K&K QUEEN FAN CLUB
「ホット・スペース」は、クイーンが意識的に(半ば強引に)進化を遂げた「ザ・ゲーム」とは全く異なる作品だ。
よく“前作の流れを受け継ぎ”と言われるが、明らかにサウンドから受ける感触が違う。
(むしろ「ザ・ゲーム」は「ジャズ」に近いのではないか? Fun it !)
1982年の状況を見極めれば、もう一度「ザ・ゲーム」と同じタイプの作品を出した方が売れたと私は考える。
だから「ホット・スペース」は早くて翌年の1983年、遅くとも1988年までの間に発売されていれば、
もっと受け入れられたと思う。そう「ホット・スペース 」は1・2作品早過ぎたのだ。
「ザ・ワークス」と「カインド・オブ・マジック」の後に発表しても、充分通用したと思える作品なのだ。
あの古典的な英国出身の4人がそんな先取りできること自体、ちょっと意外にも思えるが、
「ホット・スペース」に関して言えば、クイーンは間違いなく数年先を走っていたと思う。

【私の理想】
1980年「ザ・ゲーム」発表 ⇒ 1981年ツアー ⇒ 1982年「リプレイ・ザ・ゲーム」発表 ⇒ 1983年 ツアー ⇒
1984年休養 ⇒ 1985年「ホット・スペース」発表 ⇒ 1986年ツアー ⇒ 1987年「トゥー・マッチ・ホット」発表 ⇒
1988年休養 ⇒ 1989年「ザ・ミラクル」発表

タラレバは厳禁なのは承知の上で書いてみたが、要は「ザ・ワークス」「マジック」のような作品ではなく、
「ホットスペース」を作ったような意気込みで、80年代は最後まで乗りきって欲しかったという個人的願望である。
U2が90年代をファンの期待をよそに賭け抜けたように、クイーンにももっとチャレンジして欲しかった・・・

今までの話は、あくまでクイーンを知らない人が大勢いるアメリカの話である。
80年代前半、既に英国ではABCをはじめホワイト・ファンクの流れが始まっており、アメリカより数歩先は歩いていた。
だから英国人が「ホット・スペース」のようなサウンドを聴き入れる耳を持っていなかったわけではない。
ただ彼らはクイーンというバンドに対しては、そのような音楽を期待していなかったというだけの話である。
クイーンは昔のままでいい・・・それだけだったのだ。そして、結局クイーンもそれに応える形になった。

仮に以下の曲が、80年代後半に発表されていたら、どれだけ受け入れられてたか、試してみたいものだ。
相手はマイケル、マドンナ、プリンス。4人には是非とも、気合を入れて闘って欲しい!Don't look back!

“BE COOL(仮称)” - 1988年発売
SIDE ASIDE B
DANCER1STAYING POWER
ANOTHER ONE BITES THE DUST2DRAGON ATTACK
BODY LANGUAGE3GET DOWN, MAKE LOVE
FUN IT4MY BABY DOES ME
BACK CHAT5COOL CAT

今こそ「HOT SPACE」よ、レッツ・ゴー! from Fairy Kercury
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