フレディのソロ・アルバム『バルセロナ』B面1曲目に収録されている「ゴールデン・ボーイ」の冒頭とエンディング。 フレディが低音を効かせ徐々に高揚しながら歌い上げるそのシーンは、クイーン関連全曲において、オペラという芸術様式に最も近くまで迫った瞬間ではなかろうか。 今回はそのオペラ的手法が頂点を極めるまでに、バンドとして幾度となくチャレンジした、あらゆるオペラ的歌の形式・曲種を探る! そう、もちろん例によってK&K流に。 (それってかなり強引ってこと? That's right!)


オペラにおける様々な歌の形式・曲種

recitativo cecco(レチタティーヴォ・セッコ)
通常チェンバロなどの通奏低音を伴奏に、早口な言葉で物語の筋・展開を語る歌唱様式。18世紀イタリアで流行したオペラ様式「オペラ・ブッファ(喜歌劇)」に多く見られる。(伊語)
歌劇 『妖精の王』 第1幕 “馬が鷲の翼を持って”
歌劇 『黒を纏った女王の行進』 第1幕 “お前は未だかつて”

どちらもブッファではないですが、この形式を聴くことができます。 他にも『時間通りにくたばんなさって』など多くの作品で早口唱法は登場しますが、そのほとんどはレチタティーボからは逸脱しています。 マーキュリー座専属の楽団は歌手が早く歌うと、ついつい演奏も突っ走ってしまう過激な楽団だったようです。


lament(ラメント)
17世紀イタリア・オペラに共通して見られる悲劇的性格を持つ歌唱法で、器楽による伴奏付きの独唱法《アリア》の一種。 クライマックス直前に歌われることが多い。(伊語)
歌劇 『白い服の女王』 第3幕 “ああ 女神よ”
歌劇 『ボヘミア狂詩曲』 第3幕 “僕 死にたくないよ”
歌劇 『私を救って』 第3幕 “毎晩 泣いているんだ”

多くの作品で使われてそうな曲種ですが、独唱となると意外と少ないようです。 マーキュリー座は名歌手が揃っているため、クライマックス直前に三重唱もしくは大合唱と歌に厚みも持ってくる作品を取り上げることが多かったようです。


aria di catarogo(カタログ・アリア)
18・19世紀イタリアの「オペラ・ブッファ」に見られる、たくさんの名前や場所、物などのリストを早口で読み上げるアリアの一種。(伊語)
歌劇 『妖精の巧みな技』 第3幕 “兵隊 船乗り”

“兵隊 船乗り”だけでなく、この作品全体で聴くことのできる曲種です。 この他にも『自転車競技』『奇跡』にも似た様式は登場しますが、独唱もしくは早口にはなっていません。


cadenza(カデンツァ)
18・19世紀のアリアで、終止の前に歌手が自由に挿入する即効的なフレーズ。(伊語)
歌劇 『かわいい女』 第4幕 “さあ 走っておいで”
歌劇 『貴方と私』 第4幕 “ねえ 僕らはずっと一緒”
歌劇 『あなたなんかいらない』 第3幕 “ああ マカチョス”

マーキュリー座の歌手はこの形式が大好きだったようで、多くの作品で試みております。 但し歌われた後に完全に終止するものは無く、厳密にはカデンツァとは言い難いです。


stretta(ストレッタ)
19世紀のオペラに多く見られる、早いテンポでフィナーレへと高揚するアリアや重唱の最後のクライマックス部分を指す。(伊語)
歌劇 『黒を纏った女王の行進』 第5幕 “楽しい歌や子守唄”
歌劇 『宇宙の王子』 第3幕 “我らはここに”

ドラマチックな作品を取り上げることの多かったマーキュリー座だけに、難しいこの形式も見事にこなしています。 またその多くは独唱ではなく重唱の形を取っています。


vaudeville(ヴォードヴィル)
オペラの終幕で、登場人物が順番に歌ってフィナーレを作る形式。もともとは風刺に富んだ世俗歌曲のこと。(仏語)
歌劇 『ひとつの幻影』 第4幕 “望みはそれだけ”

この作品では《ヴォードヴィル》というよりは、前項《ストレッタ》に近い形で使われております。 『ブラウン氏の帰還』『浜辺の逢引き』などの作品でも、最後にこの形式の影響をわずかながら見ることができます。



SWEET:歌詞を知らずに読んだら、一体何のページか全く分からないわよ?
FAIRY:う〜ん、オペラを聴いてる聴いてないより、そっちが問題だったとは...