1985〜88年
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当時の日本のヒット曲&出来事
邦楽-(S63年)光GENGI「ガラスの十代」
洋楽−(S60年)USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」
出来事−(S60年)フレディのソロアルバム「Mr.Bad Guy」発売。S60.5月、クイーン5度目の来日。
Queen ? そう言えば聞いた事ある名前だなぁ〜と、とりあえずアルバムを買って、ファンになったあなた。 解散が噂されながらも「ミラクル」のアルバムでファンになったあなた。そんなあなたは、(“昭和”は、もう古い !)
"'85〜'88"低迷期"「希少型ファン」“85年にライヴ・エイドで見事な復活を遂げたクイーン”と言われるが、果たして、日本ではどうであっただろう。 実際に、最もスポットを浴びたのは、ステージ上のミック・ジャガーとティナ・ターナーの姿であり、 クイーンの力を大きく取り上げた雑誌は皆無に近かった記憶がある。 その年の秋には「ONE VISION」がリリースされることになるが、単発の感があり、 残念ながら日本では「ザ・ワークス」から「カインド・オブ・マジック」への橋渡しにはならなかった気がする。
80年代はポップス隆盛期であり、ここ数年のように70年代に焦点が当てられることも少なかった。 70年代に華麗な姿で日本を賑わしたクイーンを追い求めることを、メディアもファンも(自然に)しなくなったのがこの時期である。 売り上げが悪かろうが評判が悪かろうが、「ホット・スペース」発売当時は依然クイーンが話題をさらっていた。 結局「RADIO GA GA」は、普段クイーンを聴かないファンの耳にも届いた結果売れはしたが、決して話題の中心にならなかった。 それは、かつてからのファンが騒ぎ立てるのを止めたからではないだろうか。 “昔に戻って良かった”という好意的な意見を述べるファンはいても、 80年代前半のように“ポップ過ぎる”“良くない”“物足りない”といったマイナス評価(それは同時に“もっとがんばってくれよ”の意味もある) のパワーはなかった。 ある意味昔からのファンが、良くも悪くもクイーンを語らなくなったという意味で、完全に燃焼後の時期だと言える。 70年代、どんな風が吹いても炎を揺らし輝き続けたロウソク(ファン)も、遂に燃え尽きてしまったらしい。
さて、ヒットチャートを追うファンの心は「RADIO GA GA」一曲ではクイーンにとどまらない。 あの一曲で心を射止められたファンの数は恐らく少ない(希少)であろう。「ボヘミアン・ラプソディ」とは違うのである。 心は次々と違うグループに乗り移っていった。 がしかし、ハードロック・ファンの間では状況が違った。 元々、年代を問わず最も進歩していないとも思われるヘヴィ・メタル界。 いつの時代だって、ツェッペリンやパープルにサバス、それにキッスやエアロといった70年代組はヒーローだ。 「ミュージック・ライフ」が様変わりをし、新たに「BURRN」などが創刊され、 明確にポップス路線かヘヴィ路線かに別れた時、クイーンの日本での行き場はなんとハードロック側に片寄りつつあった。
「アイ・ウォント・イット・オール」という1STカットでは珍しくヘヴィな曲を持ってきた「ザ・ミラクル」は、 ハードロック系の雑誌の多くで好意的な評価を受けている。 それでは、ハードロック・ファンはストレートにクイーンに没入していったのか。 影響を受けたバンドはクイーン。そんな言葉が聴かれるようになってきたのも、 この80年代後半に活躍するハードロック系バンドからだ。自分の好きなアーティストが好きだから聴いてみよう。 こういう始まり方が多いのではないだろうか
「ワークス」「マジック」「ミラクル」、そのどれも素晴らしい内容だとは思うが、この時期、10代を過ごした洋楽ファンにとっては、 クイーンをその時期だけ捉えていたわけではない。結局、昔の曲を聴いてファンになった人が多い気がする。 これは、それほどまでにクイーンが過去に積み上げてきたものが大きくなっていた証拠でもある。 だからこそ、多くのバンドが困惑を見せた80年代後半、ザ・スミス以外重要なバンドは出現しなったとも言われる80年代後半を バンドもファンも乗り切れたのではないだろうか。大きな船ほど沈没しないということである。