1981年(昭和56年)、この時の日本の内閣は鈴木善幸内閣ですが、
それ以前の、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、そして鈴木善幸と、比較的短期間で次々に内閣が変わりました。
しかしこれだけ内閣がちょこちょこ変わっても、どの内閣も同じように国の経済的運営を官僚が決めるスタイルをとってきた事で
高度成長時代、特に有効に機能し、日本経済は比較的順調に伸びていきました。
一方、英国では前年に首相となったサッチャーが後に「サッチャー革命」と呼ばれる構造改革を行って、
ようやく英国経済は甦ります。また、この年の7月にはロンドンのセントポール大聖堂でチャールズ皇太子が
故ダイアナ・スペンサーと結婚式を挙げ、のちにダイアナは“国民のプリンセス”と言われ人々に広く支持されるようになります。
1981年の幕が開けた頃、おそらく日本のクイーンファンの多くは、クイーン4度目の来日と、
クイーンが初めてサントラを手がけた【フラッシュ・ゴードン】の映画公開に大きな期待を寄せていたと思われます。
しかし、この年のクイーンの来日公演は日本武道館での5回公演だけで、日本滞在は2月12日〜18日までのたった一週間でした。
その時すでに日本でも『FLASH GORDON』のサントラ盤は発売されていましたが、
オープニングは「Jailhouse Rock」であり、『FLASH GORDON』からは、「Vultan's Theme〜Battle Theme〜Flash's Theme〜The Hero」の4曲をメドレーで演奏。
オープニングに「Flash」が使われるようになるのは、この翌年の“ホット・スペース・ツアー”からです。
という事で、日本武道館まで行けなかった地方在住の私は、
期待していた映画でも脱力感に襲われましたが、来日後に発売されたML誌の『Queen The Miracle〜栄光の4人クイーン』という
来日記念増刊号で癒されました。
一方、日本を足早に去っていったクイーンは初の南米ツアーを開始します。
2月中旬、クイーンは“Gluttons For Punishment Tour”と名付けた南米ツアーの準備に取り掛かります。
そして2月28日のブエノスアイレスでの公演を皮切りに、3月21日のサン・パウロ公演まで、クイーンは
アルゼンチンとブラジルで全7公演を遂行。
この時のステージ用機材の全重量は110トンにも及び、それらの運搬には色々とトラブルがあったようです。
加えて、政情不安も続く中では、ツアー・マネージャーやツアー・クルーにとっても、悪戦苦闘の南米ツアーとなりました。
ちなみに、このツアー・タイトルの、
“Gluttons For Punishment”とは、“ツライ仕事をいくらでもやる人”とか、“他人がやりたがらない事を進んでやる人”を指していて、
皮肉を交えた比喩表現なんですね。
しかしクイーンは、サン・パウロのモルンビ公演だけでも、初日に13万1千人、2日目は12万人という驚異的な観客動員数で記録を更新しました。
それから半年後、
クイーンは9月25日からまたもや南米ツアー“Gluttons For Punishment Tour”を開始します。
しかし2回目のこのツアーは、ベネズエラで3回公演した後に初代大統領の死により残りの公演をキャンセル。
また、10月16日からのメキシコ公演ではモンテレーとプエプロで3回公演した後、今度はプロモーターとのトラブルで
残りの公演をキャンセルするという後味の悪い結果に。
結局、クイーンがその後に南米を訪れるのは1985年の“ロック・イン・リオ”が最後になります。
クイーンが最初の南米ツアーを終えた頃、新曲の情報が飛び込んできました。
でもそれは“クイーン”ではなく、“ロジャー・テイラー”の初のソロ・アルバム『Fun In Space』が発売されるという情報でした。
話しは少し逸れますが、1979年の来日コンサートではロジャーのバスドラは
『JAZZ』のジャケットデザインでした。
しかしその後、(その年の夏にドイツで開催された野外フェスティバルのステージで
ロジャーはショーの最後に、何が気に入らなかったのか、ドラム・セットを破壊してしまったそうですが)、
突如、バスドラのデザインがロジャーの顔に変わりました。
目が赤くてインパクトもあり、ロジャーだから映えるデザインだなと思っていましたが、
なんと、その翌年のホット・スペース・ツアーでは、『Fun In Space』からのシングル「My Country」(全英のみ発売)のジャケット・デザインに
なっていて、さすがにその時は、これっていいの?と心配になりました。
それまでずっと、バスドラにはクイーンというバンド(アルバム)を象徴するデザインを使ってきた事を考えると、
それは、ロジャーが自分の顔を使用した事も含めて、彼のエゴとも受け取れます。
ちなみに、バンドの10年間を振り返って、フレディが単独インタビューで、
「いざこざが絶えない時期もあったよ。エゴ丸出しで自己主張するのは簡単だけど、
それは争いを生むだけだ。でも僕たちは言い合いやケンカをし尽くして、それを解消したんだ」と、
コメントしていました。もちろんそれは、ロジャーの事だけを言ったワケではないと思うし、バスドラのデザインを何にしようが
ロジャーの自由だと思うし、それ以前にバスドラのデザインが問題になる事は無かったのかもしれません。
しかしそれ以降、バスドラはまた以前のように、
クイーンというバンドを象徴するデザインに戻っていった事を考えると、
フレディのこのコメントには十分納得できるし、同時にクイーンファンとしては、やっぱりバンドを象徴するデザインの方が
一番嬉しく感じます。
さて、待望の“クイーン”の新曲情報が飛び込んできたのは、この年の秋になってからでした。
但し、その新曲は「Under Pressure」というシングル盤であり、しかもデヴィッド・ボウイとの共作。
正直言って、個人的には相手が誰であろうが、クイーンの中に初めて他人が入ってきたという事が
心中複雑な思いでしたが、この年の初めに出たレコード(アルバム)が、サントラ盤だっただけに、
ずっとクイーンの新しいレコードには飢えていましたから、シングル盤であっても、B面がアルバム未収録曲「Soul Brothers」だと知って、
即買いしてしまいました。
そのシングル盤「Under Pressure」は、英国のシングル・チャートで1位を獲得します。
米国でも最高位チャートは29位でした。では、日本では?と調べてみると、
オリコンのシングル・チャートで最高位は88位と記載されていました。
88位って、随分と低いように感じられますが、
しかし日本ではクイーンのシングル・チャート最高位(オリコン)は27位で、それはあの名曲「Killer Queen」です。
当時から、日本においては、クイーンはシングル盤よりアルバム(LP盤)の方がチャートは断然
上位を記録しています。
これは当時から、日本のクイーンファンはアルバム志向が強かったということが言えると思います。
この年に日本で発売された『FLASH GORDON』と、『GREATEST HITS』のアルバム(LP盤)においても、
オリコンのアルバム・チャートでそれぞれ12位(FG)と9位(GH)という好成績を残していますし、
「Under Pressure」は、『GREATEST HITS』の日本盤のSIDE ONEに収録されていましたし・・・
って、日本人なので良い様に解釈してしまってますが(^^;、
しかし、なんだかんだ言っても、英国でのシングル・チャートの記録は特筆に値します。
というのも、遡ること1975年10月に、英国で「Bohemian Rhapsody」が発売され、
クイーンにとって初のシングル・ナンバー・ワンを獲得しました。
そして1981年10月に英国で発売された「Under Pressure」は、
クイーンにとって2回目となるシングル・ナンバー・ワンを獲得。この時、クイーンは結成10周年!
そしてそれに続く、3回目となるシングル・ナンバー・ワンを獲得することになるのが、
結成20周年を迎える1991年に発売された「Innuendo」です。
まぁ、単なる偶然と言えばそれまでですが、
しかし英国におけるクイーンのシングル・チャート記録を調べると、
アルバムのチャート記録と同様に、最初から最後までクイーンを追い続けていたのは英国だったという事を再認識させられる記録です。
ここで、バンド結成10周年を迎えてのメンバーのコメントをまとめてみました。
「この10年を振り返ってみて、いかがでしたか?」という質問に対してブライアンは、こう答えています。
“僕たちは、いろいろな経験をしてからデビューしたから生き残れたんだと思う。
少しずつ積み重ねて、ここまで(10年間)やってきたんだ。”と。
人によって、大変な道のりを「苦労」と呼ぶか、「経験(学習)」と呼ぶかは様々なだけに、
個人的にはブライアンのこういう思慮深いところに感心します。
一方、ロジャーは、
“ただ運が良くて、ひたすら努力しただけさ!ハハハッ(笑)”と、
なんともロジャーらしい単純明快なコメント。しかし単独インタビューで同じ質問を受けたフレディも、
“僕たちは運がいい。
実を言うと10年も続くとは思ってなかった。でも終わりを考えたこともない。
アイディアを出し合って、とにかく続けたんだ。”と、ロジャーと同じような事を語っていますが、
バンド全体としてのコメントなのが、さすがフレディですね。
また、これはホット・スペース・ツアーの来日時になりますが、10年を振り返ってのコメントを求められたジョンは、
“どっと疲れたなぁという感じ。僕はクイーンと初めて出会った時まだ19歳で、
学業と両立させながらクイーンのメンバーとしてデビューしたから、クイーンは僕の青春そのものと言える。”
と、マイペースなコメントを残していますが、最後に、
“よく、バンドのメンバーはツアーやレコーディングに疲れたとか、ぼやいたりするけど
クイーンはそれを4人一斉に言い出したことはない。誰かが疲れている時には他の誰かがグループを引っ張ってきた。”
と話していて、バンドの危機的状況があったとしても、クイーンというバンドは、一人一人が強い個性と各々の語り口をもっている事から、
その4人の個性が楽曲作りには利点となり、バンド存続にも良い方向に導いてきたという事が言えるのではないでしょうか。
さて、1981年と言えば、この年、米国でMTVがスタートしました。
ミュージック・ビデオ時代の始まりです。
クイーンは「Bohemian Rhapsody」以来、すべてのシングル盤用にプロモーション・ビデオを作っており、
その映像権もバンドが所有していた事で、そのプロモーション・ビデオ・コレクション集とも言うべき
『Greatest Flix』を1981年10月に英国で発売しています。日本発売は1982年でした。
ちなみに、日本で家庭用VTRが出たのは1975年(昭和50年)。
ソニーが開発したベータマックスが市場に出始めます。
しかし翌年の1976年(昭和51年)に、ビクターがVHSビデオを発売します。
この時からベータマックスとVHS方式の主導権が激しく争われましたが、
1985年(昭和60年)頃には、家庭用VTRではVHS方式が主流の座を占め、
3倍モードやHi−Fiという製品機能の向上と低価格化も進み、事実上の世界規格として爆発的に普及しました。
その『Greatest Flix』に続き、翌月には日本でもヒット・シングル集のアルバム『Greatest Hits』と、
クイーン写真集『Greatest Pix』が発売されました。
この当時、LPレコードの価格は1枚2500円でしたが、
『Greatest Hits』の帯には特別価格と表示されていて、2000円でした。
一方、写真集の方は、1500円もしましたが、既発曲のレコードより初めて見る写真集の方が期待度は勝っていました。
しかし、これは個人的な拘りからですが、
『Greatest Hits』のアルバムについては当初から非常に興味を持っていました。
その一つは、表紙(カバー写真)です。
『Greatest Hits』のアルバムと、『Greatest Pix』の写真集のそれぞれの表紙(ポートレイト)は、ディスプレイが違います。
写真集の方は、4人の肖像が正面になっていて画質も綺麗ですが、
アルバムの方は、少し画質が粗く、4人の肖像が横長の状態になっています。
私はそれで、思わずジャケットを平面に倒して、いろんな角度から眺めてみたりしましたが(私だけ?^^;)、
何故このポートレイトは横長に印刷されているのでしょう?
疑問を持つと好奇心が湧いてきます。(笑)
ちなみに、今年2011年にリマスター盤で再発された『Greatest Hits』のアルバムカバーは、
この時のクイーン写真集『Queen's Greatest Pix』のカバー(ポートレイト)と同じです。
もう一つは、このアルバムに対して、ロジャーが、
“ヒット曲でなければ入れる意味がないわけだから、
各国のレコード会社に問い合わせて収録する曲を決めたんだ。結局7バージョン作った。”
とコメントをしていたように、当時は各国で収録曲が違っていた事です。
その7つのバージョンというのは、英国盤の収録曲を基本バージョンとしたら、
「Love Of My Life」、「Tie Your Mother Down」、「手をとりあって」、
「Keep Yourself Alive」、「Sweet Lady」、「Under Pressure」が、それぞれ基本バージョンのどれかの曲と入れ替わって
収録されているのではないかと思われるのですが、不確実ですし、いまだに7つのバージョンを確認することが私には出来ていません。(--;
ただ、今現在では収録曲が英国盤に統一されてしまっているだけに、当時の『Greatest Hits』だけは単なるベスト盤という認識は無く、
クイーンがわざわざ、“各国のレコード会社に問い合わせた”という各国のヒット曲って、
一体何なのか?そこにまた強い好奇心を持ち続けています。
以上、今月は1981年の特集でした。
クイーンのこの年の締めくくりとなったのは、ケベック州モントリオール、フォーラムでの2回公演でした。
この時初めて「Under Pressure」がセットリストに加えられていますが、
この2回のコンサートはフィルム撮影され、上手く1回のステージのように編集されて、後の1984年9月に「We Will Rock You」というタイトルで
クイーン初のライヴ・ビデオとして発売されました。
ちなみに、2011年11月から映画館で上映予定の「QUEEN ROCK MONTREAL cinesound ver.」が、それです。
でもビデオ時代とは雲泥の差と言っていいほど映像もとても綺麗になっています。
おまけ。
1981年当時、買ったばかりのクイーン写真集『Greatest Pix』の表紙をドキドキしながら捲りました。
ため息が出るくらいステキなメンバーの写真に見惚れていたら、
一枚だけ、「プッ!」と吹き出して笑ってしまった写真が・・・
これ↓です。
さすがフレディ!と言うべきか、さすが、Greatest Pix!と言うべきか・・・
何度見ても、何年経っても、この写真集『Greatest Pix』の中で唯一、笑ってしまうページです。(^^;
updated:2011/ 10.01