懐かしの クイーン・ファン・クラブ-Japan

会員証の表と裏

これは20年以上も前の日本のクイーン・ファン・クラブの会員証です。
私は未だにこの会員証を大事に持ち歩いています(旧姓の署名のまま)
なんとなくクイーン・ファンであり続ける自分の身分証明書みたいな感じがして、熱狂的にクイーンを応援していた頃の懐かしい想い出がつまってて、
手放せないでいます。
さて今回は、まだモノクロだった頃の、懐かしい会報を紹介したいと思います。


1976年「vol.4」
何と言っても、この時代はクイーンがまだ「アイドル・グループ」としてしか認められない事にファンの全員が憤りを感じていて「真のスーパー・グループにするため、一体となって頑張りましょう」と言う事が、たくさん記載されています。
当時、私は学校新聞クラブに入っていて、小さなスペースを自由課題で担当する事になったので、クイーンを紹介しました。そしてついでに「クイーンはミーハー・バンドなんかでは、ない!!ベイ・シティ・ローラーズなんかと一緒にしないで欲しい!! 」と書いてしまった。その新聞が、学校内に掲示されるや否や、ローラーズ・ファンから、呼び出しくらって、 首ねっこ掴まれて、脅された経験があります。
「うぅ・・こわかったよぉ〜っ!!」


1977年「vol.7」
編集メモに、『ミュージック・ライフ誌に載ったロジャーのキス・シーンとロック・ショウ誌に載ったブライアンの結婚問題について雑誌発売と同時にドッと問い合わせの電話をもらいました。電話をくれる事は構いませんが、ステージ以外の場所ではそっとしといてあげましょう』と言うコメントが。多分、ロジャーのキスのお相手はデボラ・ハリー(ブロンディー)ですね。それと、ブライアンが女性(クリッシー)とテーブルの下でしっかりと手を握りあってた写真ですね。 2枚共、脳裏に焼き付いてる自分の記憶が怖い!
しかし、大変な騒ぎでした。写真見た時、思わず叫んでましたから・・「誰じゃあ〜この女〜っ!!」って。


1978年「vol.10」
この頃「ぎんざNOW」で「伝説のチャンピオン」のプロモ・フィルムが流されていて、このフィルム についての説明が記されています。もうひとつ、日本でのプロモーターは、渡辺プロの子会社「ワールド・レジャー」でしたが、77年より 同じ子会社「ワタナベ・エンター・プライズ」が代わって行う事になったとして、渡辺プロの副社長、渡辺美佐氏にジョン・リードから絵画一点、フレディから「スキン・パウダー」が送られてきた。と書いてあります。

「ええなぁ〜、すきんぱうだぁ〜・・」


1978年「vol.12」
ジョンの直筆の手紙から始まっています。この頃になると、クイーンの新しいアルバム発売は「年末」が恒例になってました。当時噂されていた1時間もののクイーン・ドキュメンタリーについて・・「テレビ映画なので、日本の映画館でやる事はまずない」という事で、とてもがっかりした記憶があります。
でも、「ファン・クラブの方からNHKに放映の依頼をしておいた」というのを読んで、私も個人的に、かなりの数のハガキを書いて送りつけてました。
確か、79年に「ヤング・ミュージック・ショウ」で、クイーンのライブが放映された記憶があるのですが、KISSと2本立ててだった気がします。(この年の日テレのとは、また別です)「NHKさ〜ん、クイーンのテープ放映してぇー!!」