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クイーンについての考察 レース編
日時: 2008/04/01 08:09
名前: じろー

前回で、初期の男性ロックファンを離れさせたアルバムとして、オペラ座の夜を挙げたが…
今回は華麗なるレースに注目したい!!


04年に、クイーンのベストアルバムとして発売されたジュエルズが、チャートNo.1になったことは記憶に新しいが…
この時、クイーンのアルバムとしては27年ぶり…と言われたのをご存知だろうか!?

この27年前のアルバムこそ華麗なるレースであり、その後クイーンのアルバムはチャートNo.1にはなっていないということだ!!
華麗なるレースとは、どんなアルバムだったのだろうか…!?


僕が初めてオペラ座の夜を聴いたとき、すでに華麗なるレースは発売されていた…頼みの綱の先輩も持っていなかったこともあって、僕が聴いたのは少し経ってからのことだった…

♪ド〜〜ン、チャッチャッチャリラ〜チャ〜ラ〜チャッチャッチャリラ〜♪
第一印象は“中国”だった!!(笑)

「タイ・ユア・マザー・ダウン」が始まる…ハードとまで言わないが、軽快でノリのいい曲だ!!
リフもかっこいいし、ボトルネックも出てくる…オペラ座で感じた「こんなロックもアリなんや…」という感じだった…

♪ウウウウ〜〜♪
アカペラで始まる「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」…
アコースティックピアノによる弾き語りだが、これまでになくマイナーな感じだ…
このオーケストラ…これもギターやな!?ギターオーケストレイションが判り始めた頃だった…
静かな曲だけに、ハーモニーの美しさが際立つ!!

重厚なコーラスがまだ続くのかと思ったら12弦ギターの音…「ロング・アウェイ」だ!!
淡々と歌われる中、ベースラインがとてもメロディアスに聴こえる…

ズンチャッチャッ、ズンチャッチャッ…ステレオが片方壊れたのかと思った…「ミリオネア・ワルツ」!!
出た!!今度はもろにワルツだ!!
途中、ハードなパートを挟み軽快なツインリードへ…コーラスの掛け合いも楽しい…

「ユー・アンド・アイ」はラテンっぽいタイコも入る楽しい曲…
チュチュルチュルチュル…のコーラスがちょっとだけ恥ずかしい…

B面に入るとコーラスとは呼べないほどの大合唱…6/8拍子のロッカバラードだ!!
「サムバディ・トゥ・ラヴ」…なるほど、「ボヘミアン・ラプソディ」の続編みたいな感じかな…!?

続いてヘヴィ系の「ホワイト・マン」…これは「プロフェッツ・ソング」か…

一転、ピアノも軽快な「グッド・オールド・ファッションド・ラヴァー・ボーイ」…これはいわゆるボードヴィル調というパターンだな…

そして、これまでにはなかったような雰囲気の「ドロウズ」…ロジャーの曲というと、ハードなイメージがあったけれど…こんな曲もあるんだ…

アルバムの最後を飾るのは「テヲトリアッテ」だった…日本語が出てくると聞いていたが、なんと荘厳なギターオーケストレイション…
曲の終わりにはオープニングにも流れたSEで幕を閉じた…


正直に言って、オペラ座ほどの驚きはなかった…!!それは、すでに他のクイーンのアルバムを聴いていたから…だけではなかったような気がするのですが…

後になってから冷静に比較しても、オペラ座とレースにはたくさんの共通点があります…
白に紋章、黒に紋章のジャケット…
そして曲も、続編と呼べそうなものがたくさんあったりして…

当時のギター雑誌には「オペラ座で完成したかに見えたクイーンのゴールは、逃げ水のように遠ざかっていく…」との表記があったが、それはちょっと言い過ぎのような気がした…(笑)

僕が高三のとき、軽音楽部の一年にM男というヤツがいた!!(名前であり、決してマゾ男ではない…)
彼が入部してきたときの第一声が「リッチー・ブラックモアは一通り弾いてきました!!」だった!!
「ほほ〜う!?なかなか言うやん!?ちょっとやってみぃや!?」と言うと…♪ギュイ〜〜ン!!テロリロリロリロ〜♪
滅茶苦茶上手かった!!
そんなM男がカセットテープを持ってきた…「じろーさん、こんなんやってみたんですけど…」
テープには平仮名で「しゃみせんぎたー」と書いてあった…

「ブライトン・ロック」のギターソロのコピーだった!!
ディレイマシンこそ使っていないが、さすがに上手い!!完全コピーだ…
そんなM男に華麗なるレースのことを聞いてみた…
「すごいな〜とは思いましたけど、弾くにはイマイチでしたね!!似たようなフレーズも多いし…」

彼が弾くのはギターソロであり、ギターオーケストレイションではない…!!
似たようなフレーズ…というのは「ホワイト・マン」でのリフを指すのだろう…
つまりギター小僧のM男にとっては、レースよりもシアー・ハート・アタックだったのだ!!

また、雑誌のレビューにもこんなことが書いてあった…
…重厚なコーラスのオンパレードで、ご馳走をたらふく食べたあとにブ厚いステーキが出てきたような気にさせる…

つまり、華麗なるレースは、男性からは少し敬遠される部分を持っていたといえるだろう…
何故ならば、多くの男性ファンはオペラ座の夜で離れてしまっていたからである!!
離れていった彼等は期待していたかもしれない…今度のアルバムで、以前のようなクイーンになってやしないかと…
ところがその期待は、微妙に裏切られてしまったのだ…(笑)

女性ファンや現在の若い男性ファンには信じられないかもしれないが、そういった意味で華麗なるレースは、(2ndを高く評価する…)初期の男性ファンからの評価が低い…

70年代のアイドルによくあった現象だが、ひとつヒット曲が出ると次の曲はその曲と同系統のものが多かった…いわゆる二番煎じだ!!
冷静にクイーンのアルバムを評価したとき、この華麗なるレースがそうではないと断言できる自信はないのだ…(笑)


ところがここに、不思議な…いや当たり前の事実が残る!!
華麗なるレースは、日本に於いて大ヒットするのだ!!
今、手元に資料も何もないのだけれど、とにかく大ヒットしたのだ!!
先ほどは僕が初めて聴いたときの感想だったが、このアルバムがどんな風に聴かれていたのか想像してみよう…

荘厳なドラの音とギターオーケストレイション…ワクワクするような幕開けだ!!
「タイ・ユア・マザー・ダウン」…一曲目からノリノリのハードなナンバー!!イェ〜!!っと叫びたくなる…

「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」…ピアノだけで奏でられる物悲しいバラード。美しいコーラスに息を奪われてしまいそう…

「ロング・アウェイ」…ブライアンの優しいボーカルがちょっぴり切ない…「なんと長い道のりだろう…」のフレーズが胸をうつ…

「ミリオネア・ワルツ」…なんて楽しい!!ミュージカルの1コマのよう…途中、かなりロックっぽくなるけど、その後のギターはとっても華麗…

「ユー・アンド・アイ」…ジョンの曲ってなんて素敵なんでしょう!!ロジャーのドラムも弾んで聴こえる…

「サムバディ・トゥ・ラヴ」…なんという大合唱!!フレディの声ものびのびとしていて…最高!!

「ホワイト・マン」…クイーンには珍しい、人種差別をテーマにしたメッセージソング!!

「グッド・オールド・ファッションド・ラヴァー・ボーイ」…これぞクイーンの本領発揮!!四人のメンバーの顔が浮かんできそうな一曲!!

「ドロウズ」…今回もロジャーのボーカルがあった!!ロジャーの声はハスキーなだけではなくて…フレディとは違った魅力がある…!!

「テヲトリアッテ」…日本語の歌詞が出てくるだけでなく、タイトル自体が手を取り合って…最高のプレゼント…


リアルタイムの女性ファンからは「そんなことないよ〜」と言われるかもしれないが、こんな感想を持った人はたくさんいたんじゃないかと推測する…(笑)

つまり、当時の男性ロックファンはサウンド…特にギターを重視し、女性はボーカル、メロディ、そして歌詞にまで入り込んで聴いていたような気がするのです!!

ギター小僧にとってクイーンは難問だった!!
オーバーダビングされたギターは、ライヴでは再現出来ないし、ライヴ音源が出回っていない当時ではライヴバージョンのコピーすらできなかった…
しかも、ギターがなんとかなったとしても、ベース、ドラム、それにボーカル…ハーモニーはどうする!?
クイーン自身が「初期の頃はライヴが苦手だった…」と言うくらい、クイーンの楽曲はライヴ向きではなかった!!

全国規模で見れば分からないが、少なくとも関西ではクイーンのコピーバンドは珍しかった…
「ブライアンみたいなギターを弾くヤツがおる!!」という噂でローリー(寺西)が出てくる以前には、80年にプロデビューしたノヴェラの平山照継くらいしか見たことがない…
ノヴェラの1stを聴けば、クイーンの影響がモロに聴いて取れる!!
ある意味で現在、クイーンのコピーバンドがたくさん存在することは嬉しい驚きなのだ!!

話しを華麗なるレースに戻すと…それだけライヴ向きでないクイーンの楽曲でありながら、この華麗なるレースからは「ユー・アンド・アイ」と「ドロウズ」以外はクイーンのライヴで演奏されているのだ!!(もしこの二曲の演奏記録があれば教えてくださいね!!)

70年代半ばのアマチュアバンドにはドゥービー・ブラザーズやディープ・パープルをコピーするバンドが少なくなかった…!!ラウドネスの高崎晃のレイジーや沖縄のムラサキなどは、そこからプロになっていたし…

つまりロックの範疇を超えてしまったことと、ライヴコピーされなかったことでクイーンファンの主流は女性ファンのものになった…という風に考えられるのだが…それが結果的に商業的成功もおさめていたりして…


最後にもう一つ、どうしても気になることが…
当時の音楽雑誌にあったロジャーのコメントで「フレディのヤツ、最近はピアノで作曲するんだ…」とある…
おそらく「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」を指した言葉だと思えるのだが、確かに、この曲にはロジャーの出番がない!!(笑)

僕にはこの曲がフレディのソロの原点と思える…
77年のアールズコートでのライヴが収録され、ビデオ発売直前でお蔵入りになったという…
ブート映像ではこの「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」は、フレディのみのピアノ弾き語りになるのだが、途中でドーンと音が入る!!フレディは一瞬、辺りを見回し歌い続けるのだが…

もしもこのせいで、このビデオがお蔵入りになったとすれば、「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」はフレディにとってパーソナルに想い入れのある曲なのではないか…そんな気がするのです…


とりとめもない話しになってしまいましたが…(笑)
やっぱりアルバムごとに話しをするのは非常に楽しいので、このパターンで続けてみようと思います!!
もちろん、次回は「世界に捧ぐ」です!!
メンテ

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ご無沙汰しております ( No.1 )
日時: 2008/04/01 08:10
名前: えりおん

じろーさんや皆さんの書き込みを見て、久々に遠い記憶たどってみました。(でもおぼつかない所もあるのでそういう時は姉に聞きながらf^^;)

私のはじめてのアルバムは中2になってすぐの頃、姉が買ってきたセカンドでした。75年春の初来日で、ML誌でクイーンが取り上げられるようになった頃の事でした。続けてシアーハートアタック、そしてステレオのある部屋ではなく寝ながらも聞けるようにと(笑)1stから3rdまでの曲を集めた市販のカセットテープと続きます。(曲はKeep Yourself Alive、Great King Rat、Liar、Orga Battle、Killer Queen、などが入っていました。)
そして発売を待って75年冬の「オペラ座」でした。

特にセカンドは中毒性があるというか大好きでしたが、Death On Two Legsやボヘミアンラプソディに衝撃を受けた多彩な「オペラ座の夜」で離れていくということはありませんでした。むしろクイーンファン熱は加速し、その後の高校3年間まで、青春時代(!)はクイーンなしでは語れないようなところもあります。
脱線しますが、セカンドとシアーのジャケット、この中で誰がいい?というような話しになりますよね?曲がどうとかではなく。(女子だけですねf^^;)
私はあのジャケ写のみでやっぱりソッコー、フレディでした…(あの胸毛にも引くことはなかったんでしょうか…謎です(笑)
ちなみに姉は貴公子ジョン。ロジャーはかっこよすぎるかららしいです♪
これが「女、子供の…」と言われてしまう理由ですね、すみませんf^^;)

でも姉の同級生の中にはデビュー当時からのファンで、初来日も2度目の来日コンサートも行って、オペラ座で離れていった男の子のファンは確かにいたそうです。「戦慄の王女」から順に追っていったファンにとっては曲がり角のようなアルバムだったのでしょう。

じろーさんのおっしゃる、「デビュー当時からのファン」と「91年からのファン」の間には「オペラ座からジャズまでのファン」という層が多くいるように思います。
姉曰く、「デビュー当時からのファン」は再燃していないんじゃないかとも。再燃組には75年〜80年くらいのファンが多いような気が私もします。

私は「華麗なるレース」がちょっと胃もたれする感じがあるので、やはり「オペラ座」はそれ以前のアルバムと並んで1番好きです。
何にしても“これがクイーン!?”から“これもクイーン”という、クイーンファンの神髄をついたようなじろーさんの言葉にうなずいてしまいました。
メンテ
頭も目もくらくら・・・ ( No.2 )
日時: 2008/04/01 08:11
名前: 昔sakai

じろー様の提起されたOUEEN考、深いです。

私はえりおん様の意見にぴったりな75〜80年にファンになった再燃組です。
年はどうやら皆様よりちょっと上になるようです。

以前告白したんですが、中・高時代は、西城秀樹ファンでした。コンサート(ライブとは言わない)でROCKナンバーを聞かされてました。ビートルズやプレスリーはわかっても
朝日の当たる家はどのバンドの曲かなんて知りもしませんでした。たぶん、彼は当時のROCKファンの男子だったのだと思います。
おかげで私もラジオで極東放送を聞いたりしたものです。
どこで「キラー・クィーン」を聞いたのか、とにかく、ラジオでQUEENを知りました。
だからアルバム購入順はVまたはオペラ→T→U→レースだったと思います。

で、当時の’70後半のROCKファンというのは、ハードロックか、プログレか、だったと思います。
 (あと、BCRのようなアイドルですか?QUEENもアイドルバンド扱いされていたし、実際ロジャーの帽子やブライアンのマフラーを探したものです。)

ハードロックはギタリストがヒーローでした。
どんな風にギターを弾いているか、男子たちは目を凝らしていたと思います。

プログレは何をやらかしてくれるか、期待されていて、どうだ、コピーできるものならやってみろ!見たいな感じがありました。地元にクリムゾンをコピーするバンドがあってすごいうまかった。(美狂乱を知っている人いるかも・・・?)

そして、QUEENはどっちだ?となるとどんどんわからなくなって、当時、わたしなんかよりずっとROCKを聞いていた友人と、QUEENはQUEENというジャンルなんだと5年ほど前に結論付けました。(やっと・・・)

でも、同時進行していた当時には、本当に、どんどんわからないままで、追いつかなくなりまして、「ボディランゲージ」のあたりで、途中下車いたしました。

今QUEENがある意味、歴史になってしまっているから、凄さがわかるのだと思います。
でも、また、動き出してくれているのかな

ああ・・頭も目も死んできました・・
それでは、また皆様のご意見を楽しみにしております。
メンテ
Re: クイーンについての考察 レース編 ( No.3 )
日時: 2008/04/01 08:12
名前: K&K(Sweet)

「クイーンについての考察 レース編」拝読いたしました。どうもありがとうございました。


> 04年に、クイーンのベストアルバムとして発売されたジュエルズが、チャートNo.1に

「ジュエルズ」は4年前になるのですね。
で、その27年前に日本で初めてチャートNo1になった「華麗なるレース」ですが、
日本において
「Hot Space」の最高位チャートが、6位までいったのに
「オペラ座」の最高位チャートは、9位でした。そして、
「シアー」の最高位チャートは、23位です。ちなみに「ファースト」は52位。
「セカンド」のチャートは記録無し(数年前にどこかの雑誌に掲載されていましたが
何故今になって?という疑問があります)


この順位、皆さんはどう受け止めていらっしゃるでしょうか?

「クイーン人気は日本で最初に火がついた」とは、
このチャート結果からは裏づけできませんが、各アルバム自体の良し悪しは別として、
えりおんさんが仰ったように
「デビュー当時からのファン」と「91年からのファン」の間には
「オペラ座からジャズまでのファン」という層が多くいるように思います。
という御意見の裏付けになるのではないかと。
つまり、当時の日本におけるクイーンファン層の増加に比例しているように感じます。


そうすると、
じろーさんの「考察 オペラ座編」での「オペラ座」で離れていったクイーンファン!
の話が成り立たないということになりますよね。

じろーさんからはこの辺りの話が出ていませんが、
私が実際体験して思うのは・・・
クイーンは、
「セカンド」アルバムで70年代初頭からのロック世代に受け入れられたけれど
「サード」のアルバムでそのロック世代に波紋を投じ、
「オペラ座」で混乱を引き起こした。そしてその混乱の後、
「レース」と「世界に捧ぐ」によって、新たなロックジェネレーションが確立した、と。

事実、当時の「レース」のライナーノーツにはその混乱を治めるべく、
大貫氏がクイーンの優れた音楽性を熱弁してくれています。
それによってクイーンがどのジャンルにも当てはまらない、
クイーン独自のジャンルを認めたロックファン、クイーンファンが数多く出てきたのだと思います。


しかしこの「70年代初頭からのロック世代」に代表されるバンドというのは、今現在でも
ハードロックやプログレの王者としての地位を揺るぎないものとしているだけに、
今や、それらのバンド名を書き並べるだけで、
ロックファンには、まるで黄門様の印籠のように感じさせてしまう部分が
根強く残っているように感じていますし、
また当時それだけ「70年代初頭からのロック世代」が、
いかに強靭!?であったかも、うかがい知ることができるかなと思ったりしています。^^;


で、「新たなロックジェネレーション」の中で、
クイーンファンは一層強くなっていったと思います。
それは、この「レース」のアルバムで初めてフレディのタイツ姿が登場しますが、
その後にテレビで「伝チャン」のピデオが流れ始め、茶の間で話題となります。
それに対し
“タイツ姿の出っ歯で、何が悪いっ!”と言い放つ最強のクイーンファンに・・。



> もちろん、次回は「世界に捧ぐ」です!!

ってことで、とぉ〜っても楽しみにしております!^^;


あっ、レースの各曲について何もコメントしなくてすみません。
んーと、私は「ボヘラ」より「愛にすべてを」の方が好きでした。
ジャケットも肉付きが良い「レース」のロゴの方が好きでした。
でも一番は、やっぱりセカンドのロゴが大好きです!
メンテ
私なりのレース考 ( No.4 )
日時: 2008/04/01 08:14
名前: FM '81

管理人さんが調べてくださったチャート順位を分析すると、「オペラ座」以降ファンが増えていったことがわかりますね。
「オペラ座」から入った私なんかは、まさにこの層のファンだと思います。
この辺りのファンの心境を、ちょうどえりおんさんがうまく指摘しておられました。
>Death On Two Legsやボヘミアンラプソディに衝撃を受けた多彩な「オペラ座の夜」で離れていくということはありませんでした。
>むしろクイーンファン熱は加速し、その後の高校3年間まで、青春時代(!)はクイーンなしでは語れないようなところもあります。

ストーンズやツェッペリン、ピンク・フロイドなどなど70年代ロックを経験してきた私ですが、
やはりクイーンはえりおんさんがおっしゃるように 特別な存在でした。



そこで、レースの私なりの考察です。


中学の時このアルバムを聞いた時、批判的なことはほとんど感じることなく何度もよく聞きました。
また、今現在の私なりの評価でも及第点に達していると思いますし、嫌いではありません。
次に述べることは、ある程度聞いて来て感じることです(80年代後半には感じていたことです)。

じろーさんの考察の中に、私がこのレースというアルバムについて思うキー・ワードが使われていました。
それは
>オペラ座とレースにはたくさんの共通点があります…
>ひとつヒット曲が出ると次の曲はその曲と同系統のものが多かった…いわゆる二番煎じだ!!

つまりキー・ワードとは「オペラ座と共通する」と「二番煎じ」です。
いわば、前作と同じあるいは似たことをした、です。

これに対して、このレースでは初の試みもあります。
このレースはクイーン初のセルフ・プロデュースのアルバムとして知られています。
この、一方で同じ(似た)ことをし、他方で初の試みをしたのがレースといえますが
結論からのべますと、この点成功しているとは思えず「残念でならない」のです。
むしろ、ジャケットやアルバムの内容面では、「オペラ座」と関係なく全く新しいことをやり
プロデュースのほうは、セルフ・プロデュースでなかったほうがよかったのでは
(それまでと同じロイ・トマース・ベーカーをプロデューサーとするかどうかは別として)
と思えてならなりません。


私は業界の人間ではないのでプロデューサーと言う人がどんな役割の人か詳しくはわからないのですが、
おそらく、アルバムのプロデューサーの場合は、同じ素材(バンド、曲)でも
より良く聞かせる、より良いアルバムにするにはどうすればいいのかを考える役割の人だと思います。

そこでレースをアルバムとして聞いたとき感じるのは、平板過ぎすし、面白みに欠けるということです。
A、B面それぞれちょうど5曲づつというのもそう感じさせますし、
いわゆる大作と言える曲が無くほとんどが4、5分くらいの曲で占められていることからもそう感じます。
これに対してオペラ座までの4枚は、1分台の曲の他、6分以上の曲もあり起伏に富んでいましたし
アルバムを構成で聞かせるようなところがありました。


また、このアルバムのキー・ワードとした「オペラ座と共通する」、「二番煎じ」の点も成功していないと思います。
私もじろーさんが考察されたように、レースではかなりの部分で
前作「オペラ座」をなぞらえていたり、モチーフにしていると思います。
およそアーチストが一度成功したからといって、それに題材を求めるというのは
やはり保守的と言わざるをえませんし、
アルバムの顔ともいうべきジャケットにほとんど似たものを使うというのも、
私達は保守的です、と宣言しているようなものです。


ですから、どうすればよかったのかというと(笑)
過ぎ去った過去に対して「たら、れば」をいっても無意味なのは百も承知ですがあえて述べさせていただきますと、

セルフ・プロデュースではなしに、誰かのプロデュースのもとに
前作「オペラ座」と過去のものとして封印し、全く別のものを造るとの気概で臨んでほしかったということです。
プロのプロデューサーならもう少し面白く聞かせる構成なりを考えていたと思いますし
そもそも前作をモチーフにするような手法をメンバーが言ったとしても
反対したのではないかと思います。

そうすれば、なにせ素材のほうは
まだノー・シンセサイザー、コーラスを売りにしていたあの当時のクイーンなのですから
もっともっととんでもないくらいの大傑作アルバムを世に出せていたのではないか、と思うのです。


個々の曲も悪くないと思いますし(じろーさんの曲ごとの解説は全くもってその通りだと思います)
よく聞いたために自分にしみついているようなアルバムですが、
レースを聞くたびに思うことは、以上のような理由から「んー、残念だなー」ということなのです。
メンテ
「華麗なるレース」の思い出。 ( No.5 )
日時: 2008/04/01 08:18
名前: 喜楽院

「華麗なるレース」の思い出@。

「華麗なるレース」発売は、高校1年の冬だった。

中2の冬の「シアー・ハート・アタック」、
中3の冬の「オペラ座の夜」に次いで、
またまた、冬季での発売である。

周りにいる沢山のクイーン・ファンが、このアルバムを
購入するであろうことは、わかり切っていた。
彼らのうちの誰かから借りて、録音すればいいのだ。
私が、彼らと同じアルバムを購入する必要は、無い。
私が別のアルバムを購入して、お互いに貸しあえば、
そのほうが、双方ともに有益というものであろう。

「レース」発売と同時期に、レインボーのセカンドが
発売予定となっていた。
私が中3時の夏に出た、彼らのファーストである
「銀嶺の覇者」は、ボソボソした音を出す曲が満載の
アルバムであったが、メロディ・ラインには、
出尽くした感のあるハード・ロックにおいて
なかなか光るものが感じられた。
天下のリッチー・ブラックモア御大の「セカンド」である。
セカンドでコケたら、彼に未来は無い。
手塩にかけた、スンゲエのを出してくるだろう。
そう、思っていた。
そして私は、レインボーの「セカンド」を購入しようと決めていた。

冬の日本海側特有の、気が滅入るような鉛色の空の下、
私が通う高等学校の校舎の第3棟は、憂鬱な鉛色の空の陰気さを
増幅させるような、薄暗い建物だった。
いち早く「レース」を購入した友人から、その感想を聞いたのが
その第3棟における「生物室」の中だった。

「最初な、ジャーンっつって銅鑼の音が響いて、
ちゃっちゃっちゃららら〜〜、て中国音階みたいなのが
流れる。それから、ちゃりら〜ちゃりら〜って、
川の流れるようなメロディが聞こえてきて、そして
なかなかいい感じの、ハードロックが一発目に…。」

何を言ってるのか、わからなかった。
有力国立大学にストレートで入るのは間違いないと思われる
学業成績が優秀な「彼」だったが、
ロックと言えば、「クイーンの過去4枚」しか聴いてない奴は、
こういう説明しかできないのか、と思った。

「ま、喜楽院。聴いてみなよ。」
その場で彼が貸してくれた、「レース」のアルバム・ジャケットを
レコード屋のビニール袋から取り出し、しげしげ、と眺める。
第3棟の生物室そのものである、黒い黒いダブル・ジャケットだった。

(たぶんAへ続く)

****************************
「華麗なるレース」の思い出A。


自宅に帰って、ステレオのある部屋へ行く。
再び、「華麗なるレース」のジャケットをしげしげと眺める。

2008年喜楽院:
この時点で5枚出ていたクイーンのアルバムの内、
3枚は「黒」を基調としたジャケット・デザインだった。
今、思うにこの3枚の中でも、「レース」のジャケットは
とりわけ「黒さ、暗さ」を感じさせる。

1、オープニング〜「タイ・ユア・マザー・ダウン」

塩ビの盤を丁寧に、ターンテーブルに載せる。
借り物である。慎重に扱わなければならない。
針が落ちる。ボリューム・レベルをグイっと上げる。
わずかな静寂の後、いきなり鳴響く巨大な「銅鑼」の音。
10ケ月前の‘76年3月「クイーン武道館公演」。
「ボヘミアン・ラプソディ」のエンディングで
大槌みたいなもので、思いっきり銅鑼を2回ぶっ叩いた
ロジャの勇姿が目に浮かぶ。
その後の東洋的な音階、友人が言ってた「川が流れていくような」旋律。
正直、驚いた。インパクト抜群。極めて印象深い。
「ブライトン・ロック」のオープニング、そして
「デス・オン・トゥー・レッグズ」のピアノのイントロを
越えるサプライズである。

ふむふむ。大変、よろしい。
何しろ、全世界を「あっ」と言わせた、あの天下に冠たる
「ボヘミアン・ラプソディ」を筆頭に、数々の珠玉の名曲を、
名門デパートが暮れに売り出す「10万円おせち」の如く
豪華に、きらびやかに、それもスキマなくビッシリと埋め込んだ
稀代の傑作「オペラ座の夜」の“ネクスト”である。
これが期待せずに、いられようか。

それにしても、レコードを貸してくれた“彼”が、
今回の新作について、「前作であるオペラ座との比較」に
一切触れることなく、このオープニングの「東洋音階」と
「♪ちゃらら〜」の説明に終始したのは、奇妙なことである。

そして、その「♪ちゃりら〜」を吹き飛ばすかの如く、
豪快な「レスペ音」による、1曲目のイントロがスタートする。

(きっとBに続くと思う。)

*****************************
「華麗なるレース」の思い出B


>そして、その「♪ちゃりら〜」を吹き飛ばすかの如く、
>豪快な「レスペ音」による、1曲目のイントロがスタートする。

「タイ・ユア・マザー・ダウン」である。

1977年喜楽院:
得ないの知れない、とてつもない「何か」が飛び出すのでは?、と
身構えていたが、肩透かしを食ったようなシンプルなハード・ロックである。

2008年喜楽院:
「オペラ座」の「スイート・レイデイ」の方が美しい楽曲だと思う。
「タイ・ユア…」がここまでライヴ映えする曲だとは、当時は思わなんだ。


2、「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」

1977年喜楽院:
1976年の秋のML誌に、膨大な観客動員数を誇った「ハイド・パーク」公演の
紹介記事が掲載されていた。ここで「新曲の『テイク・マイ・ブレス』が
披露された」という記述があったように記憶している。
「レース」の中では比較的早く完成された曲だったのだろうか?。
この曲のタイトルを、このアルバムで初めて見つけたとき、もしかしたら、
この曲が「レース」からの「ファースト・シングル・カットなのか?」と
一瞬、想像した。
聴いてみて、いわゆる「スマッシュ・ヒット」を狙おうとする曲ではなかった。

この10ケ月後である1977年の秋、全校演劇大会が行なわれた。
全学年全21クラス対抗のバトル・ロワイアル・デス・マッチである。(なんだそれ。)
必勝を期す我がクラスの出し物は、涙の名作「フランダースの犬」である。
(「フランダースの犬」ですって!?。しょ、小学生じゃあるまいし。)
音響関係の総監督だった喜楽院は(大袈裟だし。)、
あの、ネロのじーさんが死ぬ、涙、涙の名場面のBGMに、数ある曲の中から、
この「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」を特別に抜擢、起用する。
(恩着せがましいし。)
が、観客のウケはイマイチだった。(無念)
やはり「手をとりあって」を選択すべきだっただろうか?。
(手をとりあってこのまま逝かれても困ります。)

2008年喜楽院:
この曲と、次の「ロングアウェイ」の間にある、正三角形のラセン階段のような、
多重録音のコーラスは、あれは一体何を意味しているんだろう?。


3、「ロングアウェイ」

1977年喜楽院:
この曲に関する印象は、全く残っておりません。

2008年喜楽院:
大好きな曲であります。
ここ2.3年、「レース」は車の中でよく聴くが、この曲と「ラバーボーイ」の
2曲しか聴かない。30年前は、この曲や「’39」に、全く興味とか面白みを
抱かなかったのは何故だろう。不思議であり、不自然であるとすら思える。
じろーさんの説は、この辺に活きているのだろうか?。

(Cに続く)

****************************
「華麗なるレース」の思い出C

4、ミリオネア・ワルツ。

1977年喜楽院:
そら恐ろしい曲である。
今か今かと待ち構えていた、このアルバムにおける
“クイーンらしさの本領発揮”は、
まずはこの、A面4曲目にひそんでいたのか。
個人的には好みではない傾向の曲であるが、
この曲の凄さを認めないわけにはいかないだろう。

2008年喜楽院:
発表から30年を経過したけれど、この曲の素晴らしさは
いまだ大方のクイーンファンの皆様に正しく認知されているとは思えない。
もし、クイーンの4枚目が「華麗なるレース」で、5枚目が「オペラ座」だったなら、
もっと端的に言えば「ミリオネア・ワルツ」が「ボヘミアン・ラプソディ」よりも
先に発表されていたなら、クイーンのみならず、世界の歴史が変わっていたことでしょう。
(そりゃ大袈裟ってもんです。)

5、ユー・アンド・アイ。

1977年喜楽院:
イエスの「危機」のB面曲みたいなタイトルである。(笑)
♪And a lantern goes swinging byか。
素敵♪。
こんなシーンは、今後の自分の人生におとずれるのかな。
そうこうしている内に、
♪You know I never could forsee the future years
から、曲調がガラリと変わり、そのままギターソロへ突入。
あら、カッコイイ。凝ってるじゃん。
今までのクイーン曲にこんな展開するの、あったかしら?。
偉そうな言い方だけど、さらに一皮向けた、クイーンの成長ぶりを感じる。

2008年喜楽院:
>1977年喜楽院様へ。
>♪And a lantern goes swinging byですか。
大変残念なことですが、その後のあなたの人生において
少なくとも30年間は、こういうシーンはありませんでした。
私の努力不足です。申し訳ございません。
全然関係ない話ですが、あなたが30年後に、カラオケでこの曲を
舐めてかかって歌ったら、全く「曲」にならず、大恥をかきました。
これぐれもご注意下さいね。

6、サムバディ・トゥ・ラヴ。

1977年喜楽院;
うおぅ!出た出た。
いやはや、こりゃ凄いわ。
ヤンヤの喝采を送ります。
今回のアルバムの代表作であることは間違いない。
「ミリオネア」もあまりにも見事ですけど、やっぱ、こっちですね。^^
ええ。もちろん「ボヘミアン・ラプソディ」同様、
後世に語り継がれるであろう名曲であります。

2008年喜楽院:
>「ボヘミアン・ラプソディ」同様、後世に語り継がれるであろう名曲であります。
「ボヘラ」にはちょっと水をあけられてる、という気がしないでもないです。^^;
またまたタラレバ話で恐縮ですが、「ミリオネア・ワルツ」以上に、
もしこの曲が「ボヘラ」よりも先に発表されていたなら・・・、という
「この曲のファン」ならではの想いが、私にはあります。
些細な、しょうもないことを気にする小市民的クイーンファンである喜楽院の
存在を、皆様、どうか大目に見てやってください。

(Dにつづく)
メンテ
セルフプロデュースの仮説 ( No.6 )
日時: 2008/04/01 08:19
名前: K&K(Sweet)

こんにちは。
FM'81さんの「レース」の考察で「初のセルフプロデュース」の話しが出されましたが
読めば読むほど、いろいろと考えてしまいます。


そもそも、クイーンが初のセルフプロデュースをしたのは
クイーン側の意向だったのか?
それとも、ベイカー氏が降りざるを得ない何か理由があったのか?

さらには、もしクイーン側の意向だったとして、初のセルフプロデュースをしたのは
「オペラ座」と同じ路線のアルバムを作る何らかの理由があったのではないか?

そう考えると、次作の「世界に捧ぐ」もクイーンがセルフプロデュースしてますが
それまでとは変わった新しい試みがいろいろとされていることから
「レース」は、わざと「オペラ座」と同じ路線で作ったという仮説も成り立ちますよね。

またこれを、じろーさんの仮説とFM'81さんの考察を取り込むと
「レースのアルバムは、ある程度のセールスを計算して、保守的にならざるを得なかった」
とも言えますよね。


うーん、クイーンも沢山儲けたいだろうし商業的には失敗できないと思うのは当然だと思います。
でも、失敗できないと思ったら、初のセルフプロデュースなんて、やるかな?
メンバー内で利権が絡んでくる危険性ありますよね?

利権と言えば、「ボヘミアン・ラプソディ」のシングル盤も売れに売れましたが
そのB面がロジャーの曲だった事でメンバー内でモメたって話は有名ですが、
その事があってか、77年のロジャー初のソロシングル盤には「クイーン4分の一」と
記載されていたのを聞いたことがあります。

っと、話が脱線してしまいましたが
じろーさんの投稿タイトル「すべてのものには理由がある」というのを見て、
いろいろと考えてしまいました。^^;
皆さんのご意見も是非聞かせていただきたいです。
メンテ
De Lane Lea Demo&セルフ・プロデュース ( No.7 )
日時: 2008/04/01 08:24
名前: DADA

K&Kさま みなさま 再びこんにちは

さて、
以前、ロック・ラジオ「クイーン・アワー」で
「Jesus」(De Lane Lea Studio Demo Tape,1971)
という音源が流れました。
詳細はよくわからないのですが、
QUEEN FIRST DEMO 1971 と記載されている音源を持っているのですが
その中にも同じ内容と思われるものが入っています。

以前にさつきさまからご紹介いただいた
De Lane Leaスタジオ録音バージョンと同じ内容のものかなとも思っているのですが。

アルバム「Queen」に収録されているバージョンと比べて、
ほとんどかわらない曲もありますし、
メロディやコーラス、演奏が違っている曲もあり、
聴いていて新鮮な感じがします。
私は、特にフレディの声が初々しい感じがして
なかなか面白い、興味深い音源だなぁと思います。

探してみたらたぶん同じ内容のものだと思うのですが
ネットでも聴くことができました。

アルバムバージョンと聴き比べてみるのも面白いかもしれません。

Queenの音楽が出来上がっていく過程も楽しめると思います。


こちら、若々しい感じがして、楽しいです。
フレディの声、ちょっと違って聴こえます。

↓ ♪ Queen- Keep Yourself Alive (De Lane Lea Studio Demo)

http://jp.youtube.com/watch?v=V1ykD1kbIb4


楽器のことはよくわかりませんがギターのアレンジが違っているのかな?
それから後半の手をパチパチと叩く音が入っていませんね。

↓ ♪ Queen- Great King Rat (De Lane Lea Studio Demo)

http://jp.youtube.com/watch?v=tXT7wq4JNtE


メロディもコーラスもアルバムバージョンとは違っている部分があります。
初々し感じで良いですね。
私はこの曲が5曲の中で最も興味深いです。

↓ ♪ Queen- Liar (De Lane Lea Studio Demo)

http://jp.youtube.com/watch?v=RkoSwIDAI5c


アルバムバージョンとあまりかわらない感じがします。

↓ ♪ Queen- The Night Comes Down (De Lane Lea Studio Demo)

http://jp.youtube.com/watch?v=i7EXlSMuMjM


以前、ロック・ラジオの感想の時にも述べましたが、
ドラムの荒々しい響きが良い感じです。

↓ ♪ Queen- Jesus (De Lane Lea Studio Demo)

http://jp.youtube.com/watch?v=-MoJPZqlnkk


静止画ですがQeenの画像もたくさん見られて楽しいです。

ネットに載せてくださった方に感謝。

ちなみにネットで調べてみたのですが、このデモのうち、
「Keep Yourself Alive」「Liar」「The Night Comes Down」「Jesus」
を作った時にはロイ・トーマス・ベイカーはまだ関わっていないようです。


ところで、
前の投稿でアルバムの発売順にと申し上げまたが
セルフ・プロデュースの話題で盛り上がっているようなので
私も感じたこと、想像したことを少し。。。

これはとある書籍からの抜粋なのですが、

ブライアンは1976年頃のインタビューでニュー・アルバム(「A Day At The Races」)について
次のように述べています。

 ・・・略・・・初めて、そのロイから離れて自らプロデュースするまでに至った経緯を
 ブライアンは、こう語ってくれた。

 「もう、そろそろ自分達でプロデュースしてもいい時期だと思ったんだ。
 前からロイに任せ切りというわけではなくて、何かと自分達でやって来た部分もあったけど
 最終的にはロイが全部まとめてくれていた。でも、彼は、今、他のバンドのプロデュースで
 忙しいんだ。それで、この辺で自分達で何かやってみるのも良いアイディアだと思ってね。
 うん、かなりうまく運んでいるよ」

 ロジャーもジョンも満足気にうなずいてみせた。・・・略・・・

同じ書籍で
ロジャーは1984年頃のインタビューで「A Day At The Races」について
次のように述べています。

 「このアルバムと前の『オペラ座の夜』はセットみたいな感じなんだ。
 『オペラ座の夜』と良く似ているし、延長線上にあると言えるね。
 音は、このアルバムの方がいいと思う。 タイトルは両方共、映画から付けたんだ。」

私もプロデューサーの具体的な役割についてはよくわかりませんし、
それからこれからお話しすることはあくまでも想像ですが、
「A Day At The Races」のセルフ・プロデュースについて
音楽のことを中心に考えてみると
「A Night At The Opera」でやり残したことがあって
それを自分たちで自由にやってみたかったのかもしれません。

ただやり残したことなので
やはり新鮮みにはどうしても欠けていたと思います。

でも、それをやり尽くしたことで
次の「NEWS OF THE WORLD」では
今までにはない新たなことをやってみようという気持ちが生まれたのだと思います。

けれども、そこはやはりセルフ・プロデュース。

「A Day At The Races」と「NEWS OF THE WORLD」、
出だしはどちらも印象的ですし、
収録されている曲、1つ1つに注目すると素敵な曲がいくつもありますが、

アルバムという1つの塊としては、印象というかインパクトが
ロイ・トーマス・ベイカーがプロデュースした「A Night At The Opera」や
その他のアルバムに比べて弱いような気がするのですが。。。
ゆるいという感じもします。

他人のプロデュースだと第三者の立場から良さをとことん引き出すことや
より良くするためには不必要なところはバッサリと切るというようなことが
客観的にできるのではないでしょうか。

そのことがアルバムをより魅力的なものにすることに繋がっていくのだと思います。

セルフ・プロデュースだとそういうことはどうしてもしにくいのではないでしょうか。

金銭的なことを考えると
セルフ・プロデュースに至った理由の1つに
やはりトライデントとの契約解消のことは大きく関わっているのかなと思います。

ネットなどの情報によると
4枚目のアルバムの制作の最中にトライデントとの契約解消しているようですが
契約解消後の「A Night At The Opera」の成功により自信を得たことが
5枚目のアルバムでセルフ・プロデュースをしようという気持ちにさせたとは想像できます。

ただ「A Night At The Opera」が成功したとはいえ
5枚目のアルバムを制作しようとした時点で
金銭的にどのくらい余裕があったのか、あるいは無かったのか、
余裕があったとしても欲に眩んだのか、
そのあたりのことがよくわからないのですが。。。

もし余裕が無かったとしたら、
単に「A Night At The Opera」の成功の自信というよりは
次の5枚目のアルバムもハズすことはできないという
じろーさまがおっしゃるような

>次のアルバムで、商業的には失敗できない…という状況があったのではないでしょうか!?

という保守的な気持ちが働いた可能性はあるかもしれません。

管理人さまのおっしゃる

>でも、失敗できないと思ったら、初のセルフプロデュースなんて、やるかな?
>メンバー内で利権が絡んでくる危険性ありますよね?

このことについては
あまりそうとは考えたくないのですが、
もしかしたらプロデューサーに支払うお金も惜しかったのかもしれません。。。

その為のセルフ・プロデュースだとしたら
もしかしたらそうせざるを得なかったのかもしれませんが
それはミュージシャンとしてアーティストとして
新たに何かを創り出すという意味から考えると
FM '81 さまがおっしゃっている主旨とは異なるかもしれませんが
「残念」なことだと思います。

ただ、1976年にQueenはハイド・パークでフリー(無料)・コンサートを開催していますから
金銭的にはそれほど苦労していなかったのかなとも想像できるので
セルフ・プロデュースをした理由に金銭的なことがあったかどうかはよくわかりません。。。


>喜楽院さま

>「華麗なるレース」の思い出

楽しく拝見しています。
横レス失礼いたします。
管理人さまのようにエッシャーの絵までは思いつきませんでしたが
お話しを拝見して「A Day At The Races」の最初の方と最後に流れる音から
元に戻るとか、輪廻とか、そういうイメージは湧きました。
メンテ
レースについて… ( No.8 )
日時: 2008/04/01 08:25
名前: さいぞう

皆様、はじめまして。
ジュエルズよりは前より聞いていますが、後追いファンです。
いつも覗かせていただいていました。
「華麗なるレース」は自分が初めて聞いたアルバムでもあり、書き込みさせていただきたいと思いました。

セルフプロデュースについてですが、下のDADA様の投稿のロジャーがチラッと言っていますが「音質」は大きいと思います。
それまでのアルバムに比べ、明らかに音全体の重心が低くなっています。
それ以降のアルバムも、多少の例外を除き低めの重心であることから、メンバーの目指した音であると思われます。
ロイ・ベイカーの音はカッティングレベルでも考えているのか、レンジ狭めが基本で、音を重ねても各楽器の音を聞こえるようにしています。
それに対し、「レース」は音を混ぜて重みを出しています。
その辺りがセルフプロデュースの成果ではないかと思います。

しかし、セルフプロデュースでやりたい事をやりたいだけやったため、凝りすぎな面もあるように思います。
一曲一曲コーラス、SEを駆使して完成度を上げていますが、アルバム全体では少しくどさも感じます。
また、ライブでの再現性が低く「タイ・ユア・マザー・ダウン」ぐらいしか、ライブで定着とはいっていません。
その辺りが反省点となり、シンプルなサウンドの「世界に捧ぐ」へと繋がっていったのではないかと思います。

失礼しました。
メンテ
しつこいようですみません ( No.9 )
日時: 2008/04/01 08:26
名前: FM '81

DADAさんが、私にとってとても貴重なインタビューを引用してくださいました。
少ししつこいようでですが、セルフ・プロデュースについてもう少し書いてみました。


それは、ロジャーのインタビューで
オペラ座とレースとの関係について触れているところです。


  ロジャーは1984年頃のインタビューで「A Day At The Races」について
  次のように述べています。

   「このアルバムと前の『オペラ座の夜』はセットみたいな感じなんだ。
   『オペラ座の夜』と良く似ているし、延長線上にあると言えるね 〜 。」


これによるとレースはオペラ座の延長線上とのことです。
やはりメンバー自身が意識して連続性を持たせていた、という事なのですね。

ジャケットも似たようなものを使ったのも、それが理由でしょうし、
また、じろーさんが先の投稿で分析されていたように
種々の点において「オペラ座との共通点」があるのも頷けます。
その意味ではたしかに延長線上にあると言えます。


しかしながら
オペラ座の肝心の作風なり、組曲風な造りはどうか。

私が聞く限り、そして多くの方々もそうだと思いますが、
レースでは、後期の曲単位の造りにほとんど近く、
オペラ座の延長線上にあるとはとても思えません。


ここで、思うに
初期4枚の、特に U、3rd、そしてオペラ座の3枚のあの複雑な組曲風な構成は、
もちろんクイーンの演奏力、作曲能力等々があってのことですが、
プロデューサーと言われる立場の人の比重も相当に大きかったのではないか、
いや、そのプロデューサーがいたからこそ実現できたことなのではないか。


専門のプロデューサーではなく
プロデュサーとしては初仕事となるクイーンのみによるセルフ・プロデュースでは、
名作「オペラ座」の延長線上といっても
じろーさんが分析されていたように、
せいぜいそのオペラ座の各場面各場面をなぞらえていくのが限度で
とてもオペラ座のあの複雑な構成、つなぎ、間、メリハリまでをも
再構築して我々に提示する事は、したくても出来なかったのでは、と思います。



そして、ここから個々のリスナーの価値観が入ってくるわけですが、

「いや別に組曲風なものはオペラ座までで十分で、もう要らないよ」
と思う人はレースを素直に受け入れられるのでしょうが、

他方、「もう一作、オペラ座風の作品を期待」した人たち
例えば、ここで喜楽院さんの投稿から

>何しろ、全世界を「あっ」と言わせた、あの天下に冠たる
>「ボヘミアン・ラプソディ」を筆頭に、数々の珠玉の名曲を、
>名門デパートが暮れに売り出す「10万円おせち」の如く
>豪華に、きらびやかに、それもスキマなくビッシリと埋め込んだ
>稀代の傑作「オペラ座の夜」の“ネクスト”である。
>これが期待せずに、いられようか。

(笑かしておきながらも、オペラ座の豪華さ、傑作ぶりが見事に伝わってきますぅー
  「華麗なるレース」の思い出C。楽しみにしております )


こういう期待を持った人達からすれば(私はこちら)
あの5作目の作成時も、専門のプロデューサーをむかい入れ、
セルフ・プロデュースで使ったはずのエネルギーを
むしろ本来の作曲、演奏のほうに使っていたならば...
その作品を聞いてみたかった、それが出来ずに残念なのです。


DADAさん、貴重なインタビューの引用ありがとうございました。


あと、もう一点、専門のプロデューサーをむかい入れる利点としてDADAさんがおっしゃる

>他人のプロデュースだと第三者の立場から良さをとことん引き出すことや
>より良くするためには不必要なところはバッサリと切るというようなことが
>客観的にできるのではないでしょうか。

>そのことがアルバムをより魅力的なものにすることに繋がっていくのだと思います。


この辺りは、さいぞうさん(はじめまして!)も指摘しておられる くどさ を回避するのに
役立ったのでは、と思います。
メンテ
四季頌歌(ミカバンの「黒船」より) ( No.10 )
日時: 2008/04/01 08:28
名前: hellつっち

各々方の深い考察、興味深く拝読しました。
我輩もあっさりとこぼしてみます。

 「レース」につき、概ねのインプレッションとしてはFM’81さんとかぶるのですが、
やはり「屋上屋を架す」印象が第一でした。
この盤を聴くようになったのが「オペラ」を含め数枚の後だったのと、そのころには
クイーン関連の記事も雑誌などで読むようになっていたので、多分にバイアスがかっていた
観も否めないのですが・・・。
 我輩が購入した際のジャケ帯?にはだいたいこんな売り文句が:
「オペラ座の双子的作品」「クイーン初のセルフプロデュース」・・・
ま、ジャケットから推して知るべしってなもンですたねーw
 「オペラ座」の双子にしてはトータルアルバムとしての色が極薄いと思いました。
ナンバー単発で捉えると珠玉が揃っているので完成度は申し分ないのですが。
ただ、諸氏が仰るように「オペラ座」の路線を期待したリスナー心理では動揺を隠せない
でしょうし、前作とは全く別ものを期待していた向きには順当な位置づけであるのかな?

 当時のクイーンが何を狙っていたか(或いは試行錯誤していたのか)はその手の記事に
載っているので省きますが、こちら一リスナーが思うのはロイ・トーマス・ベイカーの
功績は大きかったンだなぁと。初期の盤を一通り聴いてきて感じるのであります。

小賢しい批評だけじゃアレなんで、お気に入りの曲だけでもインプレを。

「タイユアマザーダウン」:ライブ映えする曲ですね。やはりトップにもってきて
テンションを揚げるのにも一躍かいます!それはそうと、そこそこ過激な歌詞とブーさんの
人柄ってあまり結びつきくいですな。

「テイクマイブレスアウェイ」:美しいバラードですね。シンプルなプロデュースも好い。
この手の曲は「売らんかな」の路線ナンバーとは一線を画す。心底ファン向けの名曲。

「愛にすべてを」:ゴスペルチックで重厚なコーラスワークが凄まじいクイーンの十八番。
音が深く、ボイスに奥行きがあるつくりは初期クイーンのトレードマークですね!

「手をとりあって」:マイナー調の旋律ってのは日本人向け?を意識してのことなのか?
気になるのは、西欧圏のリスナーからはどういう風にとられているのか、です。


いやー、どうにも大味で恐縮ですう
メンテ

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