成人式の思い出

今年、子カバ長女が二十歳の誕生日を迎える。
そのせいか、ほとんど毎日のように呉服関係のチラシが郵便ポストに入ってくる。
色とりどりの振袖に、私はつい見入ってしまう。
そして自分の成人式のことを思い出してしまう・・・・

Mikan、19歳。仕事にも慣れて、一人暮らしを楽しんでいた。
私は3月生まれなので、二十歳の誕生日を迎える前に成人式を迎える。
以前から自分の成人式の着物は自分でやりたいと思っていて、その頃の自分は世間知らずのくせに、とっても生意気で、 「一人暮らししているんだから、なんでも自分でやる!自分はなんでもできる!」などと粋がっていて、 それを親に認めてもらいたいとずっと思っていた。

しかし振袖はとても高い。デパートの呉服売り場に行って初めて着物というものがすごく高価なものなんだと知った。 そして着物にもいろいろある。
「小紋」「付け下げ」「訪問着」「留袖」・・・お目当ての「振袖」もめちゃ高い。
12月にもらえるボーナスとそれまでの貯金を足しても、手が届かない金額だった。

いろいろ考えながら売り場をウロウロ。
ふと、「難アリ」と書かれた反物コーナーを見つけた。そこに置いてあった反物は格段に安かった。 でも「難アリ」といっても、パッと見た目では(素人目には)全くわからない。 そして叔母が和裁をやっていたことを思い出した私は、早速叔母に連絡をとり、仕立てのお願いをした。

叔母は二つ返事でOKしてくれていろんなことに相談にのってくれた。
私が予算のことを言うと、着付けさえ工夫して上手くやれば、「付け下げ」でも十分綺麗だと教えてくれた。
早速私は少々派手な柄の「付け下げ」の反物を購入。難アリだったが気にならない程度だったし立派な正絹だ。 そして必要な小物類も揃えた。

それから美容室と写真屋さんにも予約を入れた。
写真屋さんでは、いろいろなポーズをすすめられたが、予算の関係で、1ポーズだけにした。 それでも十分だった。なぜなら自分の晴れ姿を両親に直接見せに行こうと考えていたからだ。 それは、自分はちゃんとやっていってる、という事を証明したかったし、自慢したかったし、 というか本音は、両親に誉めてもらいたかったのだ。

それから毎日、着物が出来上がるのを楽しみにしていた。
しかし、区役所から成人式の式典への案内状が届いた12月初頭、突然、母が入院することになったと連絡を受けた。 病名は胃ガン。それまで母は高血圧で定期的に通院していたにもかかわらず、ガンは末期であり、 胃を全摘出しても余命半年だと宣告された。

その直後はいろんな事があった。
でも母には病気のことを告知しないことに決めた日から、姉も私も一切泣き顔は見せなかった。 ただ、布団の中で声を押し殺して泣いていたことはお互い気付かないフリをしていた。

14時間にも及ぶ手術から1ヶ月も経たずに迎えた1月15日。
私は叔母が仕上げてくれた「付け下げ」を着て成人式の会場にいた。
会場は綺麗な振袖姿でいっぱいだった。
白いフワフワの肩掛けをしている人も多い。私はその綺麗さが羨ましくて、ちょっと自分の姿に引け目を感じたりした。 しかも地元ではない場所での式典だけに、「久しぶり〜♪」と声を掛け合う友達もいなかった。
だけど、目一杯派手に着付けしてもらったし、なにより自分で揃えた着物なのだ! 恥じる事など一つもないはず。そう自分に言い聞かせて胸を張って会場に入った。

式典が終わると私はそのままタクシーに乗り込み、急いで駅に向かった。
母が入院しているところまではとても遠くて、その日、病院に着いたときは面会時間はとっくに過ぎていたけれど 看護婦さんたちが祝福してくれて特別に面会を許可してくれた。

病室の前で、私は少し呼吸を整えてからドアを開けて入った。
ベットの上の母はたくさんのチューブでつながれていたにもかかわらず、私に気づくなり 上半身を起こして、最初驚いたような表情をしたかと思ったらすぐに涙顔になっていった。 そして母は何か言ってくれているのだけど、声になってなくてちゃんと聞き取れない。 私も、こみ上げてくる涙を堪えるのに必死で、何も言えなくて、胸がつぶれそうになった。

自分の晴れ姿を、親に直接見せに行く事は前々から予定していたけど、 こんな形で、こんな所で、こんな風に見せることになるとは・・・。
そしてこの時に初めて痛感した。親に誉めてもらいたいなんて思っていたけど、そういうことなんかじゃない! 私の晴れ姿を見てもらえることがこんなにも幸せなことだという事を。母の笑顔が見れることが一番のお祝いなんだという事を。

涙でいっぱいの瞳でニッコリ笑ってくれた母。
この時やっと、何て言っているのか聞き取れた。
「おめでとう」って・・何度も何度も。
私は嬉しくて嬉しくて・・・
「ありがとう」と答えるのに涙が邪魔をして少し時間がかかった。



今もその付け下げの着物は大事にタンスにしまってある。 でもこの思い出を長女子カバに、ここまで詳しくは話してはいない。

「お母さんの着物は付け下げなんだけど、成人式どうする?」と聞いたら、「うーん、お母さんのでもいいよ」と言ってきた。
私は正直いって、とても複雑な気分になった。

普通なら、自分が着た晴れ着を娘が着てくれるのはとても嬉しいことだ。
でも、これは振袖じゃない。それに、娘が今あの時の自分と同じ19歳だけど、私と娘は環境が違う。 娘に「バイトして自分でなんとかしなさい」なんて言うつもりは全くない。
それより、娘にはちゃんと振袖を着てもらいたいという親バカな気持ちが強い。

ズルいのかもしれないけど、もし母が生きていたら、
私はきっと、娘にあの付け下げの着物を着てもらいたいと思うだろう。

。。。いつまでたっても、私は子どもだなぁ。

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