K&K QUEEN FAN CLUB / K&K VIRGIN QUEEN
クイーン結成40周年記念企画!掲示板入り口特集「今月は何の日?」

9月です。キンモクセイの香りに秋の気配を感じる季節となりました。
そして今月は、2011年SHM−CDリマスター第3弾(ファイナル?)として、 『ザ・ワークス』、『ア・カインド・オブ・マジック』、『ザ・ミラクル』、『イニュエンドウ』、そして 『メイド・イン・ヘヴン』の5枚がリリースされます。また『ライヴ・イン・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985 』のDVD&Blu-rayも 同時発売ということで、依然としてクイーンの話題には事欠かない月間となりそうですね。
さて、9月と言えばクイーンファンにとって、フレディの誕生日を忘れることはできません。 ということで、今月はフレディ・マーキュリーの特集です。


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先ずはフレディが生まれた1946年の世界情勢を調べてみました。
この年の3月5日、当時の英国首相であるチャーチルがアメリカのミズーリ州で、 「鉄のカーテン」という言葉が世界的に有名になった演説を行ないました。 その演説は早い話、その頃原爆を作り始めていたソ連(現ロシア)がそれを秘密にして、 米英、そしてカナダの軍事同盟に対抗しようとしている、という内容で、 この辺りから世界では東西冷戦の言葉で象徴される態勢が始まりました。
一方、この頃の日本は社会主義化というか急激に共産党が勢いを増し、革命の機運がかなり盛り上がっていました。 またこの年の11月3日に「日本国憲法」が公布。(施行は翌年5月3日。) もうひとつ、同じ11月に、それまでの旧かなづかいが否定され、 当面使う漢字を千八百五十字に制限するという「漢字制限」が内閣告示されました。 これは戦後の日本を象徴するような大きな政策転換の一つの表れと言えます。

そして今回はもう一つ、フレディの出身地である「ザンジバル」の歴史についても調べてみました。
ザンジバルにはペルシャ系のShirazi (シラジ族)の伝説的な話もあり、 「Zanzibar」という名の語源も、アラビア語のみならずペルシア語との両説があるほど、多様な背景をもっています。
遡ること19世紀後半、ヨーロッパ列強国によるアフリカ分割が行われ、 ドイツ帝国が「タンガニーカ」を、英国が「ザンジバル」を分割しました。 第一次大戦後は大陸も英国領になりますが、第二次世界大戦後の1960年に入ると、 世界的な脱植民地化の潮流の中で、1961年にタンガニーカが独立。 ザンジバルは、1963年12月にスルターンジャムシード・ビン・アブダラを元首に、 ムハンマド・シャムテ・ハマディを首相とする「立憲君主国」として英国から独立します。 しかし、1964年1月12日、人種対立をはじめとする政情不安からザンジバル革命が勃発。
革命を主導したアフロ・シラジ党によって「ザンジバル人民共和国」が設立されるも、100日足らずで消滅し、 1964年4月26日にタンガニーカと合併して、「タンガニーカ・ザンジバル連合共和国」(後の「タンザニア連合共和国」)が成立します。
この時の騒動によってフレディの家族は身の安全を計るためザンジバルを離れ、英国に移り住みます。
ちなみに、フレディがザンジバルで過ごしたのは、1946年に生まれてから1953年までの7年間と、 インドでの寄宿学校を卒業した1962年から1964年に英国に移り住むまでの約2年間です。


さて、ここからが本題です!
クイーンのメンバーの中で唯ひとり本名ではないのが、フレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)です。
ラストネームの「マーキュリー(Mercury)」は、彼の星座である「乙女座の守護神」から付けたそうで、 その語源はローマ神話の「メルクリウス (Mercurius)」であり、その英語読みが「マーキュリー((Mercury)」なんですね。
それで、このメリクリウスの事を調べてみると・・
【メリクリウスは後にギリシャ神話のヘルメスと同一視され、 神々の使者、科学・商業・盗人・旅人の守り神とし、翼のある帽子とサンダルを身につけ、2匹の蛇が 巻き付いた杖(カドゥケウス)を持った若者の姿で描かれるようになった。】
と書かれてあり、この中の、「翼のある帽子とサンダル」のところで思わず、初来日で京都を訪れた時のフレディの装いとダブりました。 ・・・って、単なる偶然だとは思いますけどね。^^;
話しは少し逸れますが、「Mercury」で検索すると様々なものにヒットしました。 中でもちょっと“おっ♪”と思ったのが、まるでホット・スペース風な 「「MERCURYバケツ」。 それと、岐阜県には"Mercury"という名前が付けられたログハウスの「 貸し別荘」までありました!

話を元に戻します。
ファースト・ネームの「フレディ(Freddie)」ですが、 これは、彼が8歳でザンジバルの親元を離れ、インドのパンチガニにある「セント・ピーターズ英国寄宿学校」に入学したとき、 その学校の少年達には英語のクリスチャンネームがつけられていたことから、彼は「Freddie」という名前をもらったそうです。
おそらく、この頃から“フレディ”とか“フレッド”などと呼ばれていたのでしょうね。
また、渡英後の1966年、9月から通い始めたイーリング・アート・カレッジで彼が描いた作品には、 「Fred Bulsara」というサインが残っています。 そしてカレッジを卒業した1969年から、約1年の間にフレディは、「Ibex(イベックス)」⇒「Sour Milk Sea(サワー・ミルク・シー)」 ⇒「Wreckage(レッケージ)」というロックバンドのヴォーカルを担当。その「Wreckage」の時に録音した「Green」という曲の作者クレジットも、“Balusara”となっています。
ちなみに、その曲はフレディの12枚組ボックス『The Solo Collection』で聴くことができますが、 男性とは思えないほど高い声です。(*現在はYoutubeでも検索すると聴けます)

さて、海外にもフレディの名前をタイトルにしたファンサイトがありますが、 中には、フレディの本名をそのままタイトルにしたサイトまでありました。 ↓(テキストだと文字化けするので画像にしました。)


これは「グジャラーティー語」で、フレディの両親の出身地である西インドのグジャラート州の原語でもあります。
インドはヒンディー語が国語のように思われますが、実はかなりたくさんの言語が共存していますし、 昔、インドに同化したペルシア系の祖を持つ「パールシー」がインドにたどり着いた時、 イギリス人が来る以前に、生き残りの戦略の一つとしてグジャラートの言語と習慣を身につけていったとされています。
日本では「ファルーク・バルサラ」、「バルーク・バルサラ」、「ファロック・ボルサラ」など、 様々なカタカナ表記を見かけたりしますが、このグジャラーティー文字を覚えて、 サラッと書けるようになったら、ちょっとカッコイイかも。(なにが?^^;)

ところで、 2011年の今年のお正月、突如として、カップヌードルのテレビCMにフレディが登場しました。
それも、“ワシ買うもん、カップヌードル♪”と、日本語で歌うフレディが!
当然、その日本語吹き替えには賛否両論ありましたが、実はその映像と音源については 明らかにされなかったものの、コアなファンの間では、本家クイーンの演奏とは微妙に違うとの指摘もあり、 更には、映像を見て「フレディの歯並びがキレイすぎて、変!」という鋭すぎる的確な指摘まで!!!
それもまたコアなファンが映像をコマ送りで分析して検証した結果、何かしらの方法でフレディの歯並び、及びヒゲと口元にまで 手が加えられていたことが判明しました。
製作サイドとしては、あの歯並びを実物よりキレイに仕上げてフレディをよりカッコよく見せようとしたのかもしれませんが、 まさかファンにそれを逆手に取られるとは夢にも思わなかったでしょうねぇ。(笑)

ということで、何が言いたいかというと、
そもそもフレディにとってみれば、あの出っ歯を直そうと思えばいつでも直せたはずであり、 名前は変えても、あの出っ歯だけは変えなかったのには、それなりの理由があったとしか思えません。
おそらくフレディは歯並びを変えることで声まで変わってしまうと思ったのではないでしょうか。
つまり、フレディはクイーンのヴォーカリストとして、ルックスよりも一番「声」を大事にしていたのではないかと。

以前、何かのビデオで、海外の女性ファンが、「私はフレディのヴォーカル中毒なのよ」と 興奮気味に答えていたシーンを今も強く印象に残っています。 一度聴いたら忘れられない声、虜にしてしまう歌い方はフレディの才能でもあり、天性のものでもあるわけで、 フレディのステージでの振り付けはモノマネできても、その歌い方や声までは決して誰も真似できない部分であることは ファンなら誰しも感じている事と思います。

ただ、個人的には、フレディのその才能を持ってしても「クイーン」にだけは勝てなかったと思っています。
それは他の3人も同様で、ソロになるとどうしてもちょっと物足りない。 でも4人揃うと、彼等の才能が合わさって「クイーン」は化学反応を起こす。 クイーンを伝説のバンドと呼ぶならば、4人の集合体こそ奇跡であり、4人全員が唯一無二の存在だったと言えると思います。


以上、今月はフレディ・マーキュリーの特集でした。


さて、ファンの皆さんは、『フレディ・マーキュリー』と聞いたら、 パッと頭に浮かぶのはいつの時代のどんなフレディでしょうか?
私としては、右のイラストのようなフレディが浮かんできます。 って、多分、「こんなのフレディじゃない!」って思ってる人は少なくないと思われますが、それは正解です! こんな格好をフレディは実際にはしていませんからね。
そうではなく、自分には、「フレディと言えば、どこか変!」というイメージが定着してしまっているからなんです。
もっと言えば、「どこかヘンじゃなければフレディじゃない」とさえ思います。 これは決して、おちょくって言ってるワケでは全然ありません!至って真面目です。
私にとって、フレディと言うと、いつの時代であっても 少しオーバーにデフォルメされていないと『フレディ・マーキュリー』にはなりません。 ただし、(ここが一番重要!)、 変なんだけどフレディの場合、フツーの人がやると陥りがちな“見苦しさ”も無ければ、“嫌悪感”も全く感じさせません。なぜなら、 フレディのその「変」は、普通じゃない、何か秘密を持ってそうな“怪しさ”と、 不思議と魅力的な“妖しさ”の二つとイコールだからです。

・・・って、今の時代になってもまだ、こんな30年以上も前のイラスト持ち出してきて、 そんな古臭いイメージでフレディを語るな!と叱れそうですが、 でもやっぱり、カッコイイだけのフレディなんて『フレディ・マーキュリー』じゃない!と思うし、 それはまるで、クリープを入れないコーヒーと同じなんです。
って、やっぱり古すぎるか〜?(笑)

次からはまた「クイーン」としての歴史を辿ります。




updated:2011/ 9.01