K&K QUEEN FAN CLUB

HOT SPACE , LET'S GO !

私はクイーン10枚目のスタジオ録音アルバム「ホット・スペース」(1982年発売)が大好きだ。
最高傑作とまでは言わないけれど、未だに(文字通りの)熱い空間を体感できる数少ない作品だ。
現在の音楽シーンでも、「ステイング・パワー」と「ボディ・ランゲージ」、この2曲に関しては、
そのままでは通用しないだろうが、合格ラインは超えていると思う。なかなかいい線いっている。
例えば「ステイング・パワー」と「バック・チャット」をデスチャに、「ダンサー」をクリスティーナに、
「ボディ・ランゲージ」をマドンナに、「コーリング・オール・ガールズ」をブリトニーに、
それぞれ歌ってもらえたとすれば、それなりに聞こえるだろうし、結構売れるはずだ。
(ジェニファー・ロペスの声はパワー不足なので不向きだろうと勝手に想像)
これは何も今売れっ子アイドルだから、通用するということではない。
ポップ・ミュージックそれ自体は軽いかもしれないが、なかなかどうして奥が深い。
しかし当時「ホット・スペース」は、クイーンの過去の作品と比較すれば売れなかった。
なぜだろう・・・

1982年のビルボード年間ヒットチャートの第1位は、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツの
「アイ・ラブ・ロックン・ロール」である。第2位はポールとスティービーの「エボニー・アンド・アイボリー」。
どちらもなかなかいい曲だし、ヒットするのも納得がいく。私もどちらの曲もまあまあ好きである。
しかし40位までの曲目にザーっと目を通すと、うんざりする音楽シーンだと言わざるを得ない。
「オープン・アームズ」、「ドント・トーク・ストレンジャー」、「ヒート・オブ・ザ・モーメント」
懐かしい思いはあっても、改めて聴きたくなるような音楽ではない。中古ショップの100円コーナーだ。
こんな時代に「ホット・スペース」は発売されたのだ。そうクイーンはズレていた!

現在の音楽シーンは1年経過すればガラっと変化を遂げるが、1982年はその移行スピードがまだ緩やかな時代だ。
特に広大な土地を持つアメリカでは、非常にゆるやかにシーンが動き、急激な変化は表に出にくい土壌である。
瞬時に万人受けする中庸な音楽でないと、瞬間風速を計るチャートの上を駆け上ることは不可能な国であったのだ。
1982年ヒューマン・リーグがアメリカでヒットを飛ばすも、英国出身バンドが大挙してアメリカを攻めるのは、
翌年の1983年からだ。ユーリズ・ミックス、デキシーズ、カルチャー・クラブ、デュラン・デュラン等々。
こうした英国勢の北米進出を勢いづけた要因の一つは、間違いなくMTVの登場であり、
このことは同時に音楽の伝達スピードが急速に早まったことを意味する。
それでも1983年にボウイが「レッツ・ダンス」を、フィクスが「ワン・シング」をヒットさせていても、
依然エア・サプライは売れていたし、ドリー・パートンにだって表世界で活躍の場はあった。

ではなぜクイーン・ファンを動揺させた、1980年発売の「ザ・ゲーム」は大ヒットしたのだろう。
答えは単純だ。「ザ・ゲーム」は、画期的な作品ではなかったし、シーンからズレた作品でもなかった。
むしろ1977-78年頃から熱し始めたディスコ・ミュージックが、頂点に達する頃に登場した安全牌の作品だ。
既に数年前に、ストーンズは「ミス・ユー」で、ロッドは「アイム・セクシー」で大ヒットを飛ばしていたのだ。
クイーンとしてもそれ程シーンを意識することなく、自然と「ザ・ゲーム」へ流れ着いたに違いない。
======================================================================
今回は長いぞー。それでも、まだ読める方は HOT SPACE, LET'S GO!