらいしか、まだ見せていない。
残りの半分は今後の、4枚目、5枚目のアルバムで
あきらかになるだろう。
本当に楽しみだ。
まあツェッペリン、パープルと肩を並べるというのは
さすがに有り得ないだろうけど、ひょっとすると、彼らの
足元くらいには及ぶ実力が、もしかしたら在るかもしれない。
それはちょっと買いかぶり過ぎだろうか?


あらためて1975年(昭和50年)冬。
発売前からかなりの話題になっていた最新作、4枚目の
『オペラ座の夜』がKの手元に届く。Kは嬉々として自宅に
帰り、ステレオで再生を開始する。

数十分後…。『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』が
鳴り響く頃、Kは、…思い知らされることになる。
クイーンの切り札が10枚?
とんでもない…。
メンテ
7部A(衝撃の『ボヘラ』初体験) ( No.5 )
日時: 2005/12/25 15:39
名前: 喜楽院

さて、クイーン最新作、4枚目『オペラ座の夜』の
うわさは、最初どんな風に中学3年生のKの耳に
飛び込んで来たのだったろうか。
クイーン最新作は…「オペラ風のアレンジがされている。」
…「オペラを意識した作品になっている。」とかナントカ、
どのような表現だったかは忘れてしまったが、大体、
上記のような雰囲気だったと思われる。
「オペラ風のロックってどんなん?」と当時、
“オペラ風”というものがロックで表現されると、
どんな感じになるのか想像もできなかった。当たり前だ。
「オペラ座の夜」は、前にKがディープ・
パープルの
「ハイウェイ・スター」を聴いて喜んでいたのに感化されて
「マシン・ヘッド」を購入した友人Tがその購入を表明した。彼は金持ちなのだ。
「オペラ座の夜」のほとんど発売日に購入した彼は、
それこそ一晩か二晩聴いただけでKに貸してくれた。
友人Tに感想を聞いたはずだが覚えていない。すみません。
中学校から、いさんで帰ってきたKは、ロック雑誌の
レコード会社の広告で見慣れたジャケットの実物を、
改めてしげしげと眺める。
クイーンの紋章をデフォルメした図柄の、
白いダブルジャケット。
レトロさを感じさせる「A Night At The Opera」のロゴ。
見開きジャケの内側に印刷された歌詞文面は、
斜体のかかった角ゴチック。
首にナイフが刺さった人の顔のイラスト。
センスがいいんだか悪いんだかわからない。
「うーむ。これがクイーンの新譜か。」
収録曲に関する予備知識といえば、「ボヘミアン・
ラプソディ」という曲がアルバム代表曲で、なにやらとにかく
“凄い”らしいこと、と「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」が
イギリス国歌をアレンジしたインストゥルメンタルらしい
こと。これだけ。田舎の中学生だもん、しょうがない。
夕暮れに差し掛かり、あたりが薄暗くなり始める頃、
Kは彼の父の部屋で、ステレオ再生装置のターンテーブルに
盤を置いた。
ふすま一枚隔てた隣りの居間には、
自営業の母が伝票の計算をしている。
音量には気をつけなければならない。
小学校5年生の時にサイモン&ガーファンクルの
「BOXER」という曲を聴いていた処、
「ライラライ・ライラライライ…」のリフレインのところで
「うーるさいなーっっ。」と怒鳴られ、ステレオの電源を
チカラいっぱい切られてしまった苦い経験を持つ。

曲が流れ始める。
「デス・オン・トゥ・レッグズ」。
クイーンの新譜を“待ちに待って聴く”のは初めてのことだ。
極力、先入観を持たないよう、演奏時間も確認せず、
かつ、あえて歌詞文面も見ないで聴き始める。
『ファースト』『セカンド』『サード』以外の、
クイーンの手による曲がこの世に存在していたことに
改めて喜びを感じる。
そのため、確かにクイーンの演奏なのだが、
クイーンの曲でないようにも感じる。
「♪But Now You Can Kiss!」の効果音にハッとし、
「♪Feel Good!」の分厚いコーラスに、絶好調の
今の彼らの勢いを垣間見る。
次の「レイジング・オン・ア・サンディ・アフタヌーン」。
一応、それっぽい。これがオペラっぽいってことか?
「シーサイド・ランデブー」までA面を一気に聴く。
なるほど、『サード』並みにバラエティに富んでる。
ただ、おもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさではなく
どこか一貫性のある、悪く言えば醒めた印象をなぜか感じる。なぜだろう。
B面。大作「プロフェッツ・ソング」。
当時としては並外れた傑作である。
『クイーン美学の真骨頂』、それ以外の、何者でもない。
「ラブ・オブ・マイ・ライフ」〜「グッド・カンパニー」と
続き、いよいよ注目の「ボヘミアン・ラプソディ」を迎える。
わくわく。

ここまでなかなかいい内容である。こりゃあ売れるわ。
大したもんだ。やっぱこいつら凄いな。才能あるな。
Kは感心する。
でも…一体どこが“オペラ”なんだろう?…。
この多彩なアルバム構成が、オペラってことなのか?
それとも、この曲に何かヒントがあるのか…?
それと…ウワサに聞く、この曲の凄さって何なんだろう?

「♪Is This The Real Life…」
多大な期待を担い、やおら曲が始まる。
う…。アカペラのスタート。珍しいぞ。
クイーンでも初めてか?
希少性。これだけでも凄みを感じさせる。音が厚い。
「♪No Escape From Reality…」
ここまでずっとアカペラ。永い。最後までアカペラかや?
…まさかね。少し不安。
「♪Open Your Eyes…」
ようやくピアノが入ってきた。よかった。
「Easy Come Easy Go…」
お?ミユキ毛織のCMみたい。
「♪To Me〜」
「♪Mama〜Just Killed A Man」
ベース音が入る。続いてマーキュリー氏の独唱。
今までのがイントロで、これが本編か。
バラードだ。いい曲だな。

「♪Mama〜Woo〜Didn’t Mean To Make…」
ドラムスが参入する。音に厚みが増す。うまいな。
やがてセカンドコーラスの途中からは、
待ちに待ったギターもかぶさってくる。やるじゃん。
中学生の分際で生意気だが、かなりの成長がクイーンに
みとめられる。
バラードは盛り上がり、歌詞の意味はわからんがボーカルが
切々と何かを訴えようとしているのはよくわかる。
「♪Sometime Wish I've Never Been Born At All…」
いい声だ。歌いきった。…名曲現わる。いいぞ。
歴史に残るバラードだ。流石はクイーン。
感情の起伏と流れる涙を思わせる、哀愁漂うギターソロが
クロージングを予感させる。
あとの曲はインストゥルメンタルだけ。終わりだ。
「オペラ座の夜」。いや、これは名作だ。
やはりクイーンは並みの新人ではなかった。
世界の一流バンドの仲間入りだ。Kの目に狂いはなかった。

もし、この曲を、歌詞カードを見ながら聴いていたなら、
終わりっぽい雰囲気なのに、歌詞はまだ半分しか
進んでないぞ、といぶかしく思ったことだろう。
回転しているレコード盤を見れば、無録音の黒っぽい
溝と溝の間の録音されてることを示す、ほの白く光った
部分の真ん中辺にレコード針が漂っているのを
見つけることが出来たろう。
Kは勘違いしていたが、曲はまだまだ途中なのだ。

突然、ギター音がストン、と落ち、
ピアノがリズムを刻み始める。
明らかに雰囲気が変わる。
え?…まだ続くの?…。なんで?
「♪I See A Little Silhouette…」
なにこれ。やめときゃいいじゃん。雰囲気ぶち壊し。蛇足…
こともあろうに、一瞬そんな風にさえ考えたその刹那、
「♪*******************************************
***********************************************」
なに?これ?ガリレオフィガロ?
考える間も無く、
「♪*****************************************
*********************************************」
! 声にならない…。ビスミラ?
目の前が真っ白になる。
何が起こったのか理解できない。
今のは、なんだ?
確か俺はクイーンの新譜を聴いていたはすだ。
お、驚いたなんてもんじゃない。
腰が抜けた。
こんなの聴いたことない。うそだろ?
「♪********************************************
************************************************」
ママミアレッミーゴー?
…凄い凄い凄い凄い。ただひたすら、圧倒される。

『♪…For Me〜〜〜〜』
オペラパートの終わりを告げる金切り声後に、
ギター音がうねり、ようやく我に返る。
そうか、“オペラ”ってのはこのことかい。やるな〜。
いやはや、凄まじいものだ。どうやって録ったんだ。
クイーンか…こりゃまたエライのが現れたもんだな。
それにしても、なんという進化の仕方だろう。

『♪Anyway The Wind Brows…』
ドラが鳴り、奇蹟が終了する。
続いて「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」が鳴響き、
Kは冷静さを取り戻す。
切り札が10枚?
とんでもない…100枚くらい持っていそうだ。
なにしろ、彼らのふところの深さは尋常じゃない。
どこまで伸びるんだか、想像も出来ない。末おそろしい。
130km/hのストレートを投げる、評判の中学1年生
ピッチャーに、プロ選手が少し手ほどきをしたら
150km/h出ちゃいました、高校生や大学生になったら
何km/h出るかわかりません、とりあえず180km/hを
目指します。あはは…。
そういうノリだな。
俺のチンケな予想なんかをあざ笑うかのように、
軽々と超えていった「クイーン」…。
モノが違う。スケールが違う。
ツェッペリンやパープルの足元に及ぶかもしれない、だって?
買いかぶりだって?
いえいえ、肩を並べても不思議じゃない。
いや、それも時間の問題だ。
それどころか、いつか追い越しちゃったりして…。
こいつら、次は何をやらかすんだ?
そして、その次は…?
クイーンが…将来途方もない何かを実現しそうな
予感が頭の中を渦巻く。それが、しばらく止まない。


リアルタイムでクイーンの音を追いかけ、
リアルタイムで新曲の「ボヘミアン・ラプソディ」を
耳にした人は、程度の多少の差こそあれ、大概は上記と
似たか寄ったかの感想をお持ちになったことでしょう。
皆様。あれから30年、あれほどの衝撃を、音楽を聴いて
得たことがありましたでしょうか?。

※リアルタイム・クイーンファンのDNAを
脈々と、力の限り、若い世代の方々にお伝え致したく。

(クイーン布教活動≪第7部≫終)
メンテ
10部(Q+PR公演のお作法)(1) ( No.6 )
日時: 2005/12/25 15:42
名前: 喜楽院

2005年9月26日(月)17:04
東京都千代田区富士見2丁目:
喜楽院音楽大学/鯨岡ゼミ「クイーン研究室」

教授「いよいよ、『Q+P』の公演まであと1ヶ月じゃの。」
助手「お、小文字でなく、ちゃんと大文字で『Q+P』って
書いてますね。えらいえらい(^^)。」
教授「公演に行かれる方々は、さまざまな想いを胸に、
その日を指折り数えて待っておられることじゃろう。」
助手「行かれない方だって、わくわく状態でお待ちですよ、
きっと。それにしても、まさか・・・『プラスP』とはいえ、
クイーンの公演が20年の時を超えて本当に実現するとは・・・。
感無量のものがあります。」
教授「そういえば2年前になるが、クイーンのライブに
おける“守るべき作法“一覧の特集をこのサイトに
掲載したことがあったのう。」
助手「2003年の12月ですね。その年の夏に、
いきなり東京ドームの巨人戦試合中、ナントカビジョンに
クイーンのライブ映像が映し出され・・・。
何故、今、クイーンなのだ?・・・。
と、マスコミがまず騒いだ。
・・・で、ブーム再燃の予兆が発生する。」
教授「その後、人気タレント、ケムタムのTVドラマ
『フライド』にクイーンの曲が使われるという情報が
飛び交い、日本中の新旧のクイーンファンが大騒ぎ・・・。
子育て一段落の主婦軍団をはじめとする、リターン組
ファンが全国各地で大増殖。」
助手「そして、それと噛ませてベストアルバム
『クイーン・ジュエルズ』の発売・・・。
それがまた、新たな若いクイーンファンを創造し、
中年の“闇のクイーンファン”をも取り込んで
とんでもない発売枚数を記録し、また大騒ぎ。
鎧袖一触のクイーン旋風。この話題で2004年は持ちきり。
このサイトではその後、greenisle様からの
WWRYミュージカルの紹介等々でこのクイーンブームは
世界的規模で本物だ、とK&Kサイトの皆様が確信。
そして今回の2005年前半〜半ばのWWRY騒ぎは皆様も
ご承知の通り。
この2年間の一連のムーブメントは2003年末では、
全く予想もしてなかった。・・・」
教授「あのときの『作法の一覧』の設定は・・・。
K&K掲示板読者ご一同様が、都内某所でオフ会を大人数で
開催していたところ、突然、2003年から1980年代半ばの
日本武道館の前にタイムスリップ&ワープ。」
助手「そうそう。思い出しました。・・・なんとそこは…
クイーン来日公演ツアーの初日。開場直後の17:00。
なぜか我々は唸るほどの大金を持っていて、ダフ屋から、
全員分のアリーナ席、しかも最前列か2列目の
『砂かぶり席』をゲット。まことに都合の良い設定です。」
教授「そこで、さていざ武道館へ入場。・・・。
いや、その前にキミタチ、ちょっと待ったあ〜〜。
いいかい。みんな。これからクイーンのコンサート。
降って沸いたような奇跡の実現だ。千載一遇のこの機会を
後悔することなく思う存分に楽しもうじゃないか。
でも、我々は天下のK&K掲示板読者一同。
ナンバーワン・クイーンサイトの名にかけて、
一般のクイーンファンの前で下手さらすんじゃねえぞ!
素人じゃねえんだから。…ライブにおける作法の要所は
しっかり押さえるべや?
ってな調子で、コンサート中の守るべき作法を確認しあう。」
助手「なるほど、今回の布教活動10部ではそれの
『Q+P』版・・・。つまり『焼き直し』をおこなうわけですね。
そうですか。ネタにお困りのようでいろいろと大変ですね、
教授。」
教授「ほっといてくれ。(TT)
・・・では、はじめるとするか。何?横浜?…。ち。
武道館ならここから歩いてでも行けるのに、横浜か・・・。
遠いな。」
助手「随分リアルな設定ですね。追加公演なわけですね。」
教授「ネタには関係ないがな。・・・さて、横浜アリーナ到着。
チケットを取り出し、会場内へ入場じゃ。その際、
バッグの中にカメラや録音機が入っていないか、
バッグを開けてチェックされることがある。」
助手「ありますあります。いつもどうされてます?」
教授「@、入場ゲート通過の際、『何も入ってませんよお〜』
と、さわやかな口ぶりで係員に声を掛け、軽やかなステップで
歩いてると、普通チェックされない。」
助手「いきなり、嘘クサイですね・・・。
余計、怪しまれやしませんか?」
教授「クイーンコンサートの常連者たるもの、バッグの中身を
調べられるなんてことは、末代の恥じゃ。打ち首じゃ。」
助手「そういうもんですかねぇ・・・。」
教授「A、入場後、客席に移動する際、クイーングッズを
販売している売店・屋台の販売品目および価格を素早く
チェック。頭の中に叩き込む。」
助手「なんで?その場で欲しいものがあれば買えば
いいじゃん。」
教授「座席についてから、販売品目と価格をゆっくり
反芻するのじゃ。のちほど心落ち着いてから購入。
衝動買いはご法度じゃ。」
助手「『牛の食物消化』以外に、反芻という語句を使用
するのはなかなか滅多に見られるものじゃありませんね。」
教授「B、それから…。座席に着く前、アリーナ席、つまり
階層化されている一番底面の客席の通路を歩いているときに
一度立ち止まり・・・。実質の2階席・3階席で、ワサワサと
している連中を見渡し、ニヤリと、優越感に染まった嘲笑を
満面に浮かべてから、着席する。へっへっへ。」
助手「そんなもん、誰も見ていないと思います…
…にも関わらずそんなマネを…。
『ヒクツなジサマ』の言葉通りですね。」
教授「開演は18:30としよう。2階席・3階席からは
紙飛行機が雨アラレと降り注いでくるが、無視。
実質1階席と、実質2階席や3階席の連中との間には明確な
ヒエラルキーが存在するのじゃ。相手をしてはいかん。」
助手「何故かしら、お話を伺ってますとだんだんムカムカ
してきます。」
教授「さて、ここからは演奏本編に入る。
あまり正確な記述をすると『ネタバレ』になる恐れがある。
今、これを読んでおられる方はほとんど、セットリスト、
あるいは『ROTC』の収録曲など頭の中に入っておられる
じゃろうが、中には、意識的に予備知識一切なしで観に
行かれる方も少なからずいらっしゃるはずだ。
と、いうわけで、この先は全く空想上の話じゃ。
実際とはかなり違うぞ。よろしいかな?」
助手「はいはい。」
教授「C、さて18:30を過ぎても一向にはじまらない。」
助手「わかります。いつものことですね。」
教授「19:02、やおら場内の証明がフッと消える。
場内にイナヅマの如く、緊張が走る。
その時、少なくとも自分が女性であると思われる方は、必ず、
『キャーーーーーーーッ』という悲鳴を上げなきゃダメ。」
助手「…女性?…でないとダメなんですか?」
教授「そう。男性の黄土色の声じゃダメ。
女性の黄色い声じゃなきゃいやだ。」
助手「…教授。それはもしかしたら、あなたの個人的な
趣味というものです。」
教授「かもな。…1万人を優に超える女性の悲鳴などそうそう
聴けるものではない。楽しみじゃのう…。わくわく♪。」
助手「相変わらず理解に苦しみます。
意味がよくわかりません。」
教授「D、ここでいきなりメイ氏の手による
『タイ・ユア・マザー・ダウン』のイントロが炸裂する。
♪でんででれれ・でんででれれ・・・。」
助手「ほとばしる10000人以上の女性の黄色い悲鳴と、
10000人以上の男性の黄土色の怒号。
ああ、想像しただけで涙が溢れます(TT)。
・・・ティッシュ、ティッシュ。…ふびーーーっ。」
教授「テイラー氏のドラムスが介入し、同時にライト・オン。
原色の照明の洪水が網膜をあぶり、舞い立つスモーク、
耳をつんざく大音響、早くもアリーナは全員総立ちで、
ダンシングがスタート。うっじゃうじゃ。
場内割れんばかりの大歓声・絶叫。
一気にフル・ボルテージへ突入。」
助手「いいですね。ゾクゾクしてきますね。」
教授「ここでの注意点。オープニングは神聖な時間、で
あるのじゃ。ですから、ここは、『やっと…、やっと、
クイーンに会えた!!』という率直でピュアな感動を皆様、
各個人個人の全力を振り絞って表現していただきたい。」
助手「当たり前です。」
教授「たまにいるんじゃよ。」
助手「何がです?」
教授「そこで、例のポール・ロジャースがだな、
下手して上半身、裸で、なんて出てきてみろ。
『琴欧州――!!』などと意味不明な絶叫をする
ヤカラが・・・。」
助手「そ、そんな奴いませんよ。」
教授「いや。そんなのはまだいい。許せる。許容範囲じゃ。」
助手「もっと凄いのがいるんですか?」
教授「『フレディはどこだー!!』などと叫ぶ
悪質な奴が必ずいる。」
助手「半殺し、いや、全殺しにされますね。そんな奴は。」
教授「多分な。で、次。E『’39』という曲がある。」
助手「このサイトにもファンを沢山持つ曲ですね。」
教授「この曲は、完全武装で。歌詞をちゃんと覚えて
出かけてください。忘れた時は出かけずに。(古)」
助手「(アメックスかよ。)まあ、涙で詰まって…
フルコーラスなんて歌えるわけがないとは思いますがね。」
教授「F、次、『ラブ・オブ・マイ・ライフ』。
…これも『'39』同様、歌詞はフル暗記で。
ワンコーラスは合唱・斉唱。セカンドコーラスの
♪ブリンギッバーック以降は観客席の皆様の斉唱となります。
斉唱の終了後、ポールが何か言います。
『アブソリュートリイ・パーフェクト!』でしょうか?
『サンキュウ!ビューティフル・ピーポー』でしょうか?
あるいは、はたまた違う言葉が掛かるかもしれません。
いずれにせよ、男女問わず『ワーーッ』という大歓声を
お返ししなければなりません。ライブ・バージョンも
聞き込み、♪Still I Love you〜の高音部の音も把握して
おかねばなりません。クロージングの『う〜〜、う〜〜、
いぇええ〜〜』にも必ず付き合わなければなりません。」
助手「・・・んなこた皆様、わざわざ言われなくたって
ご存知ですよ。」
教授「G、次は『ムスターファ』じゃ。」
助手「なにぃ?…『ムスターファ』?…。
…ちょっと待ってください。教授。そんな曲、
まさか今回の『Q+P』が…。」
教授「いや。可能性はあるよ。」
助手「まさか。」
教授「こんな話を耳にした。」

(2)へつづく
メンテ
10部(Q+PR公演のお作法)(2) ( No.7 )
日時: 2005/12/25 15:43
名前: 喜楽院

2005年9月中旬。
メイ氏とロジャース氏が打ち合わせをしている。
メイ「MR.ロジャース。実は・・・10月下旬の
ジャパンツアーのセットリストのことだが・・・。」
ロジャース「セットリスト?・・・ああ、国別で
セットリストを少しづつ変えている話かな?」
メイ「その通りだ。察しが早いな。・・・。テイラー氏や私は、
日本について少なからず愛着を持っている部分がある。
いわば第2の故郷だ。今回、日本のファンの意向に沿うよう、
多少のセットリストの入れ替えをしたいと考えている。」
ロジャース「簡単な話だ。『手をとりあって』を入れれば
それでOKなんだろう?MR.メイ…。
僕に歌えない曲なんて存在しないよ。」
メイ「MR.ロジャース。聞いてくれ。この間ジャパンツアーの
チケットをゲットした方の中からアトランダムで2000人を
抽出し、アンケートを行った。何故、2000人かって?
TV見たことないのかい?…僕の得意な統計学上、昔から
そうなっているのさ。アンケートの内容は、“コンサートで
演奏して欲しい曲は何か”という内容だ。」
ロジャース「それで?」
メイ「上位…、ベストの10曲は出揃った。」
ロジャース「何か問題があるのか?」
メイ「10曲のうち『ROTC』に収録されている曲は
8曲だった。」
ロジャース「ほほお?では2曲がニューカマーとなる
わけだな。ああ、わかった。オーライ。その2曲の内の
1つは『手をとりあって』というわけだな?」
メイ「イエス。その通りです。『手をとりあって』は
ランキング10位でした。」
ロジャース「さすが日本。あんな地味な曲が10位とは・・・。
とはいえ、難しい曲ではない。ま、いつでも歌ってやるぜ。」
メイ「もう1曲のランキングは5位だった。」
ロジャース「5位?。随分高いランキングだな。当然その曲も
歌わねばなるまい。それでなければ我々はプロじゃない。
しかし…なんていう曲なんだ?我々のセットリストに
入ってなく、それがランキング5位だと・・・?信じられん。
『フェアリー・フェラー』か何かか?」
メイ「ノウ。…『JAZZ』の…サイドA、オープニングだ。」
ロジャース「『JAZZ』の・・・?う☆『ムスターファ』か?
リアリー?…。」
メイ「イエス!。…さすがは日本のファン。レベルが高い。
シュア。目の付けどころがディファレント。」
ロジャース「NO・NO・NO・NO・NO・NO・NO!」
メイ「『ボヘラ』のオペラ・コーラスなら練習の必要はない。
ジャパンツアーもあのパートはもちろんテープだ。
MRロジャース、『ムスターファ』の練習に励んで
くれたまえ。アーユーOK?」


助手「ばかばかしい話ですけど、否定すると話が前に
進みませんので特別に私が納得したことにしましょう。
それで?」
教授「んで『ムスターファ』の歌いだし。この曲もなるべく
合唱して欲しいんじゃが、歌詞カード?SWEETさんのページに
あるぞよ。『イブラヒ〜〜ム』×3times,その直後、
ロジャース氏が間を貯めこみ、場内が一瞬の緊迫感を
産み出さんとしているその刹那、観客の皆様はフライングして
『アラアラアラアラ…』って先に歌い出しちゃダメ。」
助手「段々マニアックになってきました。」
教授「H、次は『ナウ・アイム・ヒア』…メイ氏のイントロに
合わせて必ず全員で手拍子でスタートすること。
冒頭のバスドラが響くたびに『キャーーーーッ』って
女性の方は全員必ず、黄色い大歓声を送ること。」
助手「…。」
教授「I、アンコールの『ウィ・アー・ザ・チャンピオン』
におけるセカンドコーラスの、
♪You brought me fame&fortune…の次、
ロジャースが『I thank you all!』って言ったら
男女の区別なく『ウオーーーーッ』とか
『キャーーーッ』とか必ず絶叫すること。」
助手「…これは大切なこと。当然のことですね。
マストアイテムです。」
教授「ラスト、J、クロージングの『God save the Queen』が
流れはじめたら、とっとと帰り支度をはじめること。
もの欲しげな顔でいつまでも座席にへばりついていないこと。
以上じゃ。これを着実に実行し素敵な思い出の1ページを
作ってくるのじゃぞ?よいかな、皆の衆。グッド・ラック!」
助手「まさか2003年に、あり得ないつもりで書いた駄文が、
ここで僅かなりとも意味を持つものになろうとは…。」
(なってない、なってない。)
教授「では皆様、あと1ヶ月間、楽しみに待ちましょう。」
助手「そうしましょう。」

(クイーン布教活動≪第10部≫・終わり)
メンテ
11部(10/30 Q+P横浜アリーナ・ライヴレポ) ( No.8 )
日時: 2005/12/25 15:45
名前: 喜楽院

フレディさんへ。
あなたのファンより。(^^


「ブライアン・メイとロジャー・テイラーが、新たに
活動をスタート。しかもそれはなんと、『QUEEN』という名の
クレジットを伴って。白羽の矢が立ったボーカリストは
なんと、あの“ポール・ロジャース”!」
という一報が、この掲示板を通じて私の目に飛び込んで
きたのは,いつ頃のことだったろう?
「あ?。何?。ポール・ロジャース?…。こりゃまた随分、
ドロ臭い、というか汗臭い男を選んだものだな。」と
いうのが私の第一印象。
誰が言ったか、「“クイーン”からは、汗の匂いが
感じ取れない。」とのコメント。
これは、名言である。加えて言うなら男性の私から見て、
クイーンのメンバーである、マーキュリー、メイ、テイラー、
ディーコンの4氏からは、“汗”どころか、性別で
いうところの“男性”という部分すら、あまり感じてこない。
彼らには、男でも女でもない、極めて“中性的”な
イメージがある。
私にとってそれは、クイーンがクイーンであるための
重要なポイントである。
そして、なにはともあれ、ついでに言わせていただくなら、
「クイーン」は視覚的に美しくなければならないのだ。
いつでも。どんなときでも。そして、いつまでも。
これは、サードアルバム発売当時の私の第一印象を
そのまま引きずってきたものであるのだが。
視覚的イメージから言えば、男臭さのイメージの塊である
ポール・ロジャースと『クイーン』との合体は、
明らかにミスマッチ。
「『クイーン』と『Q+PR』とでは全く別のバンドなのだよ。」
と言われて、それもそうかと納得。
ま、いいや。別に興味ないし。

WWRYが日本へ上陸する頃には、『Q+PR』の
日本公演実現の話で、巷は持ちきりになっていた。
WWRYが千秋楽へ向かうに連れ、話題は段々とヒートアップ。
その後、追い討ちを掛けるようにライブアルバム「リターン・
オブ・ザ・チャンピオンズ」も9月中旬に発売される。
なんだか、周囲がかなりうるさい。皆さん、騒ぎすぎです。
「ROTC」?…んなもん、どうだっていい。
金を出してまで聴きたくない。
しかし…。発売3日後、ひょんなことから
聴く機会が発生する。
ハナから疑って聴き始めた「タイ・ユア・マザー・ダウン」で
ビックリ仰天。
今まで聴いた「タイ・ユア…」の中で一番いい!
ちょっとまて、これは一体どういうことだ?
どう説明されるべきことなのだ?
その他は、時間の都合で「‘39」、「ラブ・オブ・マイ・
ライフ」、「アイム・イン・ラブ・ウィズ・マイ・カー」
などの数曲を聴いただけだが、このユニットのポテンシャル
には、凄まじいものがあると感じさせるに十分な演奏だった。
圧倒的なボーカル。
さらに磨きがかかり、美しさを増したギター音。
どうだ!と言わんばかりのシャープでソリッドなドラムス。
誰しも、メイ、テイラー両氏が、『クイーン』という
ブランド名を使用してくる以上は、それなりの内容を
伴っているはず、という期待はお持ちであったろう。
しかし、まさか、ここまでのレベルに仕上げてくるか、おい。
という思いも、その時に多くの方がお持ちになった感想だと
思われる。
これは凄いことなのだ。本当に。
この時点で喜楽院の想いは180度くるりと転換する。
単純な奴なのだ。

フレディが居た頃のクイーンのライブを、音源のみで
聴いても、さほど楽しくはない。しかし、ビデオ、DVDなど、
映像を伴って聴くと、これはまた、楽しさは数倍となる。
そして、「生クイーン」となると、さらに楽しさは、
その数倍となる。
では、「Q+PR」の「ROTC」。音源だけでこれだけ
楽しいんだから、「生Q+PR」における楽しさの増幅の
され方は、前述のパターンを踏襲するとしたなら、
一体どれだけのものになるだろう?
ともすると…そんなことはあり得ないとは思うが、
あのフレディ時代のクイーンを上回るのではないか。
音声の再生および増幅装置も当時よりは格段の進化を
遂げているだろうし、なにしろ演奏メンバーは6人も
いるのだ。加えて声量もかなりあり、歌がうまいのは
誰もが認めるこのポール・ロジャースの歌唱力。
ぜ・ひ・観たい。いや、観に行かざるを得ないのだ。
そして、いいにつけ、悪いにつけ、自分なりの感想を
まとめよう。
しかし、…全公演後の11月4日以降に記述する私の今回の
Q+PR公演レポートは、ポールロジャースの賛美中心の
内容となり、大方のフレディファンを敵に回すのでないか、
さえ危惧されてくる。
恐らく、そう書かざるを得なくなるだろう。

『クイーン』というバンドに、そして音楽としての
『ロック』に対して造詣が深ければ深い人ほど、
言うことは似てくる。
そして、それは、多分、正しい。彼らの言い分はこうだ。
「『Q+RP』はクイーンでは、ない。それをわかって欲しい。」
「クイーンとは全く別のバンドなのだ。」
「だから、間違っても、過去のクイーンのステージとを比較
してはいけない。それに一体なんの意味があるというのだ。
それは間違ったことだ。」
「まして、フレディの幻影など追ってはいけない。」
「『フレディがいないから…』というセリフもあり得ない。」
「あらたな『Q+PR』というユニットの誕生を祝うべきだ。
そして、今後の彼らの活動を応援するべし。」
なるほど。ごもっともではある。
20年も経っているのだ。彼らも私達も年をとった。
そうだ。比較してはいけないのだ。

WWRYでは大泣きした。大したミュージカルでは無かったかも
知れないのに、あれだけ泣けたのは何故なんだろう。
今でもわからない。多分、クイーンの楽曲が生で聴けた、
という単なるノスタルジーだけなのかもしれない。
今度は、本物が来る。ニセモノではないのだ。
号泣の度合いはWWRYとは比較にならないであろう。
当たり前である。
オープニングの「タイ・ユア…」で泣ける。
想像するだけで泣けてくる。
そして「‘39」に「ラブ・オブ・マイ・ライフ」…。
号泣するための起爆剤が、自分の中に
沢山セットされているのもわかっている。
なおかつ、自分なりのノスタルジーを確認しに行こうという
動機付けもわかっている。
ポール・ロジャースの凄さを認めにいき、過去6回体験した
クイーンの公演に、更なる1回の記憶を追加するための、
私自身の横浜行きツアーとなる。
メンテ
11部(10/30 Q+P横浜アリーナ・ライヴレポ)(2) ( No.9 )
日時: 2005/12/25 15:46
名前: 喜楽院

10月30日(日)横浜アリーナ公演。
入場待ちで開場を待つ人の群れ…行列…。
男性が多い。高い年齢層の人たちも目立つ。
かつて武道館のクイーン公演で幾度も目にした、
ガブリ寄りをしたくなるような若くて美しい女性達の
群れとは全く違う光景が目の前に広がる。
やがて入場。
センター席、前から40列め、くらい。
そして開演。
やがて始まる、待ちに待った
「タイ・ユア・マザー・ダウン」のイントロ。
ノレない。ましてや泣けない。あれ?。変だな。
調子悪いのかな、俺。

「ファット・ボトムド・ガール」
いつものピンと張り詰めたられた緊張感に欠けるな。
いつもの…?…いつものって何だ。
多分、その緊張感の無さとは、Q+PRにおける
抜群の安定感を誇る演奏内容から来ているのだ。
余裕シャクシャクの超ベテランのテクニシャン3人に、
優れたバックバンドが3人。
これだけで、「フレディ・クイーン」の音の厚みを
はるかに凌駕する。
ブライアン・ギターはいうまでもなく良く、
更にテイラー氏の音がいい。
ドラムスの一打一打における、金属音に近い、
極めて密度の高い打撃音に、圧倒される。

「ポール・ロジャース」
うまい。抜群の声量と安定感あふれる歌唱力。
たいくつなくらいだ。
ハラハラしながら聴いていたフレディの歌唱とは大違い。
丁寧に歌いこまれた数々のクイーン曲における表現力は見事。
特筆すべきは、やはり一世を風靡した名曲「キャント・
ゲット・イナフ」。これだけでも観にいく価値がある。
しかし、どうでもいいけどあのコスチュームはなんとか
ならんのか?普段着のような服。ショウアップが好きな
喜楽院が最も嫌うパターン。すでに嫌悪感。
中学生の頃から30年間刷り込まれたクイーンの
美学からは程遠いコスチューム。汗くさい。ドロくさい。
視覚的な興奮が、楽曲そのものにも相乗的な効果を与え合う
「フレディ・クイーン」とはむしろ、逆。
年寄りとはいえ、もう少しやりようがあるだろう。
ロジャース氏にはこんなチャチャしか入れられない。
ところでお前は、何と比較してそう思うのだ?
無意識の中に、フレディを探している自分がいる。

「'39」
さすがにこの曲は文句なしに泣ける。
だーーーっと流れる涙。
花道先端に出て来て、ブライアンの弾き語りだと?
あのシャイな人が?(笑)…。昔じゃ考えられなかったこと。
個人的にはアコギバージョンじゃない方を聴きたかったが。
しかも、短縮バージョンじゃん。ガッカリ。

ドラム・ソロ後に続く、
「アイム・イン・ラブ・ウィズ・マイ・カー」。
私は45年生きているが、若かりし頃の
ロジャー・テイラーよりも美しい男を、
古今及び洋の東西を問わず、見たことがない。
かつて、そのロジャーがボーカルをとるこの曲のイントロが
始まった際の、会場内の声援には凄まじいものがあった。
スゴイなんてもんじゃない。
武道館の6〜7割を埋め尽くす、つまり6千〜7千人の
若い女性たちが全力を挙げて絞り放つ、黄色い絶叫を
体験したことがあるだろうか?
音というものが余りに量的に多くなり、ある密度を超えると、
その音が、形を伴なって目に見えてくることも場合によっては
あるのではないかと錯覚するほどの大歓声だった。
それが、今のこの横浜アリーナには、ない。
楽曲自体は今の方が、昔よりいいけどね。
そうか、また比較してる。なんのために?

「ギターソロ。」
威風堂々。この余裕すら漂う安定感は一体なんだ。
30年前。武道館公演にて、当時、ド田舎の中学生だった私に
でさえ、ありありとわかるくらいにステージ慣れしていない
初々しさをさらけ出していたブライアン。
細身で長身の体を、ヒラヒラの美しい衣装でまとい、
「私、ばりばりプレッシャーかかってます。」、
のオーラ全開。
今にも気を失って倒れるのではないかと心配させるくらいの
緊張した面持ち。
たたずむ姿は、触れれば砕け散るガラス細工のよう。
見ている方がヒヤヒヤしていたギターソロが
今となっては懐かしい。
「ラスト・ホライズン」における美しいミラーボールの輝き。
30年前の「プロフェッツ・ソング」のエンディングを、今、
思い出している人は、この横浜アリーナに何人いるだろう。

「日本庭園の映像。」
粋な演出でもあるが、こざかしくもある。誰が考えたんだよ。
こんなものでウルウルくる喜楽院様ではないわ。
でも、もっと昔の姿のメンバーが出てくる映像を
見たかったなあ。
ポール・ロジャース観てるよりはマシだもの。
しかし、ブライアンもロジャーもいい男だったなぁ…。
うっとり。

「ボヘミアン・ラプソディ」
『フレディの映像と声』ってこれだったんですか。
なるほどね。
1976年3月、初めて観たライブにおけるフレディの
第一声は、この曲の『So you think you can stone me…』、
だったっけなあ…。
オペラパート後のロジャース氏の声を聴きながら、
ほら、また、フレディを探している。

「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」
今回のツアーにおいては、演目が「ウィ・ウィル・ロック・
ユー」に入ると「あ、次は『ウィ・アー・ザ・チャンピオン』
を演って、で、『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』が流れて、
おしまい。」と、ほとんどの人が把握してますよね。
んなこと、昔は無かったのであります。
昔は、日本国内での1回の来日における公演回数が
多かったにもかかわらず、インターネットなんかないから、
今みたいに当日のセットリストが、その日のうちに世界の
どこにいてもすぐにわかってしまう状態では全く無かった
わけです。当日会場に足を運んで公演を観るまで、
みんなセットリストなんか知らないわけだ。
2回めのアンコールの中、大興奮のさなかに流れ出す
「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を聴いて、ようやく
ほとんどの人が「あ。これで終わりか…。残念(TT)。」と
コンサートの終了を、初めて知らされるわけです。
今回の公演で、「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」の後に
流れ出す「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」を聴いて、
「う。終わりか。」と初めて気付く人は、極めて少数派で
ありましょう。
今回の、ステージ上でいたわりあうメンバー達をバックに、
清らかに流れ始めるこのインストゥルメンタルを聴いて、
私の脳みそは、自らのホコリにまみれた、封印された
引き出しを開け、古い記憶をドサドサと引きずり出す。
めくるめく、稲妻のようなフラッシュ・バック。
おお。そうだ。
これこそが昔のクイーン公演の「本日はこれでお開きです。
皆さん、またお会いしましょうね。」の意味合いを持つ、
本物の「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」だ。
クイーンのコンサートのエンディングに立ち会ってこそ
生じる感慨が、この曲にはあるのだ。
なんて懐かしいこの感覚!。
胸がキュン、となる。
20年間忘れてた。
ビデオやDVDをもってしてもこの感慨の再現は不可能だ。
「サヨナラトキオ!…ドモアリガト!…シーユアゲン!」と
叫ぶ笑顔のフレディを、まるで目の前に実像が
存在しているかの如く、強烈に思い出す。
ああ、いたいた。
ここにいた。
それも…色鮮やかに。
やっと見つけた。
さあて。深呼吸して、イヤミのひとつでも言ってやろうか。
「ねえ、フレディさん?久し振りじゃん。
過去6回、流れる『ゴッド・セイブ・ザ・クイーン』の
中であなたと約束した『また、お会いしましょうね。』の
言葉は、その内、5回は守られはしたけれど、
6回目のそれは、…守られなかったね。
すっぽかされたとわかってから私は、それからたぶん
15年間近くも待たされていたんですのよ。
いつのまにか、あなたの年齢に追いついちゃいましたわ。
おほほほほのほ。
…それより、なにより…お元気でしたか?」
コンサート冒頭から、ずっとフレディがいた頃の
「クイーン」を捜している自分がここにいる。
そして捜していたものは、
ようやく最後の最後に、ここにいた。
今、わかった。
私はこの曲を聴くために、今日、ここへ来たんだ、と。
守られなかった6度目の約束は、今、果たされた気がする。
付け加えて言うなら…7度目の約束は、ない、のだ。
ありがとう、フレディさん。
やっと完結することが出来ましたよ。
“約束”の代わりに、「さようなら。」のご挨拶をここに
メンテ
Q+Pの新譜を完全予想(クイーン布教活動≪第12部≫2) ( No.10 )
日時: 2006/10/30 14:06
名前: 喜楽院

2006年春季・リリース予定。
『クイーン+ポールロジャース』の新譜。
アルバムタイトル:『未定』

サイドA
1、『PROCESSION 2006』
2、『FATHER TO SON 2006』
3、『ONE TRILLION』
4、『LADIES IN HEAVEN』
5、『DRUMBEAT FOR CHILDREN』
6、『PAISLEY SONG』

サイドB
1、『HAMMER SHARK』
2、『VOICE OF GOD』
3、『CHANCEMAKER』
4、『MIRRORBALL FANTASY』
5、『JESUS CHRIST OF THE OPERA』
6、『GOD SAVE THE QUEEN 2006』


助手「これが来春リリースされる『Q+P』の新譜ですか。」
教授「そうじゃ。あえてサイドA、Bの設定がある。
面白いじゃろ。」
助手「2006?…。リメイク、というかセルフカバーが
3曲あるんですね。」
教授「まあ、聴く前からいろいろ言っててもしょうがない。
とにかく、聴いてみてくれ。」
助手「わかりました。ではまず『PROCESSION 2006』、
『FATHER TO SON 2006』から始まって…一通り全部
聴きましょう。」

助手「オープニングの、この2曲のリメイクは…。
いやはや、実に見事なものですね。
『クイーンU』はすでに30年も前の作品です。
素材的にはかなり良いものがありますが、音の出方、
組み立て方は、今から見れば古さをどうしても感じて
しまいます。この『ファザー・トゥ・サン2006』は、
ギターとコーラスが比較的前面に押し出された
『旧ファザー・トゥ・サン』とは違い、ポール・
ロジャースのボーカルが大変目立ちます。
ブライアンのギター音が、控えめながら大変な存在感を
持っています。素晴らしい演奏です。
もともとの素材の良さが、新技術の力で、新たに
再結晶させられたかのような印象を受けます。
録音・再生技術の格段の進化もさることながら、演奏技術、
そしてギターそのものの性能も、かなり上がっていると
考えてよいでしょう。そして彼ら自身のセンスも。
『プロセッション2006』の多重録音によるギター・
オーケストレイションも然り。
30年前には不可能な録音・再生技術です。」
教授「しかし…この演奏力にこの録音技術。
怖いものなし、だな。
ご希望なら我々クイーンの最高傑作である『セカンドのB面、
頭から3曲』を丸々リメイクしてみせようか?
というQ+Pの挑発を感じるよな。」
助手「A-3はメイ曲『ホワイト・クイーン』の、
そしてA-4はメイのソロ曲『ドリブン・バイ・ユー』の
流れを汲む作品ですね。
A-3の後半部、ドラムスに続きギターの轟音が介入して
パワーバラードに変化していく過程には鳥肌が立ちます。
それから、A-4曲のギターソロは圧巻です。
リッチー・ブラックモア並みの早弾きです。」
教授「A-5はテイラー曲。『ファイト・フロム・ジ・
インサイド』『ファン・イット』系だの。
シンセドラムもここまで来たか、と唸らせるのぉ…。」
助手「A-6は、メイ作のクレジットですが、ジョン曲の
『イン・オンリー・セブン・デイズ』を彷彿とさせる
ポップなナンバーですね。
ひょっとして陰でジョンが特別に寄せた曲かも…。
ま、あり得ないことですけど、いろいろ想像するのも
楽しいですね。」
教授「B-1はメイの手によるバリバリのHR/HM曲。
ポールのボーカルが、水を得た魚のよう。
本領発揮のレスペが、凄い迫力じゃ。金属音のように密度の
高いロジャーのドラミングも、これまた破壊力抜群だの。」
助手「B-2はこれまたメイ曲、アコギの響きが美しい
バラードです。『’39』『ロングアウェイ』直系の雰囲気が
意識的に醸し出されていますね。ファースト・シングル曲の
カップリング候補でしょうか?」
教授「B-3でようやくテイラー曲。『シアー・ハート・
アタック』『カミング・スーン』のような疾走感あふれる
このリズムは、まさしくテイラー氏のお家芸じゃ」
助手「B-4は『ドリーマーズ・ボール』の延長ですね。
フレディ曲の『メランコリーブルース』系のエッセンスの
雰囲気も見られます。」
教授「さて、…今回の目玉であるB-5じゃ。
常々、メイ氏がフレディの手による実験的な未発表音源の
存在を示唆していたが、いよいよこの曲で正体を表した。」
助手「大変うれしいことに、部分的にフレディのボーカルが
聴くことが出来る大作です。この曲は素晴らしい。
長いクイーンの歴史の中でも、屈指の傑作と言えます。
6分間の長さですが、長さを感じさせません。
歌詞は…『プロフェッツ・ソング』、『ジーザス』を
連想させる、ちょっと難解な、宗教色の濃い内容ですね。
楽曲自体の構成は、明らかに『ボヘミアン・ラプソディ』を
意識してます。さらにその後半部における、アイルランドの
民族音楽がベースと思われる、変わったメロディラインの
分厚いコーラス群が、これまた半端な内容ではありません。
驚愕に値します。どうやって録音したのでしょうか?
タイトルからして、まさにそれ風ですし、『サムバディ・
トゥ・ラブ』に似たゴスペル風コーラスが垣間見える
パートがあるのもいい感じですね。
おっとあまりしゃべるとネタバレって言われるかな?」
教授「あとは、主メロディのリズムを大幅にアレンジした
『A-1』曲のリメイクと同じ方法の手による、
インストゥルメンタルの『B-6』じゃ。
いや…このアルバムは売れるな。
それも全世界の『旧クイーン・ファン』を中心に。」
助手「確かに…あくまでも、メイ、ロジャー中心の
楽曲構成ですね。ポール・ロジャースのファンが期待する
曲調のものは、ほとんど見当たりませんが…。」
教授「それは、次回作からということじゃろう。
いろいろ考えることがあるんだろうな。」
助手「発売、そしてそのセールスが大変楽しみです。」

(クイーン布教活動≪第12部≫2・終わり)


※全く的中する気がしない、私の“個人的な希望”のみに
凝り固まった、『クイーンの新譜予想』となりました
ことを、深くお詫びいたします。(喜楽院)
メンテ
Re: クイーン布教活動(Q+Pの新譜を完全予想) ( No.11 )
日時: 2006/10/30 14:08
名前: 那由他

>喜楽院さま
夢のような『クイーン+ポールロジャース』の新譜の発表、ありがとうございます。
それぞれの曲のタイトルが凝ってるなぁと思いました。
そして、教授の解説は、聴いてみたいという気持ちをそそるものです。
アルバムタイトルは未定ということですので、私、考えてみました。

A案:「5 SYMBOLS」
5人(フレディ、ブライアン、ロジャー、ジョン、ポール)の名前をルーン文字で表わす。
ルーン文字がだめならトンパ文字でも…、って二番煎じは駄目ですか?

B案:表も裏も表紙にして、
「A Midnight at the Masked Ball」と「 A Morning at the Cathedral」。
at以下はぱっと思い浮かんだ単語なので、
別にMasked Ball でもthe Cathedralでもなくてもいいんですが、
「オペラ」と「レース」とのつながりを意識して…。
メンテ
Re: クイーン布教活動(Q+Pの新譜を完全予想) ( No.12 )
日時: 2006/10/30 14:09
名前: ニセリッチー

ニセリッチー@独房(2005/12/17)

ああ、寒いっ!
牢屋の中は暖房もないんだもんなぁ(T_T)
寒さを忘れるために、Q+PR新譜(が出るとして)ジャケでも考えてみよう…。

●第一案 −シンプルに−
表ジャケは、マイクスタンドを持って絶唱するポールと、
レスペを奏でるブライアン、
一番奥手にドラムがあるがロジャーはいない。
裏ジャケはドラム・セットからの視点。
向こうには表ジャケのポーズで二人の後姿。
ロジャーはドラムの陰で、寝転んで雑誌を広げてお菓子を食べている。

●第二案 −みんなで写りましょう−
表ジャケは、ロンドンの街中、何気なく歩いているポールの後ろから、
大きな捕虫網をかぶせようとする探検服姿のブライアンとロジャー。
裏ジャケは、少し引いて、
表ジャケの場面をオープン・カフェから見ているゲスト・ミュージシャンの皆さん。
彼らのテーブルには、注射器やピンセットなど標本作成グッズが並べてある。

●第三案 −でもやっぱりシンプルに−
BON JOVIのベスト盤の「Cross Road」のジャケみたいに、
自然体と故意の間ギリギリみたいのが、今のおっちゃん達の年には一番合ってるのかも。
同じBON JOVIでも、Tシャツ姿のロジャーのお腹のアップで「Slippery When Wet」見たいなのもアリか。

●番外 −CM編−
泥棒髭をつけたブライアンがマイク・スタンド、モジャモジャカツラを被ったロジャーがレスペを奏で、
思いっきり肉襦袢を入れてサングラスをかけたポールがドラムを叩いている。
最後の数秒で、
「この編成でもいいじゃない」と褒めながら入ってくるプロデューサーっぽい人が振り向くと
ディーキーさん。
メンテ
Re: クイーン布教活動(Q+Pの新譜を完全予想) ( No.13 )
日時: 2006/10/30 14:12
名前: 那由他

『One Trillion』(2005/12/21)

K&Kさま、みなさま、こんにちは。

>喜楽院さま
>どなたかから歌詞を考えて頂いて、
>(那由他様、『One Trillion』いかがです?/山の音楽家)
>どなたかから作曲して頂いて…どなたかから演奏して頂いて…。
>(悪ノリだし。)

ご指名がありましたので、
♪「できません」と言うよりは、「やってみます」の○○○です。♪
(ある量販電気店のCMソング)
無謀な事をやっちゃいましたよ。すみません。(_ _)
メイド院さまはじめ、英語に堪能な方が多いのに・・・。
時としてとんでもない事をやってしまう、怖いもの知らずのタチなもので…。

先に言っておきますが、上手に韻は踏んでいません。
(多分、ドジは踏んでいるでしょう。)

以前から、フレディには、マーティン・ピピン(エリナー・ファージョン作
『りんご畑のマーティン・ピピン』)の共通するイメージをずっと抱いていました。
そこに無理やり「One Trillion」という言葉を押し込みました。
牧歌的な「バラッド」もどきの詩を書きました。
いかがです?/山師(「大ぼら吹き」の代名詞)の音楽家


One Trillion

Once there’s a singer, and he’s also a poet.
He came through the dark and deep forest
With soft spring rain, his dark hair was wet.
He wandered alone from east to west.

In his verse, he would be a loveable lad,
Or sometimes an old wise philosopher,
Or sometimes a gossipy woman,
Or sometimes a precocious girl

People would like to listen to his songs.
They would like to listen to his lute.
But he had no home, nowhere to belong to,
While foxes had holes, birds had nests.

One day he met an old prophet.
He asked “How can I find the true love?”
“Make one trillion songs” said the prophet,
“And sing for one trillion people with love”

He made songs one after another.
His songs made people happier and happier.
At last he completed one trillion songs,
And he would never make any more songs

He became old but his voice was still bright.
He wondered “How can I find the true love?”
All at once a crowd of lilies came in sight
The Heavenly voice said softly to him,

“Wish you were here, wish you were here”

おそまつでした。
悪のりしてしまって、重ね重ねすみません。(_ _);
メンテ

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