“クイーンはとっても不器用!?”

評論家は、そしてファンは、クイーンの音楽をいろいろなジャンルの中で語ってきた。 ロック、ハード・ロック、ヘヴィ・メタル、グラム、ポップス、ソウル・・・あらゆるジャンルの中で語ってきた。 他のアーティストには類を見ないその幅広い音楽性は、ある意味クイーンと言う名の一つのジャンルなのかもしれない。 よく「クイーンはクイーン」と言われるが、それはまさに「クイーンのジャンルはクイーン」と言っているようなものである。 ということはクイーンはクイーンというジャンルの中から抜け出せなかった、とても不器用なバンドなのではなかろうか? 好きな音楽も、真似ではなくクイーンとして消化してしまう、 そんな100m先から聴いても分かるクイーンの音楽を、四人に心行くまで語ってもらう。


PART ONE

グラムの枠には収まらない!

「まただよ、ホラっ」
「グラムのカス?」
「よく言うね、まともに僕らの音楽聴いたこともないのに」
「ホント、ホント」
「“ボランもスレイドもモットも皆一緒”っていうのがおかしいね」
「それに、ロキシーまでグラムだって」
「スイートと僕らの共通点ってなんだい?」
「要するに見た目が派手でケバケバしいって言いたいんだろう」
「大事なのは音楽じゃないのかね」
「彼等の中にだって素晴らしいバンドがいるのに」
「グラムやってる連中に失礼極まりないね」
「でも僕らはグラムの枠の中には納まりきらないぜ」
「そうそう、僕がグラムの道を選ぶならもっとうまくやるよ」
「どんな風に?」
「はっはっは、ボランそのままじゃないか」
「スライダーならぬスレンダー!」
「単なる病気だろ?」
「・・・・・・」
「黙るなよ、暗くなるだろ」

 

PART TWO

ライヴじゃ俺達も結構ラフだぜ!

「アメリカはあまり好きになれないねぇ」
「でも音楽にはいいのもあるぜ」
「プレスリーは好きだよ」
「そうそう、彼のロックン・ロールは最高だね」
「僕はソウル・ミュージックが一番だな」
「ゴスペルもいいよ」
「今日のライブで、スプリングスティーンを演らないかい?」
「ああ懐かしいね、みんなで彼のライブを見に行ったよな」
「でも、僕らのイメージとは随分かけ離れるな」
「クイーンの熱いストリート・ロック?」
「演れないことはないと思うよ」
「でも、君には似合わないね」
「何言ってるんだい、僕にもやれるぜ、ホラっと」
「ちょっと違うんじゃないの?違和感アリアリだぜ」
「そうかい、まあ僕にはもうちょっと上品な服が似合うけど」
「そういう違和感じゃないよ」
「じゃあ、何だい?」
「弾けないくせにギターを持ってることだよ」
「・・・・・・」

 

PART THREE

常に新境地を開拓するのさ!

「変化することを怖がらない奴はスゴイね」
「僕らのことだろ」
「いきなり結論かい!それじゃ話が進まないだろ」
「それじゃあ、例えば?」
「ボウイだよ」
「なるほど」
「ほらこのベルリンで活動して頃なんかスゴイよ」
「僕はあまり好きじゃないね、前の方が良かった」
「でも常に彼は新しいものにトライしているよ」
「トライっていうより、これは実験音楽そのものだよ」
「僕もいろいろ実験したいことがあるなぁ」
「ソロで演ってくれよ」
「分かったよ」
「でも君のボウイ好きは分かるけど、ちょっとタイプが違うな」
「そうかい、マネもできるぜ、ホラ」
「ダメダメ、照れがある」
「そうそう彼はもっと気取ってるよ、そしてそれがサマになる」
「そう 君は後ろでイスに座って叩いてるのが一番」
「・・・・・・」

 

PART FOUR

音楽的センスが違うんだよ!

「僕らの音楽には土の匂いがしないって」
「都会的だからね。我らシティ・ボーイズ!」
「良く言えばね」
「アラバマの生活を歌えないのは事実だ」
「かと言って、AORでもないね」
「大都会の大人の音楽?四人でスーツ着て?」
「よしてくれよ、そんな甘ったるいの」
「僕は嫌いじゃないな」
「君も結構好きだろう?」
「僕は見た目が都会的っていうのには興味がないよ」
「港で薔薇でも持って立ってよ。よっ、マーティ・バリン!」
「勘弁してくれよ」
「分かった、音楽的センスの問題だね」
「そう、分かってくれたようだね」
「ジョー・ジャクソンみたいな音楽かい?」
「今回はこれ。ドナルド・フェイゲン。僕もこんな風に・・・」
「似合うって言えば似合うけど」
「普通・平凡・サラリーマン」
「・・・・・・」


ということで、ここで彼等四人は“他人の真似も出来ないことはなかった”と語っている。 しかし、そのどれもがハマってはいない。どうやら他人の真似をするには、四人の個性があまりにも強すぎたようだ。 その点で、「クイーンはクイーン」という言葉の意味が、「ストーンズはストーンズ」という言葉の意味とは微妙に違うことが分かる。 それは「クイーン」という言葉を口にしたとき、そこに描かれるのが、明らかにメンバー個人の姿ではなく、必ずこの四人の姿だからである。 メンバーの誰かがクイーンをクイーンたらしめているのでは、決してないのである。 つまり「クイーンという名のジャンル」とは、「四人の個性のぶつかり合い」に他ならないのだ。 もしぶつからなかったら、クイーンはフレディというジャンルに納まったり、ブライアンというジャンルに納まっていたかもしれない。 しかし、そうはならなかった。メンバー個々よりも、常に大きい存在であり続けたのがクイーンだった。 クイーンが納まることができたジャンルは唯一「クイーン(集合体)」だけであった。 ハードロックで暴れても、ブラックに近づいてダンサンブルになっても、どうしてもクイーンになってしまう。 「クイーンはクイーン以外できない」・・・ 私たちはその不器用さが好きでたまらない。


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