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私的かつ自己中心的カラオケ考@上(1978〜1985)
日時: 2007/11/05 09:42
名前: 喜楽院

2007年1月7日(日)。
池袋のカラオケボックスで
クイーンカラオケ10時間マラソンに参加させて頂きました。
主催者I様をはじめ、参加された皆様方、当日は大変お世話に
なりましたことにつきまして、厚く御礼を申し上げます。


15歳前後の頃、当時まだそれほどメジャーではなく、
まだまだ海のものとも山のものともつかぬクイーンを
喜んで聴いていた当時の私に、
「30年後のあなたが、先日大勢の方々の前でクイーンの曲を
10時間に渡って沢山歌ってましたよ」、などと伝えたなら、
15歳の私はきっと腰を抜かさんばかりに
驚いたことであろうと思う。

人前で、あの難しい「フェリー・フェラー」
「ブラック・クイーン」等のクイーン曲を歌う、
ということは当時少年だった私の夢だった。
カラオケなんかもちろん無い時代。
じゃあ、どうしたら実現出来るの?。

その3年後の高校3年、クイーンを歌うという見果てぬ
個人的な野望を胸に、ロックバンドを結成。
リードギターとサイドギター、ベース、ドラム、
そしてボーカルの私の5人編成。その秋の、高校の文化祭の
ステージに立つ。
しかしながらこのバンドのレベルからすればクイーン曲の
演奏、歌唱などはあまりにも難解すぎて到底無理も無理。
百万年早い。
他校からも沢山おいで頂く一般女子高生ご一同様のウケを
狙って、当時人気絶頂の世良公則&ツイストの
「宿無し」及び「銃爪」を歌う。
観衆は300人くらいいた。緊張の余り、震えた。
結果として、当たり前のことであるが、大変残念なことに
「コミック・バンド」のレッテルを貼られた末、
失意の元に、大学受験に専念という名目でバンドは解散。^^;

そして大学1年。上京。
この頃、何度か「スナック」という所に足を踏み入れた。。
18歳。1978年の頃だ。
いわゆる「カラオケ」というものに初めて出会う。
当時は「歌詞カード」と呼ばれた歌本に印刷された
歌詞を見ながら歌うシステム。
カラオケ初期の普及期における定番スタイルであった。
1曲歌う毎に100円とか200円の料金収受が発生する
スタイルもこの頃生まれた。

収録曲は圧倒的に、昭和30年代後半から50年代初期の
演歌、演歌、演歌、ただひたすら、それのみ。
音源は8トラかカセットテープだったかと思う。
若者向けの曲といえば、タイガース解散後の、
ソロになった沢田研二の初期の楽曲が数曲あった程度である。
ひろみや秀樹や五郎なんてあったのかなあ…。
洋楽もせいぜい「マイウェイ」とか、
プレスリーの定番曲くらいだったろうか。
信じられないかもしれないが、ビートルズすら
ほとんどなかったと記憶している。
(当り前ではあるがもちろん「キラー・クイーン」も
「ボヘミアン・ラプソディ」もあるわけがない。)
だから、この頃の学生同士の飲み会の2次会では、
カラオケを歌うなどということは一切無かった。

1980年代に入ると、歌謡番組でヒットした曲が
比較的短期間の後にカラオケ化されるようになる。
ヒット曲をカラオケで歌うというスタイルがごく一部に
ではあるが少しづつ定着し始め、若者向けの歌謡曲カラオケ
レパートリーもその数をどんどん伸ばしていく。
こうして、この頃から80年代半ばに向けて急速に、
若者にカラオケが浸透していく。
松田聖子、中森明菜、田原俊彦、サザンなどなど、
有名どころの新曲についてはカラオケでリリース
される都度、全国各地でもてはやされたことでしょう。

当時はまだカラオケボックスが普及するかなり前であり、
混雑したカラオケスナックでは大勢の他人を前にして
歌うことになる。
自分の曲の順番がなかなか回って来ないこともしばしば
あったが、うまく歌えて知らない人からの大きな拍手を
頂くことは、あの頃の皆さんにとって、無上の喜びで
あったことでしょう。

この頃、カラオケは黎明期から普及期を経て、
クリアしなければならない一つの「壁」を迎えます。
歌謡曲の大ヒット曲は、テレビやラジオのメディア以外に、
カラオケからによっても伝播される時代となる。
若者の誰もが、同じ時期には同じ歌を歌っていた頃だ。
皆、少なくとも最低5つや6つのレパートリーを
持っていたことであろうがその曲目内容は、周りの多くの
人々や仲間と共有する部分が多く、人数が多くなっても、
特段珍しい歌が聴けるわけでもない。
一つの店に2時間もいると、その間に同じ曲を、
情けないことに4回も5回も聴かされることも、
そう珍しいことではなかった。
また、飲みに行く度に、毎度毎度同じ歌のみを
1曲か2曲だけ歌う、自らのレパートリーの更新に意欲を
持たない奴がとても多かった時代でもあった。
くどいようだが、みんなが同じ歌を歌っていた。

クイーンファンであろうと、ウィングスファンであろうと、
一たび渡辺徹の「約束」がハヤレば、全国の飲み屋で
「約束」が歌われていただろうし、「氷雨」や
「別れても好きな人」なども同じように、それこそ耳に
タコが出来るくらいあちこちで歌われ、聴かされた曲だ。
みんなが数少ないレパートリーの中から、同じような曲を
同じように歌い、わずかな歌い方の表現の差によって、
うまいだの下手だのと評価されていた。
自分の歌いたい歌など歌えないし、
聴きたくても聴くことは出来ない。
カラオケの世界は、あまりにも狭くてつまらなく感じ始めた。
どこに行っても同じような曲しか歌えない。
と同時に同じような曲しか聴けない。

しかし、1983年頃だったろうか。ある夜、
新宿歌舞伎町の「ジェスパ」という店で余りにも
衝撃的な曲を聴くことになる。
地下1階から地上3階まで全フロアとも
広大な空間を持つカラオケスナック。
週末はいつも超満員。
1980年代前半の、当時の20歳代前半の若者が
集ったカラオケのメッカである。

今でこそ、カラオケでハモルことなど当たり前で
決して珍しいことではないし、ハモラなければ曲に
ならないものも少なくない。
歌とはハモッてこそ美しい。
ごく初期のカラオケのハモリ曲は、演歌の男女デュオの
定番「居酒屋」や「二人の大阪」などにおける各コーラスの、
一番最後の部分のみにわずかに設定されているものか、
一部のフォーク、ニューミュージックの楽曲の
そこかしこに3度の和音がときおり見受けられることがある、
その程度のレベルの曲ばかりだった。
しかしあの時代、前記の演歌をハモッて喜ぶオジサン、
オバサンは少なかったし、「冬の稲妻」あたりの
単純なハモリの曲も、その時点では、すでにウケルには
古くなり過ぎていた。
にもかかわらず「冬の稲妻」を2人組ユニゾンで
歌うという暴挙を犯す者も少なからず居たし、仮に無事に
綺麗にハモレても、次に歌う「チャンピオン」では
しっかりユニゾンで歌ってしまう、そんな方がまだまだ
多かった時代に…。


メンテ

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「私的かつ自己中心的カラオケ考@下(1978〜1985) ( No.1 )
日時: 2007/11/05 09:25
名前: 喜楽院

「『ZOKKON LOVE』お待ちの○○様、
お待たせ致しました…。」
カラオケの順番待ちを呼び出すアナウンスが、
ジェスパ3階のホールに響く。
「ゾッコンラブ?。ほお。シブガキ隊か。
なるほど。珍しいな、この曲。」
女性が2名、席から立ち上がって、歌詞スタンドの
場所まで移動する。
さらにもう1名の女性、なにやらスタッフに
交渉している様子。
長い交渉だ。何してんだ?。
しばらくしてからイントロが始まる。
スポットライトの中にはそれぞれにマイクを手にした
私と同年代、20歳代前半と思われるうら若き美女が3名。
「あれあれ?。マイクは通常2本までしか出さないのに
3本出てるぞ。どうしたのかな?。2名じゃ恥ずかしくて
歌えないのかな?。」
この時点で3人立っていても、彼女らがハモって
歌うことなど想像もしていなかった。
2名立ってもユニゾンで歌われることがほとんどだったから。
ハモリは今ほどまだまだカラオケには
浸透していなかった時代。

♪あの娘いわゆるツマミ食いさ、ベイベー、泣くな
♪ノリで仲間にゃそう言ったけど、ベイベー、嘘さ

ふむ。3人は歌い分けてはいるがハモってはいない。

♪夜の渚で星を数えて不意に奪う砂まみれのキッス
♪天使の媚薬…

「ビヤク」の「ビ」からパートが別れる3人の美女たち。
一人が主旋律の3度上を行くのが聴きとれる。
見事に美しい和音。凄い。これには思わず唸る。
これほど美しいハーモニーによるカラオケ曲を今までに
聴いたことがあったっけ?。記憶をまさぐる。
同時に、歌舞伎町のカラオケ最先端を行く場内からは、
ため息交じりに湧きあがる驚嘆の歓声。
今思えば、たかだかこの程度のパート分担でみんなが
ビックリするくらいだったのだから、いかにハモりが
当時画期的で、いかにハモリが当時浸透していなかったか
おわかり頂けるだろう。

しかし、この時点において驚くのはまだ早かった。
この後の、この歌謡界屈指の名曲「ZOKKON LOVE」における
「ギリギリの恋なのさ」と「渡せない、渡さない」の
極めて美しいメロディラインによるサビ部のパートでは
最初の「媚薬」で放った和音を、はるかに上回る広がりと
奥行きを持った和音が彼女らによって披露される。
場内からはまた歓声があがる。

耳を疑う。何だ、これは?。
2音の組み合わせでは、どうあがいてもこの和音の
実現は不可能だ。
ということは3部。3部だと?。信じられん。
先ほどスタッフに交渉していたのは「とにかくマイクを
3本貸してくれ」とお願いしていたのだな。
たかだか町場のカラオケスナックで“3部合唱曲”!。
ワンコーラスが終了。
場内、嵐のような賞賛の拍手である。
それにしても今、歌われているこのカラオケ曲自身の
美しさはどうだ?。
実に素敵だ。初期のクイーン曲にはほど遠いが、
なにかしらそれを連想させるものがある。
本家のシブガキ隊の楽曲よりも、完成度の高い見事な調和だ。
全く別の曲のように聴こえる素晴らしいアンサンブルである。
容易に想像できた。この主旋律に絡む高音と低音のパートは
彼女らの“オリジナル”によるものなのだ。
こんな凄い奴らが世の中にはいるのか、と心底感心し
同時に激しく嫉妬した。こんな風に歌ってみたい、と。
歌舞伎町の若者達に、カラオケの新たな可能性が
提示された瞬間だった。

ハモるのが当たり前の曲が「ほとんど」と言っていいほど
なかった時代に、自らのオリジナルで作り出した
3部合唱曲「ZOKKON LOVE」による彼女らからの提案は、
今夜を境にして、歌舞伎町から瞬く間に全国へ
飛び火するだろう。
少なくとも私はそう確信したし、カラオケの
あらたな可能性を感じた。
今後カラオケでウケるために必要なのは、単独歌唱の
出来もさることながらやはり「和音」の美しさだ。

みんなが同じ曲を歌っていた時代から、バブルに向けて
日本経済が盛り上がっていく中、急速に好みの細分化が
進んでいく。
ハーモニーを前面に押し出した「ニューミュージック」が
次々と産み出され、少し前ならカラオケで歌いにくいと
敬遠されたタグイの楽曲が、ある種のカラオケファンの
間では次々とウケていく。
そんな中で今度は、ハモることが前提とされる数々の
洋楽の名曲群が、前記の需要に掘り起こされ、ようやく
カラオケ化されて日の目を見ることになっていく。

1985年だったろうか。新宿駅東口、明治通り付近に
新たなカラオケバーがオープン。
なんとビートルズ曲が数十曲も用意されているとのこと。
これには本当に驚いた。いかにビートルズとはいえ、
たかだか洋楽のひとつのバンドの曲だけで数十曲!。
今では笑い話だが、『ナンデモアリ』になった、とは
このとき思った。
しかし、後年クイーン曲がカラオケで歌える時代が
来るなどこの時点ではまだまだ夢の夢のまた夢、
まったくもって露ほどにも思っていなかった。

(Aに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考A ( No.2 )
日時: 2007/11/05 09:45
名前: 喜楽院

(1985年〜1985年暮れ)

このとき喜楽院24歳。むろん、独身。
少し年上の、超難関私立大で心理学を学んだ美女に
連れられてこの店へ行くことになる。
なにしろ素敵な女性なのだ。
この美女もかなりの洋楽ファンで、ビートルズの曲も
かなり把握していた。

「け。『ラブ・ミー・ドゥ』『シー・ラブズ・ユー』
『プリーズ・プリーズ・ミー』あたりの曲の主旋律の、
上か下、どちらかを3度でハモレりゃいいんだろ?。」
と、タカをくくって店に入る。
とても綺麗な内装・調度品に囲まれた、
高級感あふれる店だった。
客は素敵なオジつん、オバつんばかり、といっても
当時の24歳の目から見た場合の話であって、実際には
30歳前後の方々だろう。
服装のセンスのいい客ばかりだったのを良く覚えている。
きっと高いお召し物なのだろう。
自分にはちょっと場違いというか、レベルが上の店、
という印象を受けた。
こういう場合に気後れすることの無い様、
普段からの研鑽が必要な気がした。
そして、同行の彼女が、年上のどこぞの男友達からこの店を
教えてもらったのであることは、容易に想像できた。
このときの、私に芽生えた嫉妬心による対抗意識は、
皆様に充分ご理解いただけることでしょう。

歌われていた曲は、上記で私が想像していた時代の曲と
おおよそ合致していた。
次々に披露される曲、みな、確かにウマイ。
綺麗にハモっている。
カラオケはこうでなくちゃ。
ウマイのは他人様なのに、こちらまで嬉しくなってくる。
当時の私はカラオケには自信があったし、ハモることに
関しても、「かぐや姫」他のフォークを少々カジったことが
あるのであまり不安は無い、と勝手に思っていた。
(思い上がりも甚だしいし。)
カラオケで洋楽を歌うのはほとんど経験がないことに
一抹の不安があったが、初期のビートルズなど、
とても難しい曲とは思えない。

一応、英語の曲を歌うのに、まず基本的に抑えなければ
いけないのは歌詞を確実にメロディに乗せることである。
イロハのイである。
それが出来ていなければ出来るまで練習をしないといけない。
しかし、ことビートルズの初期曲に関していえば、
昔、よく口ずさんでいたこともあってそれは
必要ないような気がした。
“小僧”がこの店の“大人”たちよりウマく歌えば
目立つかも?、同行の彼女から見た私の株も少しは
上がるかも?、などと挑戦的、野心的、タヌキの皮算用的な
ことを企みながら、彼女が決めたリクエスト曲を提出する。
何を歌ったのかは覚えていない。
前掲の曲の中の一つだったと思う。

私たちの歌う番が来た。マイクを渡される。
周囲の視線が集まる。
彼女には主旋律に入って頂き、私はイントロのキーの高さを
計って、上か下、どちらでハモるかを決めるつもりでいた。
オジつん、オバつん達からの「お手並み拝見ですわ視線群」を
浴びる中、イントロが流れ始める。
彼女の歌うキーが読めた。
上で3度、下で3度、両方のメロディラインを検索する。
頭の中で再生する。
結果、どちらも不協和音。
不適切です。採用却下。
「げ。うそだろ。そんなわけないじゃん。」
歌の出だしの直前。えい、ままよ、とばかりに
強引に下の3度で行く。
確かに不協和音、それじゃあ方向転換、
今度は上で3度、これまた失敗…。

ちゃんとした訓練も無く、しっかりした音感を持って
いない人間が我流でアドリブに挑むと、時折こういう
悲惨な結果を迎える。
結局、ユニゾンで歌ってお茶を濁した。
恥ずかしくて顔を上げられなかった。
洋楽のぶっつけ本番には懲りた。
決して邦楽のようには行かない。
人間、都合よく出来ているもので、もし、
このときにウマく歌えていたなら、このビートルズ・
ナンバーは生涯に渡って私の記憶に刻み込まれていたろう。
いやなことは早く忘れるように出来ているようで
前述の通り、失敗したこの曲名は覚えていない。
しかし、「屈辱」は今も頭の中にこびりついている。
「ビートルズ」「洋楽のカラオケ」。
このときに、これらは喜楽院のトラウマとなった。



この年(1985年)の暮れ、ジャニーズ事務所より
恐るべき新曲が発表される。
1983年時、歌舞伎町「ジェスパ」で震撼した
「シブガキ隊/ZOKKON LOVE」をはるかに凌駕する
歌謡曲史上に残る名曲である。
しばらく前から「ダンス・ユニット」として活動を開始し、
日増しに人気のボルテージを上げていった、
3人組グループ「少年隊」のレコードデビュー曲、
その名は「仮面舞踏会」。

メロディラインはもはや珠玉、天才的でさえある。
曲の展開は「見事」この上なし。
掛け合いのパートの割り振り・リズムも実に理想的。
まして何よりも、ハモレるおいしそうなパートが満載である。
豪華絢爛という言葉こそがふさわしい。
このように余りにも素晴らしい素材を持つこの曲が、
極めて簡単な2部合唱で彼らによって歌われていた。
勿体ない。しかしこの曲ならいける。
「ジェスパ」のおねえちゃん達による「ZOKKON LOVE」の
オリジナル3部合唱曲を、遥かに上回る
オリジナル3部合唱曲を編み出せる。
25歳になった喜楽院は、ときめいた。

(Bに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考B ( No.3 )
日時: 2007/11/05 09:44
名前: 喜楽院

(1986年〜2006年)

>この年(1985年)の暮れ、ジャニーズ事務所より
>恐るべき新曲が発表される。
>1983年時、歌舞伎町「ジェスパ」で私が震撼した、
>「シブガキ隊/ZOKKON LOVE」をはるかに凌駕する
>歌謡曲史上に残る名曲である。
>しばらく前から「ダンス・ユニット」として活動を
>開始し、日増しに人気のボルテージを上げていった、
>3人組グループ「少年隊」のレコードデビュー曲、
>その名は「仮面舞踏会」。

年明けて1986年。
この時代になると邦楽も、爆発的なセールスを産む
ミュージシャンが続々と出てくるようになった。
1982、3年頃の「リインカネーション」「ボイジャー」
あたりからはユーミンが、出すアルバム出すアルバムが
驚異的な販売枚数を記録する。

サザンも1984年の「ミスブランニューデイ」、
1985年の「バイバイマイラブ」、1986年にはKUWATA-BANDを
結成、「BAN BAN BAN」を発表、これまた爆発的な
セールスを記録する。この年(1986年)の暮れには、
アルバム「ビート・エモーション」を引っさげ
「BOOWY」がデビュー、国産ロックにもようやく、
骨太な音を出す本格的なバンドが登場し始めた。

やがて1989〜1990年にかけて「B’Z」「X」「ルナシー」と
いった、後々超弩級セールスを記録することになる
邦楽ユニットが、このあと続々とメジャーデビューを
果たす時代を迎える。

1980年代後半を駆け足で紹介するとこうなる。
非常に一面的な見方であり、実際にはもっと複合的な視野で
邦楽ポップスの広がりを捉えなければならないのであるが、
とても紹介しきれたものではない。
ひとつ言えることは、ユーミン、サザン、BOOWYが
最後のカラオケスナック時代の「華」であったのに対し、
「B’Z」「X」「ルナシー」の世代からは
『カラオケボックス』の時代へと移り変わったことである。

カラオケとは、もともと飲酒を伴うスナックの来店客への
サービスとしてスタート、70年代末期から急速に
広がったものであったが、わずか数年で、
スナック利用客以外にもカラオケの人気が非常に高まり、
若年層、熟年層の需要もどんどん高まってきた。
カラオケの隆盛と、邦楽におけるメガヒットの続出は
相乗効果によるものと言って構わないだろう。
そして、8トラ、カセットの時代には、選曲はスナックの
店員にお願いしなければならなかったのが、1980年代も
後半になるとレーザーディスクのオートチェンジャーも
どんどん普及し始め、店員による選曲作業はもはや不要と
なっていき、カラオケボックスの爆発的なヒット・隆盛への
伏線、土台が築かれていく。

「仮面舞踏会」もまた、カラオケスナック時代の
最後の「華」のひとつであった。
非常に豪華絢爛な、ハモるにはおいし過ぎるパートが
満載された名曲であったが、ダンスユニットとしての
少年隊の特色を活かすためなのか、極めてハモリの少ない
シンプルな歌唱パートで組まれていた。
実に勿体ないことである。
かねてからこの曲に目を付けていた私は、1986年のある日、
高校時代の同級生Hに、飲み会でのカラオケの際、
この曲の主旋律の歌唱を依頼する。

私が高校3年時の文化祭コンサートに出た時の例のバンドの
出番は、10組ほどの出場バンド中、一番最初だった。
2年生のバンドもいる中、実力の低いと思われるバンドから
発表するのが慣例であり、我々がトップバッターなのは
当然であった。Hはその約10組の中でトリを務めた
実力派バンドのリードボーカルである。そのバンドは2年の
時の文化祭において、ZEPの「ステアウェイ・ヘブン」を
披露し拍手喝采を浴びた。Hは極めて広い音域を持つ、
とてつもなく歌のうまい奴である。
3年秋の文化祭コンサート時には、その夏に
大ヒットしたばかりの映画「サタディナイトフィーバー」の
主題歌、ビージーズの「ステイン・アライブ」を
早くもコピー。その驚異的なファルセットを披露した
いきさつを持つ。
Hは邦楽ポップスに関しては並外れた情報力を持ち、
仲間内においては誰よりも先に、最新のヒット曲を
カラオケ会で披露する。当然、「仮面舞踏会」も
ある程度は把握していた。彼に歌ってもらう主旋律パートを、
私が軽く口ずさむだけで、忽ちの内に彼は理解してしまった。
センスの良さにはホトホト感心してしまう。

さて、「仮面舞踏会」初挑戦。
私はHの歌う主旋律のうち、上の3度で、和音になるパートを
歌う。単純なラインではあるが私のオリジナルである。
本家の曲に比べて、和音となる部分がとても多い。
結果的にはそこそこ綺麗にハモった。予想通りだ。
初回なので無論、硬さはまだあるし、
和音構成の修正点は続々と出てくる。
しかし、やはりこの曲の素材はいい。
その後、Hと2、3回歌うことで2部合唱曲としての修正・
改良が行なわれ、ほぼ完成した。
なにしろ、どこのカラオケスナックで歌ってもとにかく
ウケた。

そのうちに同じ高校仲間のTがこの歌唱に加わった。
彼はフォーク上がりで、やはり歌もうまく、最初は
3本目のマイクを持って、主旋律に入ったり、
3度高い私のパートに入ったりしていたが、そのうちに
そのどちらでもないパートを歌うようになった。
そしてどちらでもないパートは歌う回数が増す毎に
だんだん増えてきた。T自身が試行錯誤することで
「3部合唱曲:仮面舞踏会」が出来上がった。

これは自分で言うのもなんだが、2部合唱のそれとは
比べるべくもなく、極めて恐ろしく美しい曲になった。
今までには「かぐや姫」などの、一部のフォークでの
3部合唱を時折耳にすることはあったが、美しさの
度合いではこの曲の足元にも及ばない。
どこに出しても恥ずかしくない曲だと思った。
ジェスパで聴いて驚愕した、あの「ZOKKON LOVE」を
はるかに超える、大変美しい3部合唱曲である。
実際、歌うたびに、過去に経験したことのない
拍手喝采を浴びた。
歌っていてハモリでこれほどの満足を覚える曲はこれが
最初であり、今のところこれが最後だった。

そして1990年以降、この3人が揃って歌うことはなくなった。
「3部合唱曲・仮面舞踏会」は自然と封印されてしまい、
今後2度と日の目を見ることはないだろう。
私にとっても、あれだけの快感を伴うカラオケは
もう2度と味わうことは出来ないと思った。
あれを超える曲をカラオケで歌うことは今後、
可能性としてはとても低いだろう。
そしてその後私自身、カラオケからは遠ざかり、
永い年月が過ぎていった。

ところが。その間に時代は変わった。
カラオケボックスの普及とともに、次々にカラオケ化される
楽曲は益々、ジャンル・種類が増えていく。
何年か前までは全く考えられないくらい、マニアックで、
深く掘り下げられたジャンルの曲が
順次カラオケ化されていく。
気がついてみると、およそ予想だにしていなかった
「ある楽曲群」がカラオケにラインナップされていた。
そして、それに呼応するかのように、ある恐るべき人物が
私の目の前に現れた。
それは2006年、つい去年のことである。

(Cに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考C ( No.4 )
日時: 2007/11/05 09:48
名前: 喜楽院

(1990年〜2006年6月)

今から25年くらい前、カラオケスナックで
「マイウェイ」あたりを、自慢げに朗々と歌うヤカラは
少なくなかった。「英語の歌かい。何考えてんだか。」と
多くの方々から軽蔑されることが多かった時代だった。
しかし、必然ではあったが、例の1985年前後、
ビートルズナンバーを大挙抱えた店が出現した頃から
一気に流れが変わり、1990年頃には洋楽における、
有名アーティストの主要曲は、かなりカラオケ化されていた
と思われる。

この時代には私はすでに、滅多にカラオケスナックへ
行くことはなくなっていたが、
「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「BURN」
「ボヘミアン・ラプソディ」あたりを歌った記憶が
今、かすかに残っているのは、この頃のことだったろう。
多分、「こんな曲がカラオケに?。」と印象深かったために
覚えていたのだと思う。

その後、私にとって、年に2,3度ほどカラオケボックスへ
行く程度の時代が長く続く。
滅多に行かなかったが、行けば「B’Z」や「X」、
その他ハモレるJ-POPSばっかり歌っていた。
洋楽を歌う人々と行かなければ、洋楽を歌うことはまずない。
実際、その通りだった。

そして多くの方がそうするように、子供が出来て、
ある程度大きくなってくると、カラオケボックスへ
連れて行って、童謡やらアニメソングを歌わせる時期が来る。
そしてインターネットがようやく普及しだした1990年代末期、
私はあるクイーンサイトの掲示板の熱心なファンとなる。
クイーンサイトがまだまだ数が極めて少なかった頃だ。
世の中にはこんなにも熱いクイーンファンが、こんなにも
沢山生き残っていたのかという、あの時の感動は今も
決して忘れることはない。
そのサイトからの強い影響で「クイーンを日常から
意識すること」を、あの1990年代前半以来、再び強く
始めた私は、世紀が変わった2000年代初期のある日、
子供たちと行ったカラオケボックスで、何気なく
クイーンのページを開く。

「ボヘラ」と「キラークイーン」くらいはあるだろう、との
予想で収録曲目を確認すると、あるわあるわ、2
0曲くらいある。凄い!。
この時は嬉しかった。興奮した。
自分のよく知らない、新しいと思われる曲まである。
20曲の中では比較的古い曲、「‘39」と「ラブ・オブ・
マイ・ライフ」に目がいく。
オーディオルームの役割をも果たす私の車の中には
「クイーンU」のテープはあったが、この2曲を含む
「オペラ座の夜」のテープは随分前に紛失し、久しく
聴いていない。

「そう言えば、こんな曲もあったな。懐かしい。」
2曲とも歌ってみる。カラオケ自体の音響も綺麗だ。
うまくはないが、そこそこ歌えているような気がする。
そして改めて「いい曲」だと思った。
しかし、所詮、過去の曲である。
クイーンも同様、過去のバンドだ。
今更「’39」でもないだろう。

2004年、夏。
いきなりだった。仕掛け人は一体、誰だったのだろう?。
東京ドームの8月下旬の巨人戦。
クイーンのライブ映像が、ドーム内の大きなビジョンに
映し出される。
「世界に捧ぐ」のオープニング2曲がそれぞれ、スポーツの
世界における“定番曲”としての地位を築いている、という
認識は、多くのクイーンファンにあったはずだ。
しかし、皆、何故今、クイーンなんだろう?と不思議に
思ったことだろう。

そこからの展開は怒涛の如く、だった。
人気男性俳優が主演の、大ヒットが約束されたTVドラマの
主題歌および主要BGMに、「クイーン」がメインで
起用される。
その後の、ミュージカル「ウィ・ウィル・ロック・ユー」
(WWRY)日本上陸、そして「クイーン+ポール・
ロジャース」(Q+P)の来日公演実現については、
いまさら詳しく申し上げるまでも無い。
イベントが実現すればファンは動く。
オフ会もあちこちで開催されたことだろう。
我々、某クイーンサイト掲示板に集う連中も、
無論その例外ではなかった。

2006年6月18日(日)、都内。某カラオケボックス上野店。
ミュージカル「WWRY」観戦、「Q+P」公演観戦の流れを組む、
8名のメンバーでオフ会が開催された。
後の、「カラオケ大会×××ツアーズ」の
ルーツとなる、最初のカラオケ大会である。
カラオケボックスの予約時間は約2時間。
そのうち1時間は雑談やらゲームに費やされる予定と
聞いていたので、カラオケに当てる時間は正味1時間と
いうものだろう。
中には歌わない人もいるだろうから、
歌う人は1人あたり2、3曲がせいぜいか。
さて、私はどうしよう。

例のビートルズで懲りた洋楽へのトラウマがいまだにある。
1、2度過去に歌ったことのある「‘39」と「ラブ・オブ・
マイ・ライフ」、この2曲以外、私にしてみれば他に
選択肢はない。しかし、この2曲が、もしかすると
この店のカラオケリストには存在しない可能性がある。
そうなったらどうしよう。
そんなことを考えながら部屋に入り、
早速、ブ厚い歌本を広げ、チェックをはじめる。
あれあれ?。なんだ、この本、邦楽だけじゃん。
洋楽は?。なんと!。別にあるし。
しかも邦楽の本と同じくらいの厚さだ。
うそだろ?。洋楽だけでこれだけの厚さ?。
すげえ。こんなの初めてだ。で?。クイーンはどうなんだ。
ページをめくる…。

あった。クイーン。
何?。「クイーン」だけで数ページにまたがっている。
まさか。冗談だろ。羅列された膨大な曲のタイトルに
イチイチ目をやり確認する。
間違いなく、見覚えのあるクイーン曲のタイトルが、
ズラリと並んでいる。
数は…?。150くらいある。「全曲網羅」?。
乾いた笑いが、つい、口から漏れた。
市場における、細分化された需要への追求による追求を
重ねた結果、通信カラオケもここまで来たか。
驚いた。心底驚いた。そして嫌なものを見た気がした。
何か自分が、開けてはいけない部屋のドアを、
間違えて開けてしまった、そんな気がした。
それは、この後に始まった驚愕のカラオケの内容を
密かに予見していた。

(Dに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考D上 ( No.5 )
日時: 2007/11/05 09:36
名前: 喜楽院

(2006年6月18日〜2006年10月)


>数は…?。150くらいある。クイーン「全曲網羅」?。
>乾いた笑いが、つい、口から漏れた。
>市場における、細分化された需要への
>追求による追求を重ねた結果、通信カラオケも
>ここまで来たか。驚いた。心底驚いた。
>そして嫌なものを見た気がした。
>何か自分が、開けてはいけない部屋のドアを、
>間違えて開けてしまった、そんな気がした。
>それは、この後に始まった驚愕のカラオケの内容を
>密かに予見していた。

2006年6月18日(日)。東京都内。雨。
某カラオケボックス上野店内。

メンバーは8名。オフ会は小一時間ほど進行したのち、
さて、カラオケを始めようか、という段取りとなる。
さて、最初は何から歌うのか?。カラオケでは初めての
集いになるメンバーなので、誰が何を歌うのか、
うまいのか下手なのかも、一切合財さっぱりわからない。

いずれにせよ、まずは自分から機先を制そう。
のっけからマニアックなマイナー曲が出たのでは、
盛り上がりを損なう場合も有り得る。
私がわずかに歌える2曲のうちのひとつである「‘39」は
約8ケ月前の「Q+P」公演でも非常に好評だった曲でも
あり、かつ昔から、大方のクイーンファンにもかなりの
好感を持たれている曲である。
全員で歌ってスタートを飾るにはふさわしい曲であると
思い、オープニング曲としてリクエストを入れた。

曲を知っていても、その歌詞をメロディに乗せる経験を
ある程度してなければ歌うのが困難な場合が多い。
しかし、多くの人に口ずさまれてきたこの曲には、
その手の心配は無用だと思われた。
「‘39」ならば、きっとだれかがマイクを
握って下さるはずだ。
マイクを持った方には主旋律を歌って頂き、もう1本の
マイクを持つ私はアドリブで適当にハモレば、
そこそこ“曲”にはなるだろう。

ここのクイーン曲は、キーをいじらなければ
基本的に原曲キー。
男女混合で集う場合のカラオケにおいては、好都合である。
モニターの画面が『‘39』を表示。
なかなかオリジナルに忠実な、くせのない綺麗な
アコギの演奏が流れ出す。

マイクを持って下さったのは…
…その方を仮に『Aさん』、としておこう。
Aさんと私とで、まず出だしはユニゾンで歌い始める。
途中からハモリ入れるけど、Aさん大丈夫かな?。

'In the year of thirty-nine'
Assembled here the volunteers
In the days when lands were few

Aさんの歌を少し聴いて、とても安定しているのが
すぐにわかった。
歌詞のメロディ及びリズムへの乗せ方、音程、歌唱…。
オリジナルそのものである。全く不安はない。うまいな。
今ではほとんど見かけないが、昔はハモリを入れると
こちらに釣られてしまう人が少なからずいたが、
それは、このAさんにおいては全く心配いらないだろう。

Here the ship sailed out into the blue and sunny morn

このまま、私がずっとユニゾンで行くと思われれて
しまうのもシャクである。
この辺、ハモリカラオケにおける妙なプライドを
持つ自分に苦笑したりする。
じゃ、次でちょっと(3度上のハモリを)、入れてみるか。

The sweetest sight ever seen

釣られないまでも、いきなり相方からハモラれたときに
ちょっと驚いた挙動を見せる人はたまにいる。
が、Aさんは磐石だ。私のハモリなど傍から見れば
“露払い”に過ぎない。
ここでAさんがある程度以上のレベルであることがわかる。

And the night followed day
And the story tellers say
That the score brave souls inside
For many a lonely day
Sailed across the milky seas
Never looked back never feared never cried

ここまで私は何もいじらず、ユニゾンで通す。
そして、Aさんが実に歌いなれてて、
しかも、相当うまいのはとてもよくわかった。
で、次からはキーも上がり、ラストまでずっとハモリだ。

Don't you hear my call
Though you're many years away
Don't you hear me calling you
Write your letters in the sand
For the day I'll take your hand
In the land that our grand-children knew

素晴らしい。
まったくブレもなく、ラストの高音部もシャープである。
探りながら、余計な心配をしていた私の方がバカだった。
逆にAさんのほうこそ、私が破綻するのではないかと
心配だったことだろう。
こうして記念すべきAさんとの初のデュオ曲は、
セカンドコーラスも無事終了へと向かう。
しかし、Aさんの本当の凄さは、更に別のところにあった。

メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考D下 ( No.6 )
日時: 2007/11/05 09:37
名前: 喜楽院

(2006年6月18日〜2006年10月)


「キラー・クイーン」に、「フレンズ・ウィル・
ビー・フレンズ」、そして私が歌った「ラブ・オブ・
マイ・ライフ」…。あとは…。
もう、半年以上も前のことなので、この会で歌われたと
思われる十数曲はあらかた忘れてしまった。

Bさんが歌った「ルーザー・イン・ジ・エンド」や、
Aさんが歌った「フリック・オブ・ザ・リスト」以外は、
通常の店でクイーンのカラオケ会があればよく歌われる曲、
がほとんどだったと思う。

今、普通のカラオケボックスなら、クイーン曲は
せいぜい30もあればまあまあであり、この時は一般的に
世に出回っていたこの30曲あたりの中から選曲されたのが
大勢を占めていたと思われる。
まさか150曲もあると予め知っていて、今まで
歌ったことのない曲をこの際、とばかり練習してきた人は、
いなかったはずだ。

今回の「選択範囲」と思われる約30曲は、
我々クイーンファンからすれば、皆、有名曲であり、
ほとんどの人が口ずさめる。
したがって(ソロ歌唱曲以外の)どんな曲が
披露されていようと8人のメンバーは、ほとんどが
何かしらカラオケに絡む。主旋律をなぞる方あり、
主旋律をハモる方あり、サイドボーカルに入る方あり、
やたらバリエーションの多いクイーン特有の
バックコーラスに入る方ありで、結果、陶然とした
ボイス・ワークが形成される。
ついでに言うなら、同時に、エア・ギター、
エア・ドラムで参入を果たす方もいらっしゃる。

私は、「クイーン」自身のスタジオ曲でもライブ曲でも、
そしてリメイク曲でもなく、またカラオケボックスで
今までに見聴きしたことのある、1名や2名の歌唱による、
幾つかの楽曲とはまた別の、新たに創造されたクイーンの
世界を、今回初めてうっとりと聞くことが出来た。

このカラオケ会は、これ以降、これとは別に今までに
2度開催されているが、その都度、初めて参加された方は、
上記の私同様の感想を抱いたであろうことは想像に難くない。

それにしてもだ。今回のカラオケの実施にあたって、
私の驚愕の対象のトップとなったのは、Aさんである。
Aさんは、御自身がリードボーカルをとった曲以外にも、
ほとんどすべての曲に絡んだ。

サイドボーカルあり、単独の場合のバックコーラスと
ハモルためのそれと、しかも極めて手数の多い
バックコーラスである。
加えて言うなら、いわゆる今の私のような
「当てずっぽう」や「勘」に頼る、頻繁にハズすことがある、
いわゆる“なんちゃってコーラス”ではない。

一切、破綻しないし、一切、はずさない。
正確無比そのものであり、それはもはや神業に近い。
Aさんを形成する数億個の細胞の一つ一つにクイーンの
DNAが取り込まれているかのような印象さえ受ける、
まごう事なき「魔法のボーカル」である。
知識、記憶、経験、音感、歌唱力、リズム感、
どれかが欠けてもまず、ああはうまく行かない。

しかもそれは、ひょっとすると、150曲ほとんどすべてを
カバーしている可能性さえ充分にある。その「魔法」に
より、単に歌詞とメロディをなぞった程度の歌であっても、
Aさんのコーラスでよりクイーンっぽく聴くことが
出来るし、そこそこの程度の歌唱であったなら、
Aさんのコーラスにより、本物により近い雰囲気を持つ
素晴らしいクイーン曲に仕上がる。

「現時点での今の私」は、過去にAさんと共に通算数十曲に
及ぶクイーン曲を歌わせていただいたが、Aさんの
コーラス抜きでは、まず、ほとんどは普通に聴ける“曲”に
すらならなかったであろうことは、自分でよくわかっている
つもりだ。

クイーンを何度も聴きこんでいる内に、それが自然に
訓練となって身についた、自信に満ち溢れたAさんの
リード&サイドボーカル、そして数々のコーラスワークに
対しては、カラオケなりクイーンなりについて多少は耳が
肥えているつもりの私ではあるが、正直言ってかなり
驚嘆したのをよく覚えている。
とてもじゃないが、敵わない。レベルが違いすぎる。

盛況のうちにカラオケ大会が終了。
矢継ぎ早にリクエストが繰り出され、1時間など、
それこそ瞬く間だった。
仮に2,3時間あったとしても、同様だったのは
間違いあるまい。

しかし、私は別のことを考えていた。
世の中には凄い奴がいる。これは面白い。
150のクイーン曲を擁するこの店のソフトと、
この人の「魔法のボーカル」があれば…、
あとは、うまい下手はともかくとして、歌う本人に
それなりの歌唱が可能であれば、(私にとって)15歳の
頃から夢に描いていた数々の憧れのクイーン曲を、
自らの手で実現することが出来るわけだ。

「フェリー・フェラーの神技」に、
「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」、
「ミリオネア・ワルツ」に
「懐かしのラバーボーイ」…、
それから…あれもこれも…。

1979年、カラオケというものの存在を初めて知って以来、
常に私の頭の中の片隅に、どこかおぼろげに滞留していた、
かねがね歌ってみたかった「クイーン」の様々な
名曲・難曲群が、次々と頭の中をかすめていく。
クイーン曲を“本気で”歌うこと。それが故フレディ・
マーキュリー氏を更に深く理解することにつながることも
よくわかっているつもりだ。

お恥ずかしい話だが、自分ではかなり若いつもりでいるが、
どうもそうではないらしい。
ここ数年、裏声が以前に比べて徐々に濁ってきているのは、
たまにカラオケボックスに行く都度に実感していることだ。
いつ裏声がダメになってもおかしくない。
それ以前に、いつ病気になって死んでもそんなに不思議では
ない年代だ。
のんびりしているヒマは無い。
こんな千載一遇のチャンスは、何があろうと
決して逃してはいけない。

機会は来た。
さまざまな事情や紆余曲折があったことだろう。
千載一遇のチャンスであり、私にとっては真面目な話、
ラストチャンスかもしれない「第一回×××ツアーズの
カラオケ大会」の開催日程が、2006年11月18日(土)に
決まる。
Aさんが参加するのは間違いない。
私にしてみればそれこそが目的なのだ。
自分がAさんと歌いたい曲をリストアップし、あとは
ひたすら破綻することのない様、練習あるのみ。
この時点ですでにそうとう“入れ込んでいる”私は、
リストアップした曲を、あろうことかAさんにメールする。

///////////////////////////

@オウガ・バトル
Aフェリー・フェラーの神技
Bネヴァー・モア
Cマーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン
Dブライトン・ロック
E谷間の百合
Fミリオネア・ワルツ
G懐かしのラバーボーイ
Hジェラシー
Iラス・パラブラス・デ・アモール

★Aさんへ。上記は、当日私がメインを
取らせて頂きたい10曲です。
『願わくば、特にAとCにおけるサイドボーカルは、
あなたに入って頂きたい。』

///////////////////////////

今思うに、よくまあこんな大胆不敵な申し出を
したものである。
“暴走”と非難されても仕方のない行為だろう。
実際、目をむくような難曲も混じっている。
しかし、Aさんから「お前のような下手くそが、
私と歌うだと?。ふざけるな。100万年早い。」という
回答が来たとしてもそれは覚悟の上だ。
私にはもうAさん以外に考えられない。

幾つかの難曲を含む、私が厳選した上記10曲を本気で
歌う機会が今後全く無いのでは、間違いなくこの世に
悔いを残すことになる。
ゆえに私はこうして、メールを送ることによって
自らの退路を絶った。
もう、「洋楽のトラウマ」などと言って逃げてはいられない。
実際の歌唱の際も、いわゆる「なんちゃって英語」は
御法度である。
歌詞の、少なくとも8割は忠実にトレースしなければ
Aさんに対して失礼というものであろう。
トレーニングを充分積んで、実戦に臨むつもりでいた。

「なるほど。面白い。」

Aさんから届いた返信には、一言そう書いてあった。
滅多に歌われることがないであろう、単独のボーカルでは
実現不可能なこのAとCのサイドボーカルは、Aさんに
してみればスタンダード・ナンバーに等しいらしい。

「せいぜい練習していらっしゃい、喜楽院さん。」
Aさんのささやきが聴こえた気がした。
(Eに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考E ( No.7 )
日時: 2007/11/05 09:38
名前: 喜楽院

(2006年11月18日/15:30〜15:35)


クイーン曲だけで、収録数150余りを誇る通信カラオケ
システムのモニター画面に、本日、この部屋で演奏される
何曲めかのリクエスト曲のタイトルが表示される。

『The March of the Black Queen/クイーン』

この店ならではの「曲揃え」である。
私がサイドボーカルにAさんを指名した2曲の内のひとつだ。
この曲は、いわゆる“普通”のカラオケボックスには
存在しない。
故に、この曲を人前で歌うという30年越しの私の夢が
今、叶う瞬間を迎える。
イントロ。
重厚なピアノ音が鳴響き、ほどなくしてギター音が
絡んでくる。
それを聴き、歌いだしの音階を探る。
原曲キーだ。ならば大丈夫。少しホッとする。

2006年11月18日(日)
都内・某カラオケボックス六本木店。
「(第1回)×××ツアーズ・カラオケ大会」の会場。
数名の男女がモニター画面をみつめる。
画面には、歌いだし部分の英語の歌詞の表示。

Do you mean it ?

マイクは2本。
うち1本は私。もう1本はAさん。
私は極度の緊張に包まれながら、タイミングを
見計らって歌い始める。
栄光の「クイーンU」の、いや、
「全クイーン曲」の中でも、歌唱での難易度がかなり
高い楽曲である「マーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン」。
この曲を、私が単に今までに聴いた回数ならば、
とても五百とか千とかいう数では足りない。
今回は、今日のこのAさんとのデュオにおける、
「歌うがために」かなり積極的に聴きこみを行い、
歌唱のトレーニングを積んできた曲である。
ところが、曲に入る前のAさんとの打合せは、
例によって一切なされていない。

事前にAさんから何か訊かれるかな?、とは
思っていたが何もなかった。
ハナっからぶっつけ本番でやる気だったらしい。
私がどんなコースにボールを投げようが、
確実に打ち返す自信があるようだ。
マジかよ。
打合せなしで歌った前回の「‘39」とはレベルが全く違うぞ。
そんなことが本当に可能なんだろうか?。

Why don't you mean it ?
Why do I follow you and where do you go

今日は新幹線での都内入り。
そうそう東京へは頻繁に来れない。
この「カラオケの会合」とて、2度目以降の開催の
有無は不明だ。
下手をすれば私にとっては、この曲を歌うに、
もう後は無いのかも知れない。
失敗できない。失敗したくない。
「ラストチャンス」という思いと、20年以上前の
カラオケバーで、初めて挑戦した年上の美女との
「ビートルズ・ナンバー」のハモりに惨敗した、
あの時の悪夢が頭の中をよぎる。
あの無念も、ここで晴らしたい。

次の立ち上がりの部分が忙しい。
慣れるのにかなり苦労した部分だ。
事実上、この曲のスタート地点。
いよいよ始まる。モニターを凝視する。
私もAさんも、この直前の部分の激しいハ
イトーンコーラスは省略。

(※以下、【かっこ】内はサイドボーカルパート)
(※バックコーラスパートは数が多すぎるので
表示は省略してあります)

@You've never seen nothing like it no never
in your life
Like going up to heaven and then coming back alive
A【Let me tell you all about it】
BAnd the world will so allow it
C【Ooh give me a little time to choose】
DWater babies singing in a lily-pool delight
『Blue』 powder monkeys praying in the dead of night

最初の2行はうまくリズムに乗った。
よし、いける。
刹那、Aさんは、その外見から想像されるよりも、
意外に少し低い声で、迷うことなく、まさにドンピシャの
タイミングでACの連結されたサイドパートへ入ってきた。
流石だ。もう、それだけでクイーンっぽい。
私が@BDを歌い、ACをAさんが歌うことなど全く
決めてなかったのにも関わらず、結果的にそうなった。
過去、誰と歌ってもこうなった、ということか?。

そして、あれっ?と思ったのは『Blue』をAさんが、
かなりしっかりした発声をしたこと。
ここはメインボーカルが『Blue』を飛ばして、代わりに
ブレスをしたくなる一瞬であり、それを見越したAさんからの
“保険”か?、と想像するのは考えすぎだろうか。
ラストのdead of nightのみ、ファルセット。
淀みがなかったと思う。曲が締まる。

【Here comes the】 Black Queen, poking in the pile
Fie-fo the black Queen, marching single file
Take this, take that, bring them down to size
【March to the Black Queen】

正直、♪March to the Black Quee〜nと入ってくると、
予めわかっていたこととは言え、ゾクゾクする。
さて、いよいよここから先は、この曲最大の難関。
ここを乗り切れば終わったも同然。

(※以下、≪かっこ≫内はハモリ)
(※以下、『かっこ』内はユニゾン)

ギターソロの間に呼吸を整え、大きく息を吸い込む。
さあ来い。

Put them in the cellar with the naughty boys
A little nigger sugar then a rub-a-dub-a baby oil
【aah aah】 black on 【aah aah】, black on
≪every finger nail and toe We've only begun begun≫
Make this, make that, keep making all that noise
【March to the Black Queen】
Now I've got a belly-full
『You can be my sugar-baby, you can be my honey-chile,
yes』

Put them〜からしばらくは“ブレス”を
ほとんど許してもらえない魔のパートである。
いやあフレディさん、ここは実に苦しいです、困ります。
そうは言っても、幸い肺活量には自信がある。
過去、水泳やっててよかったと思う瞬間。
そして、怒涛のファルセット連発パートでもある。
ここでの声量が少ないと“曲”にならない。

緊張でガチガチだったが、なんとかこなせた。
ヘマは無かったはずだ。
メインの私が忙しいのはもちろんだが、それは
サイドのAさんも同様である。
針の穴を通すかの如く正確なコントロールで、
サイドパートとバックコーラス部を次々とさばく。
≪かっこ≫のハモりには惚れ惚れするし、
『かっこ』のユニゾンも、リズムには寸分の狂いもない。

凄い。相当の場数を踏んでいると思われる。
しかもこの“慣れ”の度合いと言ったら!。
私はとても嬉しい。ここまで破綻せずにAさんと、
このクイーンの難解なコーラス・ワークを
トレース出来たことに喜びを感じる。

ここからは今までのに比べれば次は休憩時間、とは言え、
地声とファルセットとの多様な切り替えが要求される
パートである。
地声の高い部分は、油断すると声がひっくり返る可能性が
高いので早めにファルセットに切り替えるなどの注意が必要。

A voice from behind me reminds me
【tra la laa tra la laa aaah】
Spread out your wings you are an angel
Remember to deliver with the speed of light
【A little bit of 】≪love and joy≫
Everything you do 【will bear a will】 bears
a will and a whyand a wherefore
≪A little bit of love and joy≫
In each and every soul lies a man,
very ≪soon he'll deceive and discover≫
But even till the end of his life,
≪ he'll bring a little love≫

Aさんの≪かっこ≫部のハモりは、私が予め、どのラインに
入るかを見透かしていたかのように上に下にと移動をする。
見事である。
心の中では苦笑すること以外、他にすることがない。
あきれて、歌いながら漠然とAさんのことを考えた。
このAさんはいつ頃から、こうしたクイーンの
カラオケに興じているのだろう?。
どういうメンバーとカラオケを行なったら、これだけ
鍛えられた「魔法のボーカル」になるのだろう?。

I reign with my left hand, I rule with my right
I'm lord of all darkness, I'm Queen of the night
I've got the power - now do the march of the Black Queen
【My life is in your hands, I'll fo and I'll fie】
I'll be what you make me, I'll do what you like
I'll be a bad boy - I'll be your bad boy
【I'll do the march of the Black Queen】

あとは一本道。
再びAさんを思う。
この人がこの曲のメインをとったらどんな歌に
なるんだろう。「メインを完璧に把握しているからこそ、
サイドに入れる」のだ。
大変に飛躍した比喩で恐縮だが、
メインを歌えるということは「薔薇」という字を読めること。
サイドを歌えるということは「薔薇」という字を書けること。
「薔薇」という字を書けるのに、読めない人がまず、
いないように、サイドが歌えるのに、
メインを歌えない人もまず、いない。

Walking true to style
She's vulgar 'buse and vile
Fie-fo the Black Queen, tattoos all her pies
She boils and she bakes, and she never dots her "I's"
【She's our leader】

あとはクロージング。
三たびAさんを思う。
本当はこの曲のメインを思いっきり歌いたいのに、誰も
サイドに入らないから、いや、入れないから、
そうすることが出来ず、Aさん、内心つまらないと
思っているんじゃないのかな。
今日のこのAさんとの「ブラック・クイーン」は
本当に楽しかった。
もう一度、あなたと一緒にこの曲を歌える日が
来るといい、と切に思う。
お望みであるならば、それまでに私がサイド・パートを
マスターするべく日々、研鑽を重ねて参る所存で
ございます。必ずや、あなたのメイン・パートを
立派にサポートしてご覧にいれましょう。

おっと、その前に今日はまだもう1曲、
「フェリー・フェラー」があったっけ。

Forget your singalongs and your lullabies
Surrender to the city of the fireflies
Dance with the devil in beat with the band
To hell with all of you hand-in-hand
But now it's time to be gone -
【(la la la laaa)forever)】 - forever

あ。今の【かっこ】のコーラスはとても気持ちよかった。

≪La la la laaa aaah aah aah aaah≫

(そのFに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考F ( No.8 )
日時: 2007/11/05 09:39
名前: 喜楽院

(2006年11月18日/17:15〜17:20)」

>おっと、その前に今日はまだもう1曲、
>「フェリー・フェラー」があったっけ。

2006年11月18日(土)。某カラオケボックス六本木店。
「×××ツアーズ1st/カラオケ大会」会場。
曲と曲との合間の短い時間に、雑談に興じる数名の男女。

15:00から始まったカラオケ大会である。
2時間あまり経過したが、なにせ少人数なので、
歌う頻度が高い。

@オウガ・バトル
Aフェリー・フェラーの神技
Bネヴァー・モア
Cマーチ・オブ・ザ・ブラック・クイーン
Dブライトン・ロック
E谷間の百合
Fミリオネア・ワルツ
G懐かしのラバーボーイ
Hジェラシー
Iラス・パラブラス・デ・アモール

ここまでに、予めAさんに予告した上記10曲は、
ほとんどこなした。
むろん、これ以外にもたくさん歌わせて頂いた。
何しろほとんどが初めてマイク持って歌う曲ばかりである。
キーが合うのか、練習通りに歌詞がリズムに乗るのか、
手探り状態かつドキドキ&ビクビクもので歌っているのに
加え、今後もう一度、このクイーン曲を歌う機会が
発生した場合に備えて、意識しなくとも、次回において
修正すべき点、及び注意すべき点が、勝手に頭の中に
刻み込まれていく。

これが2度目、3度目になる歌唱の曲ばかりなら、
かなり楽なはずであるが、決して簡単ではない初めて歌う
曲の数が,これほどのボリュームになると、体力的には
問題ないのだが、かなり神経的に参りつつある。

そろそろだな。
“難関”は今のうちに早く終わらせておこう。
予告していた10曲のうち、唯一歌っていない曲を
入力してもらう。
ほどなくして、モニター画面に表われる曲のタイトル。

『フェリー・フェラーの神技/クイーン』。

出た。…いよいよ…ついに…という感情が先立つ。
感慨深い。
私が14歳の時から46歳になる今日までの32年間、
どう少なめに考えても2.3日に1回程度は聴いてきた、
この「フェリー・フェラー」。
私の、「クイーン」の中で最も好きな楽曲である。
この世の中に、何百万、いや何千万、どれほどの数の
楽曲があるのかは知らないが、その中で私が最も回数を
こなして聴いた曲である。

この曲を口ずさんだことは過去に数千回はあるが、
“本気”で歌おうとするのはこれが初めてだ。
マイクを1本Aさんに渡し、もう1本を自分で手に取る。
この曲を再現するにあたり、マイクは3本欲しい処だが
しょうがない。
多分、やたら沢山あるコーラス・パートは、
高音ファルセットを持つBさんがそこかしこに
入ってくださるだろう。

イントロが始まる直前、Aさんとこの曲について
簡単なやりとりをする。
「私が全域メインで入ります。ただ、一番最後の
〜Come on Mr. Feller, crack it open if you please〜
ここだけはAさんがメインで入って下さい。お願いします。」
曲に入る前にAさんと打合せをするのは「ブライトン・
ロック」に続いて本日2度目であり、通算でも2度目である。

チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ・チ…

魔法の国の、やたら動きの速い時計の秒針が刻む
音のようでもあり、妖精が何かに驚いて、慌てて
走り去る足音のようでもある、
この音を追いかけるかのように、チェンバロ風の音を出す
キーボード音が現れ、リズムを創り出して、私をいざなう。

(※以下、≪かっこ≫はハモり。)
(※以下、【かっこ】はサイドボーカル。)
(※今回、ユニゾンとバックコーラスの表示は省略。)

(※この曲をご存知の方は、表示した歌詞をご覧の上、
是非、ハモリの脳内再生をお願い致します。)

≪He's a Fairy Feller≫

私と、Aさんとのハモりでスタート。
さあ、始まった。
瞬間風速的な難易度としては「ブラック・クイーン」の
方が上である部分があるかもしれない。
しかし、広範囲においての高速コーラス、
かつファルセット多用を強いられる点を考えると、
それだけですでにトータル的な難易度は
「フェリー・フェラー」の方が上。
「ブラック・クイーン」の局地的な難関さが、この曲では、
ほぼ全編に渡って延々と続いていると考えてよいだろう。

この曲には都合9箇所、クラップ音が入る場所があるのだが、
今回はとてもそんな余裕は無いので、再現はあきらめる。

@The fairy folk have gathered round the new-moon shine
ATo see the Feller crack a nut at night's noon-time
B【To swing his axe he swears,】
C as it climbs he dares To deliver...
D【The master-stroke】

本来なら、メインが@ACを歌って、サイドがBDに
入るのが妥当だ、と、今なら思うが、この当時、
まだそれを理解していなかった。
@ABCまで一息で歌い通し、DをAさんにまかせようと
思っていたが、練習時とは違い、実際にマイクを持って
歌ってみると、この曲には実は、かなりの声量が
必要であることに気付かされる。

いけない。
息の配分がおろそかになっている。
ましてAのパートはファルセット。
ここで地声のパートと同等の声量を絞りだすのに、
貯金していたかなりの酸素を消費してしまった。
Aを歌っている途中で苦しくなる。
今後、長伸ばしを含むボリュームのあるCの歌唱を
考慮した場合、もはや耐えられない。
Cに対応するためには、Bは無理だ。
歌えない。カットせざるを得ない。

そう判断してBをあきらめ、♪at night's noon-ti〜meと
本来の長伸ばしを行なって、多少の空白期間の発生には
やむを得ず目をつぶり、充分なブレスの後にCに入ろうと
構えたところ、研ぎ澄まされた「アルト」ボイスによる、
B「♪To swing his axe he swears」が、ここしかない!と
いうタイミングで、矢のように素早く切り込んで来た。

うそっ。なんでわかったの??。
これには驚いた。
Aさんにしてみれば
セオリー通りの一点読みだったのであろうが、事情が
わからない私には、わたしの息切れを
予測していたかのようなフォローに、戦慄を覚えた。

少ない可能性ではあるが、メインが@BD、
サイドがACを歌う可能性だってあった。
しかしAさんは、私が@に続いてノーブレスでAに入り、
その声色を聴いた瞬間に、ご自分がBに入らなければ
ならないのは必至、と判断されたようだ。
恐るべし。いや、参りました。
この先、この人と歌ってて一体どうなるんだろう。

≪Ploughman, "Waggoner Will", and types
Politician with senatorial ≫pipe -
【he's a dilly】-dally-o
≪Pedagogue squinting, wears a frown
And a satyr peers under lady's ≫gown,
【dirty fellow】What a dirty laddio
≪Tatterdemalion and a junketer
There's a thief and a dragonfly ≫trumpeter -
【 he's my】 hero, 【aah】

この曲は、ここもそうだし、どこでもそうだが、
地声とファルセット、行ったり来たりで忙しい。
それでもこの辺は比較的楽だ。
Aさんは、≪かっこ≫のパートは主旋律の下を走る。
オリジナルどおり。

このブロックにおけるサイドボーカルは、とても忙しい。
ラストの【aah】はAさん、Bさんによるツインの
ハイトーン・コーラス。
豪勢、かつ贅沢である。
相当、この曲の雰囲気が出ている。素晴らしい。

Fairy dandy tickling the fancy of his lady friend
The nymph in yellow 【"can we see the master-stroke"】
What a quaere fellow

1度目の「Fairy dandy」である。
ご存知のように1度目は全域にバックコーラスが
飛び交うが、2度目のそれはラストの一撃だけである。
この曲のオリジナルにおけるマーキュリー氏のキーは、
不自然なくらいにやたら高く、このパートを
なんと地声!でこなしているが、私には無理なので、
この一行はすべてファルセット。

Soldier, sailor, tinker, tailer, ploughboy
Waiting to hear the sound
≪And the arch-magician presides
He is the leader≫

全域において高い。“sound”のファルセットは特に高い。
ここはなんとか切り抜け、さあ、次からこの曲の
最難関部である。

≪Oberon and Titania watched by the harridan≫
≪Mab is the Queen and there's a good apothecary-man≫
≪Come to say hello≫

♪Oberon and Titania〜以降の≪かっこ≫は、
Aさんがユニゾンで入って来ると思っていたが、
私の3度下に入った。
このブロック全域に渡って、しかも綺麗にハモる。
まさしくオリジナルのまま。見事。
「魔法のボーカル」ここにあり。
続いて最後のヤマ、2度目の♪Fairy dandy…を迎える。

Fairy dandy tickling the fancy of his lady friend
The nymph in yellow
What a quaere fellow

2度目の♪Fairy dandy…のサイドは、本来、太い竹ヒゴを
ハジいているような、ベース代わりの低音ボーカルが
入るのだが、今回はメインの私の単独歌唱。
1回目同様、立ち上がりからファルセットを振り絞る。
…fancyまで歌いかけた時、そこまで沈黙を守っていた
AさんBさん両名が、何やら強大なオーラを発しているのに
気付く…。

「来る!」。
ここは元々、バックコーラスが来て当たり前の
パートなのだが、瞬間、殺気に近い何かを感じた。
目の前の獲物を捕らえようとして構えるカマキリの、
「完全静止」から、高速の「動」へ移行する
その刹那、の感覚。
続いて、私の比較的大きな声量の
♪〜of his lady friendのファルセットを
ねじ伏せるように、お二人の『―LADY−FRIEND―』。
2段ロケットのような音階で、2種、2音による
超ハイトーンボイスが、まるで竜巻のように襲い掛かる。

ここで、世にも美しい3部和音が響いた。
一瞬、それまで自分を包んでいた卵の殻みたいなものが、
粉々に吹き飛んだ気がした。
「3部合唱曲:仮面舞踏会」の、あの懐かしい感覚が、
確かにそこにあった。
“滞空時間”はそれに比べればとても短いが、
間違いなく同質の浮遊感覚を生じた。

直後、再び元通り殻に覆われた私は、続きの
♪The nymph in yellow以降の歌唱に入る。

(Gに続く)
メンテ
私的かつ自己中心的カラオケ考G ( No.9 )
日時: 2007/11/05 09:40
名前: 喜楽院

(2006年11月18日/17:20〜17:25)


≪The ostler stands with hands on his knees≫
Come on Mr. Feller, crack it open if you please

打合せ通り、私に代わってAさんが入った最後の一行の
メインボーカルの、そのハモりから外れて、
♪Fairy〜 Feller〜aah 〜aah〜ah
の、バックコーラスに入る。いまいちだった。
ヤメときゃよかったと苦笑。
その上の行と同様に、普通にハモってりゃよかった。

とりあえず完結。
長年の夢が、かなった瞬間。素直に嬉しい。

もともと下手くそな歌い手が、こともあろうに初めて歌う曲。
音程は奔放にハズれまくり、それこそチグハグどころでは
なく、ほとんどデタラメに近いものであったことだろう。
でも、とても気持ち良かった。
カラオケはこうでなくちゃいけない。
それはもちろん、Aさん、Bさんによる、極めて本物に近い、
サイドボーカル&バックコーラスのお陰に他ならない。
感謝の極み。

バイクで、峠のワインディングロードをその気になって
走る場合、タンデムよりはソロで走った方が速いのは、
普通当たり前だ。
しかし、後部座席に乗る人が相当な上級者だと、
コーナリングの際、積極的にそれに必要な(運転者よりも
上手な)体重移動を仕掛けるため、運転者が一人で
走るより速く走れる場合が多々ある、という。
今回歌い終わって、この話を思い出した。
次回がもしあるのならば、是非そうありたいものだ。

それにしても、途中で何の前触れもなく突然訪れた、あの
「3部曲:仮面舞踏会」の感覚は一体なんだったのだろう。
この曲は30年近い私のカラオケとして経験した中の、
自分の歌、他人の歌を問わず、最も美しい楽曲の一つである。
そして、工夫に工夫を重ねて作り上げたこの曲における
陶酔感・満足感に、「フェリー・フェラー」は、この3人で
(事実上AB両名の2名だが)たった一度歌っただけで、
わずか一瞬ではあるが確かに迫ったのだ。

「フェリー・フェラー」という曲は、クイーンの
ライブでは多分一度も演奏されたことがなかったはずだ。
コピーバンドにおいても、演奏されることは、
まず、稀であろう。
比較的難しいこの曲が、カラオケにおいて、
そうそう頻繁に歌われてきたとも思えない。
「フェリー・フェラーさん」はきっとそれを不満に
思っているのだ。
自分はこんなにも美しい曲なのに、どうして誰も
歌ってくれないのか、と。

「フェリー・フェラー」には4部のパートも
多少あるだろうが、3人でもパートをうまく割り振れば、
ほぼカバー出来る、と思う。
この曲はきっと、「マイク3本&3部で歌ってくれれば、
あの『3部曲:仮面舞踏会』にも匹敵する満足感を、
歌う人に与えてあげるよ」と、『―LADY−FRIEND―』の
一節を通じて、私にささやいてくれたのに違いない。

2部曲が仮に「酒・タバコ等の嗜好品の類」であるなら、
3部曲は「禁断の麻薬の類」だ。一度ハマれば、
もはや抜け出ることはできない。
言われるまでもなく、しっかり研究して、いずれ
「3部曲:フェリー・フェラーの神技」に挑んでみたい。

そして更には、この曲はきっと「あんた、もっと
布教活動に専念して、『クイーンのカラオケ』に
興じる人々をどんどん増やしなさい。
そうすれば皆さん、必然的に、単独歌唱よりは2部、
2部よりは3部と、(難易度のアップは不可避だが)
より高い満足感の追求に走る方々がたくさん出てくるはず。
カラオケの3部など当たり前の世の中に、早くしなさい。」
と無理難題を私に押し付けているのだ。

クイーン150曲のカラオケを愛好する人々は、今の処、
密かに地下に潜伏して増殖しているような状態だが、
いずれ、日の目を浴びる時期がきっと来る。
カラオケにおいては、10〜15年の歳月をかけてようやく
「ハモリ」が浸透してきたように、今度は「3部」で
歌われることが珍しくなくなる日が、いずれ来るだろう。

「世界に捧ぐ」に含まれる世界的な
スタンダード・ナンバーとは趣を別にして、
新たな時代の、新たなステージにおける、
新たな「クイーン」のスタンダード・ナンバーの
立ち上がりを、切に心から待ち望むものであります。

(終)
メンテ

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