ジョン・ディーコンが「クイーン」の4人目のメンバーとなった1971年2月。
英国では初頭からストライキの嵐が吹き、2月4日にはロールス・ロイス社が経営破綻。
また2月以降、1ポンド=240ペンスだった英国の通貨ポンドが、1ポンド=100ペンスという10進法に変更されました。
(英国の通貨単位はポンド。補助単位はペニー、複数形がペンス。)
この当時から
ギターのピック代わりに使用していたブライアンの6ペンスコインは現在すでに廃止されていますが、当時とても使いやすいコインとして非常に人気があり、廃止に対して市民から反対運動まで起きたそうです。
その甲斐あってかどうかは定かではありませんが、通貨改革のあった1971年以降、6ペンスコインは、
1980年6月まで2.5ペンスとして使用され、駐車場料金の支払いにはなくてはならない硬貨だったそうです。
・・・もしかしてブライアンも反対運動に参加してたのかな?
一方、日本では1971年の2月の時点ではまだ、1ドル360円の時代でした。
この年の12月にスミソニアン・レートが決定して1ドル308円になりましたが変動相場制に移行になるのは、それから2年後の1973年2月。
1971年当時に使用されていた紙幣(日本銀行券)と、その
肖像画は、「百円札」が板垣退助、「五百円札」が岩倉具視、
「千円札」は伊藤博文、そして「五千円札」と「一万円札」が聖徳太子でした。
個人的には何故か板垣退助の「百円札」が凄く好きで、100円硬貨に変わる以前から、「百円札」は本の間に挟んで集めていました。
もちろん今現在もそれは大事に持っています。
ところで、この年の首相は?というと、英国はエドワード・ヒース。・・・全然知らない。
しかし日本の首相は、小学生だった自分でも一番記憶に残っている佐藤栄作。
おそらく、西暦より昭和46年と言ったほうがピンとくる世代の人には同じように記憶に残っているのではないでしょうか?
この昭和46年という年には、(今話題の!)日清食品がカップヌードルを発売開始して、
また「ミスタードーナツ」が箕面(大阪)に第1号店をオープンさせ、「日本マクドナルド」も銀座(東京)に第1号店を開業しています。
一方、ロンドンでは、1971年に「ハードロックカフェ」第1号店がオープンしています。
その第1号店はハイドパークに近い、それも2月に倒産したロールス・ロイスのショールームだったそうです。
余談ですが、この当時のロンドンを伺い知るには「バンクジョブ」という映画(2008年公開)をお薦めします。
この映画は1971年に実際に起きたベイカーストリートにあるロイズ銀行強盗の話ですが、
当時、英国政府がこの事件に対し国防機密報道禁止令を発したため長い間、表向きには報道されなかった真相に
迫る内容になっています。おまけに、ミック・ジャガーも出演しています。(←これはよく見ていないと気が付かない)
さて、クイーンに話を戻しましょう。
1971年の2月、クイーンのベーシストに決まったジョンは学業と両立させながら、
5ヶ月後の7月にサーレーのカレッジでのギグでクイーンのメンバーとしてデビューします。
その時のエピソードで、
お気に入りのシャツを着てきたジョンに、フレディは「自分のTシャツを貸すから、それ着てステージに立て」と言って聞かなかったそうです。
しかし左の写真は1973年になりますが、ジョンが着ているインナーのシャツは、フレディもロジャーも着ていて、
メンバー間で、“着回し”していたと思われます。
それに、その上から羽織っている衣装の袖口の部分がステージでフレディが右手にしていた手袋とデザインが似ていることから、
この衣装も元々はフレディの服、もしくはフレディの趣味ではないかと思われます。
・・・まぁ、悪く言えば押付けがましい。良く言えばフレディは面倒見が良かったってことかな。(笑)
とにかく、この年、クイーンは精力的にライヴをやって前進し続けました。でもクイーンはまだまだ無名のバンドであり、
ロジャーの故郷であるコーンウォールでは「クイーン」より「ロジャーテイラー」の方が知名度が高く、
特に、トルロでのギグの告知ポスターには、“コーンウォールの伝説的ドラマー、ロジャーテイラー!”と書かれ、その下に小さく、
“そして彼のバンド「クイーン」”と書かれていました。
・・・昨今のクイーンを思うと、なんだか皮肉な感じもしますが。
以上、今月(2月)はジョンがクイーンのメンバーに決まった月として1971年を振り返ってみました。
この時の私は小学4年生に進級した年で、当時、流行っていたアメリカンクラッカーで遊んでいたのを思い出しましたが、
まだまだ外遊びが大好きで毎日のように自転車を乗り回していました。
クイーンと出会うのは、それから3年後のことです。
updated:2011/ 2.01