Gallery(Photo by SweetK)

「ケンジントン・ガーデンズに面したヴィクトリア女王像、後方はケンジントン宮殿」 (写真左)
High St.ケンジントン駅からKensingtonハイ・ストリートを通って徒歩15分。故ダイアナ妃が最後に住んでいた宮殿。 ハイドパークに接して西側にある。 1689年、メアリー女王の夫、ウィリアム3世が購入し私的な邸宅として使っていた館で、 1760年以降は国王の親族のための宮殿となっている。
「ロイヤル・アルバート・ホール」(写真中央)
この表通り近くには、コンサート・ホールや博物館があり、これらの施設を提唱したのはヴィクトリア女王の夫、 アルバート公である。彼は1851年、議会の反対を押し切って大博覧会を開催し、その収益金をそれらの施設に投じている。 このホールは南側(裏手)に行くと階段を配した中庭があり、赤レンガ造りのこの建物を一番美しく見られる。 (しかし、1999年3月現在、改築中で中庭に行けなかったのが残念。)
「アルバート記念碑」
彼のこれらの業績を記念して建てられた記念碑。ホールの北側、ハイド・パーク内にある。

「セント・ジェームズ・パークから見たバッキンガム宮殿」(写真左)
ビクトリア駅から徒歩15分。もともとバッキンガム公爵の家として建てられた邸宅を1762年、国王ジョージ3世が 王妃シャーロッテと子供達の為に2万8千ポンドで購入したもので、その後父王の跡をついで即位したジョージ4世が 名建築家ジョン・ナッシュを起用して、莫大な費用をかけて大改築した。 しかし完成後、ここに最初に住んだのは姪のヴィクトリア女王である。 以来、歴代国王がこのバッキンガム宮殿を居城とし、現在のエリザベス2世も平日をここで過ごし、 週末をウィンザー城で過ごしている。
「ホース・ガーズの衛兵」(写真中央)
バッキンガム宮殿の前を行くホース・ガーズの衛兵たち。(先頭は白馬だった)
「コートを着た近衛兵」(写真右)
バッキンガム宮殿へまっすぐ続く並木道「ザ・マル」を独特のウォーキング・スタイルで行く衛兵たち。

「テート・ギャラリー前にて」(写真左)
Pimlico駅から徒歩10分。1891年、砂糖商のヘンリー・テートが設立を計画、政府がミルバンク刑務所跡地を提供し、 ヘンリーが所有する美術コレクションと8万ポンドの寄付金で設立。 1897年「ナショナル・ギャラリー・オヴ・ブリティッシュ・アート」としてオープンした。 "テート・ギャラリー"と呼ばれてはいたが、完全に「テート・ギャラリー」として独立したのは1955年。入館は無料。
「テート・ギャラリー、"Gallery Plan"」(写真右)
右側が正面入り口。緑の●印の所に入ってすぐ右壁にリチャード・ダッドの『The Fairy Feller's Master-Stroke』がありました。 ピンク色で区切ってある所は特別展示室で、ここは有料になります。

〜テムズ河の船上から〜
「ロンドン塔」(写真左)
ウィリアム王が築いた3つの砦からスタートしたロンドン塔は、以後数百年にわたり歴代国王によって拡張され、 10数個の塔とその城壁、更にはその外にも濠が巡らされている。1282年に貨幣を偽造したユダヤ人をここに幽閉してから 牢獄としての色彩を強め、14世紀から処刑場として使われる。 最後の処刑は1941年、ドイツ人スパイがここで処刑されている。ここは現在でも時々幽霊が目撃される事で有名。
「セント・ポールズ大聖堂」(写真中央)
市民たちに長く愛されてきた教会、セント・ポールズ大聖堂は、最初の建物から2度の火災で焼失、 200年の歳月をかけ再々建設されたものの、1666年のロンドン大火であえなく崩壊。 そして1708年、建築家クリストファー・レンの設計により古典的なイギリス・ノルマン様式の要素を取り入れて 大きなドームを持つ現在の建物が完成した。 地下聖堂にはレン他、ナポレオン軍を破ったウェリントン公爵とネルソン提督、 戦火から聖堂を守ったウィンストン・チャーチルが葬られている。
「ロンドン・ブリッジ」(写真右)
ローマ人が最初に、ここに橋をかけ、次にサクソン人が木造の橋をかけたが、焼失や洪水に流されて何回も修復。 石の橋が出来たのは1176年。 1831年には大理石の橋が出来たが、狭いという理由で1973年、現在のものに建て替えられた。 (♪ロンドン橋落ちた〜♪って童謡は有名だけど、なんとも地味な橋でした。)



「ヴェルサイユ宮殿、正面入口」(写真左)
完成に50年近くかけて、1710年にルイ14世が築いたヴェルサイユ宮殿は、門をくぐると、 石畳のゆっくりとした上り坂の中央に、ルイ14世の騎馬像がある。宮殿内にはルイ16世とマリー・アントワネットの婚礼が 行われた「礼拝堂」、578枚の鏡が使われている「鏡の回廊」他、「王の寝室」や「王妃の寝室)」等、黄金の調度品や クリスタルのシャンデリアに飾られた大居室が続いています。料金は18歳〜25歳までは35フランで、26歳以上は45フラン。 (99年3月現在)別料金でイヤホンガイド(勿論日本語解説)の貸し出しもあります。
「ヴェルサイユ宮殿、庭園」(写真右)
宮殿を出ると写真を観て判る様に広大な敷地の中に、たくさんの噴水(アポロンの噴水、ネプチューンの噴水、ドラゴンの噴水)や、 池があり、庭園の奥にはグラン・トリアノンとプチ・トリアノンがあります。
この様にヴェルサイユ宮殿では贅の限りを尽くした華やかな宮廷生活が繰り広げられる一方で、国家の財政を圧迫し、 民衆の不満を募らせ、結果として革命の火種をつくったのです。
*この2枚の写真は、同じツアーの方から頂いたものです。

「ルーブル美術館、入口」(写真左)
この写真では見てとれませんが、入口は「ガラス・ピラミッド」と言われていて、写真の建物はピラミッド型になってます。 ルーブル美術館は3つの地域(シュリー・ドノン・ルシュリュー)に別れていて、とても広いので見学したい部門を 選んだほうが懸命です。館内では実物の前で絵を描いてる人をたくさん見かけました。
http://www.smartweb.fr/louvre/index.html
「サモトラケのニケ」(写真中央)
「モナリザ」さすがに、この絵画は別格扱いでガラスケースの中に入れてあって、柵がしてありました。

「凱旋門」(写真左)
凱旋門はフランス軍の勝利と栄光を讃えるために皇帝ナポレオン1世の命により建造された。 門には彼の勝利と功績がモチーフされた10個のレリーフが飾られており、内側には文字が刻まれている。
「凱旋門の近影」(写真右)
写真左の門の部分を近くで見てみると、こんな彫刻が施されていた。

「ノートル・ダム寺院の横側」(写真左)
当時のゴシック建築の最高技術を駆使して建てられ、完成までに200年を費やしたノートル・ダム寺院は、 セーヌ河に浮かぶシテ島にあり、パリのなかでも壮麗で有名な建物のひとつである。
「ノートル・ダム寺院の中」(写真中央)
写真左の円形部分を中から見ると、この様な見事なステンドグラスになっています。この他、中央ではフランス・カトリック信者が お祈りを捧げるエリアがあり、周りはたくさんの蝋燭が灯されていて荘厳な雰囲気に包まれています。
「ジャンヌ・ダルク像」(写真右)
同じく寺院内にあるジャンヌ・ダルク像。 1412年、ジャンヌはロレーヌ地方で誕生。しかし宗教裁判にかけられ19歳の若さで1431年、ルーアンの広場で火刑に処された。


「オルセー美術館内」
オルセー美術館の建物は旧駅舎を利用していて、名前も駅名からきており
館内はプラットホームを生かして展示されている。旧駅舎の雰囲気が、この美しい時計からも感じられる。

Special Thanks to My Dear Minian and FairyK.



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