2011年7月31日
モクモク村のけんちゃん
多分、1971年〜1972年、私が小学校4年生くらいの頃だったと思います。
突然、母が「これ、やってみらん?おもしろかよ〜」と言って渡されたのが、ブリタニカの英語教材セットでした。
そこにはカラフルな絵本や紙芝居とか色々あって、凄い数のカセットテープも入ってて、
中・高生用のテキスト本までありました。
でもその中で私が一番先に手を出したのは、その語学学習専用の「テープデッキ」でした。
それまで家には、童謡とか昔話しが入ってるのはカラービニールやドーナツ盤のレコードしかなく、
「カセットテープレコーダー」なんて、まだありませんでしたし、
“カセットテープで聞く”というのは小学校でしか聞いたことがない環境だっただけに、
そのテープデッキにはすごく興味を持ち、とりあえず、おもしろそうな話が聞ける「紙芝居」を手に取りました。
その紙芝居のイラストは、大きな画用紙サイズに手描きのタッチで、
その頃よく見ていたテレビアニメみたいな色合いでした。
タイトルは“モクモク村のけんちゃん”。
モクモクってのは、公害による環境汚染のこと。
遠くの山から流れてくる煙で汚されるモクモク村を救うため、
けんちゃんが英語が話せる九官鳥と一緒に冒険するというお話しなんだけど、
昭和45年ごろから高度経済成長の日本で公害による環境汚染が大問題となっていて、
ちょうどこの当時、小学校でも煙をたくさん出している工場の絵を描いて“公害反対ポスター”とか、
よく作らされていましたから、ストーリーはこの時代を反映しています。
その紙芝居はテープデッキから聞こえてくる英語の部分の会話が、情感タップリのゆっくりした発音で繰り返しだったり、
軽快でリズミカルな発音で繰り返されるシーンが面白くて、そのまんま英語のセリフを覚えてしまってました。
今でも強烈に記憶に残っているのが、「castle(城)」のネイティブ発音です。
紙芝居の場面が変わる時(イラストを捲るタイミング)はテープから合図の音がするので、
いつのまにか自分一人でも楽しめるようになり、ある日、
学校の友達を連れてきて、私は得意げに紙芝居のおじさん役みたいにして見せたけど
友達は全く興味を示さず、すごく残念な思いをしたのも覚えてます。
その他にも、「テープデッキ」を使う教材は片っ端から聞いてました。
中でも楽しい“英語の歌”が聞けるテープが大好きで、その時は当然、その英語の歌詞は読めなかったけど、
デタラメにスペルを目で追っていました。
その“英語の歌”が全部「マザーグースのうた」だったことは、かなり後になって知りましたが。
とにかく、その英語教材セットは私にとっては初めて目にした「テープデッキ」の存在のお陰で夢中になれました。
それを体験していたからか、中学生になる以前から「洋楽」にはすんなり入り込めたというか、すごく興味を持ちました。
相変わらず「算数」は苦手でしたが、「英語」は大好きになっていて、
中学から「英語」があるのをとっても楽しみにしていました。
しかし・・・。
1974年の4月。
中学に入学して初めて「英語」の教科書を開いたら・・・
pen.
a pen.
This is a pen.
↑
と書かれていました。
今でも強烈に覚えています。この次のページは確か
「これはペンですか?はい、これはペンです。あれはペンですか?はい、あれはペンです」だったと思う。
・・・・
なんじゃ、こりゃ〜!そんなもん見りゃわかる!と心の中で思って、頬杖ついてムスっとしてた自分も覚えてます。
それに英語の先生は(当然)日本人なので発音も新鮮じゃなかったし、
宿題と言えば、わら半紙にアルファベットの大文字と小文字をびっしり書いてくるという・・・(ぜんぜん楽しくないっ!)
それで、その頃にはもうテープがのびてヘンな声になってたりしてたけど
あの英語教材セットを中学生になっても高校生になっても、しつこく聞いてました。
ついでに、その頃にはあの「テープデッキ」にクイーンの曲を録音したテープをかけて音楽を楽しんだりもしてました。
その後は働きながら英会話スクールに通ったこともありましたが、
結婚してからは英語に接するのは「洋楽」だけになってしまいました・・・。
随分後になって知りましたが、ブリタニカはその商法が問題になったらしいですね。
母がこの英語教材セットを、いくらで購入したのか、どうやって購入したのか、
私が使わなくなってどこにやったのか、どうしたのか・・・
母が亡くなって実家も無くなってしまった今となっては知る由もありません。
でも、今の自分から言えるのは、この英語教材セットの“おかげ”が、たくさんあるという事。
まぁ、現在、英語がペラペラ喋れるわけでもなく、
ネイティブ発音ができるわけでもないけど、だけど今もずっと英語は大好きです。
だからきっと(高価であっただろう)その元は、とれたんじゃないかなぁ〜と。
そう思いたい。(笑)
最後に、先日ネットでたまたま見つけました。
あの教材セットの中の「モクモク村のけんちゃん」がデジタル化されて販売されてました。
http://item.rakuten.co.jp/gakubun/920020/
1万ちょっともするんだ・・・たけぇー!!
あ!・・高いかどうかは、これを経験した「後」じゃないとわからないよね?^^
2011年10月4日
孫<我が娘
「孫はカワイイ」と言うけれど、私は自分の娘の方が断然カワイイ。
娘が嫁にいってしまっても、孫が二人になった今でも私の親バカは現役だ。
不思議なことに、娘が彼と(旦那さん)と結婚する前に初めて家に連れてきた時、
「なんてイイ男だ」と思った。ジャニーズのタレントみたいな、いわゆるイケメンであり、
私はその時に勤めていた会社の同僚に娘の彼氏の写真を見せて自慢していたくらいだった。
しかし、その後に娘と結婚が決まって、いざ娘が嫁にいってしまったら、その気持ちは逆転した。
「あの野郎!うちのカワイイ娘を持っていきやがって・・」と。
ぁ、ぃゃ、でもそんな事、決して口にも態度にも出しませんよ(^^;
ただ、娘夫婦の会話を聞いている中で、フッとそんな感情を持ったりする時もあるってだけ。
それで、そういう気持ちをある日こっそり、うちの旦那だけに告ったら、
旦那は私と順序が逆だった事が判明。
結婚する前は「この野郎!」と思っていたけど、結婚したら「なかなかイイ男だ」と思うようになったと。
多分、それがフツーなのかもしれない。
というか、それが親戚付き合いなども含めて、一番ウマくいくのだと思う。
ところで、うちにはもう一人、娘がいる。
昔で言う“結婚適齢期”を過ぎてしまった長女が。
しかも全然色気がなく、オタク的趣味に没頭している毎日を送っている。
でも次女が嫁にいったあと、できれば長女の結婚はもっとず〜っと後でいいと思ってたから、
これ幸いとしているのが正直なところです。
現在、うちの両隣の家のご夫婦がまだ若くて、子供さんも小さくて子育ての真っ最中だ。
毎日、最低でも3回以上は子供を叱るお母さんの大きな声が聞こえてくる。そして予想通りのタイミングで子供の泣き声も聞こえてくる。
それに、幼稚園バスの送迎停留所では近所の若いママ友さんたちの井戸端会議が毎日のように開かれているし、
休日には若いパパが抱っこ紐をして末っ子であろう赤ちゃんをあやしている。
それらは全部、20年以上前の自分と重なり、懐かしい気分になる。
中でも、長女は初めての子育てだから失敗も多かっただけに、いろんな事を思い出してしまい、
時々、長女にその時の思い出話をしたりすると、返事は決まって「はいはい。その話はもう何度も聞きました」と呆れられてしまう。
長女にしてみたら、記憶がない頃の話しをされても、照れくさいのも手伝って、あんまり聞きたくないのだろう。
だけど親にとってみたら、何度でも話して聞かせたいものなんですよねぇ。これが!(^^;
とにかく、3歳と1歳の可愛い盛りの孫たちがたまに遊びにくるのは楽しみではあるけど、
帰る時は正直ホッとしてしまう。そしてその時に一番寂しく感じるのは、娘に「じゃ、またね」って言うときなのだ。
甘やかすだけの孫よりも、必死で育てて、手をかけてきた分、いくつになっても可愛くて仕方ないのが我が娘。
でもだからと言って、孫は可愛くないかといったら、そうじゃない。
孫はカワイイ。
でもそれは・・・・可愛いい我が娘の子供だから、なんです。
2011年12月13日
誉田哲也氏に夢中!
始まりは、本屋でたまたま目に飛び込んできた『ストロベリー・ナイト』(誉田哲也著)だった。
それは文庫本であり、帯に書いてあった“警察小説”ってところに最初に惹かれて、
主人公が“女刑事”というので、手が伸びた。
読み始めると、登場人物のキャラが面白くて、その会話にも夢中になった。
しかも、池袋に実在するお店が登場してきて、実は何度もそこに行った事があるだけに、
ちょっと嬉しくなったりして。それでイッキ読み。
しかしその続編である『ソウルケイジ』、『シンメトリー』まで読破すると、
ちょっと冷めてきた。主人公の女刑事、姫川玲子が出来すぎみたいに感じられてきて、
彼女を取り巻く人物の方に興味が移ったからだ。
それで私は一旦、その“姫川シリーズ”から離れ、本屋さんでまた何か面白い小説はないかと
探していたら、平積みされた文庫本コーナーに、またもや“警察小説特集”と書かれたポップに目がとまった。
その中に、“日本ミステリー大賞新人賞受賞”と書かれた帯を見つけて、
手に取ったのが、『プラ・バロック』(城充孝著)だった。
ネットではアゲハというハンドル名を持つ、独身女性捜査官クロハユウが主人公で、
登場人物の名前が全てカラカナ表記というのも面白かったが、
でも私にはこの『プラ・バロック』の本当の面白さは、それの続編である『エコイック・メモリ』にあった。
ところで、小説が映画化とかテレビドラマ化されると、一気に萎える事が少なくない。
それを初めて実感したのは、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(古っ!)だった。
最近では(数年前になるけど)『閃光』(永瀬隼介著)が、そうだった。
そして、つい最近になって、
『ストロベリー・ナイト』が来年1月からまたテレビドラマ化されると知った。
それも今度は連続ドラマで。
『ストロベリー・ナイト』は、前に一度、テレビドラマ化されている。その時に、
“ぁぁ〜やっぱりねぇ”みたいな感想を持ったので、正直それには期待薄である。
彼の小説には暴力によるグロテスクで残虐な描写が少なくない。
それは、『ストロベリー・ナイト』でもそうだ。しかしテレビでは当然ながら、
そんなシーンは全てカットされてしまう。そうなると、脚本という設計図に飽きてしまうのだ。
かと言って、私がそんな描写を好んでいるワケでは決してありませんからね?(ここ大事)
で、その“ストロベリー・ナイトが連続ドラマ化”という情報を知ることになった『感染遊戯』という本を
偶然見つけて、私は再び誉田哲也氏の小説に再燃。
中でも『ヒトリシズカ』と『ハング』は途中で本を閉じることができなかった。
今現在まだ、出版された彼の本を全ては読破していないけど、
彼の青春シリーズもの以外の著書は、必ず近いうちに全て読破すると思う。
そのくらい私は誉田哲也氏の警察小説にハマってしまっている。
多分、こんなにハマったのは、十代の頃に読んだ『赤毛のアン』シリーズ
(「アンの娘リラ」までと関連短編集を含む)以来だと思う。
って、内容はエラい違いだけどね(笑)
しかし、誉田哲也氏が書く警察小説に、これだけハマった理由を自分の中で探ってみると、
90年代に観た映画、クェンティン・タランティーノ監督のデビュー作『レザ・ボア・ドッグス』の影響が
強いからなのかなと思った。
この映画の冒頭シーンの衝撃といい、残虐で過激な暴力描写も、
緻密な人間描写にも誉田哲也氏が書く警察小説と共通するものを感じる。
そして、最大の共通点であり、私が惹かれたのは、“細部に感じるリアルさ”だ。
さて、「読書の秋」はとっくに過ぎてしまったけど、これからの季節で言えば、
「こたつで読書」も格別です。Mikanの2012年お正月休みはこれで決まりです(笑)
|